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2020-03-18

◆鬼のお話  第4回 そして天満大自在天へ

菅原家は名門の御家柄だった。古くから朝廷に仕えていた。そんな菅原家に関するお話も出て来たので紹介する。


先祖神は天穂日命(あまのほひのみこと)で、その子孫には相撲の神様とも呼ばれるあの野見宿祢(のみのすくね)へと繋がる。


天穂日命については、記紀神話ではこうある。


天照大御神と素戔嗚尊が誓約をした際、素戔嗚尊は天照大神から渡された八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を、天真名井の聖水を降りすすぎ、噛んで吐き捨てた。その息から五柱の神々が生まれた。その中の一柱が天穂日命だ。


菅原家の先祖神に、荒ぶる神素戔嗚尊に繋がる神様がいたというのはなるほどなと思う。


野見宿祢の有名な話は、日本最初の相撲の取り組み(?)、当麻蹴速との力比べが有名だ。この勝負では野見宿祢が勝っている。また野見宿祢は古墳に設置する埴輪を提案した人物だと云う。


その当時、身分の高い人が亡くなると、沢山の殉死者を生きたまま埋葬(!)していたというが、これを止めさせ、代わりに埴輪を埋葬することを考えたのだ。古墳に行く時はこれから注意しよう。


この功績により、野見宿祢の一族は土師(はじ)氏の名を賜り、以後天皇家の葬儀などに関わる様になった。それから時代は下って天応元年(781年)、野見宿祢の子孫、近江介(おうみすけ:近江の国の公務員の役職の一つ)だった土師宿祢古人(はじのすくねふるひと)ら一族15名は朝廷に奏上し、居住地である菅原の姓に変えることを許可された。


改姓したことで、葬儀屋という印象を払拭し、一族の進む道を学問のみとし心機一転することになる。


以後、菅原家は遣唐使や侍読(じどく:簡単に言えば天皇の家庭教師)などを務める優れた学者を多く輩出した。その血統は道真公にも受け継がれて行った。


子供の頃から才能豊かだった道真公、11歳で詩をつくり、13歳では父に劣らぬ和歌を詠むようになった。その後、猛勉強の末、菅原家では初の右大臣に任命された。学者出身で右大臣になったのは吉備真備以来だったと云う。


前回のおさらいだが、その後道真公は無実の罪、天皇家の転覆を画策したという理由で太宰府へと流される。後の資料から、太宰府のすまいは「屋根は雨漏りし、官舎の入り口は草に覆われ、井戸は土砂が詰まって使えず、家の周りの垣根は壊れている」という廃屋さながらだったようだ。


その後、ご存知の通り失意のまま亡くなり、鬼神として復活し祟りが起きる。恐れた人々は神として祀るようになった。


祀られるに至る際、こんな話があった。


まずは太宰府天満宮。こちらは延喜五年(905年)、太宰府の味酒安行(まさけやすゆき)が神託により神殿を建て道真公を祀ったと云う。祀る際に道真公の神名を「天満大自在天神」とした。


道真公を祀る今一つの有名神社、北野天満宮も天暦5年(947年)、近江国の神良種(かみよしたね)の息子、太郎丸なる人物や、北野にある朝日寺の僧もご神託をうけたことが切っ掛けだった。


北野の地は元々「天神」即ち天津神(天上の神々)を祀る神社だったが、こちらに道真公を一緒に祀ることになった。しかし、だんだんと道真公の人気の方が大きくなり、元々祀られていた天津神は、主祀神の座を入れ替えられてしまった。


それだけ祀る方も神経を使ったのだろう。今日では「天神」という言葉は、本来の天津神を差すのではなく、菅原道真公になってしまった。



祟る荒ぶる神になってしまうと、もうこれは祀って崇めるしかないというのが、古くからの被害を受けないようにする考え方の一つだ。しかし、いくら祀る方が神社を建立しても、それは一方的な考え方で、建ててお参りすれば治まるというものでもないだろう。


当の祀られる荒ぶる神が、納得しないで祀ろうと思ってもそれは無理だ。かえって火に油を注ぐ事態にもなりかねない。


道真公の場合は、結果を見るに祀ることに成功した。これはやはり、道真公が元々秀才であり、また観世音菩薩を個人的に信仰していこと、有名な天台宗の僧侶と親交があったことなどから、仏教も学んでいたことが大きかったのではと思う。祟る鬼神でい続けることを良しとしなかったのだろう。付け加えるなら、目的を果たしたことである程度溜飲が下がったこともあると思う。


道真公は天満自在天として生まれ変わった。自身が謂れのない罪を着せられ苦労したこともあり、自分のような仕打ちを受けた弱者に対しては(きちんとすがってお参りする者には)必ず耳を傾けてくれると思う。


天満大自在天の御利益は、学問の向上が有名だが、農業関係の願い、そして冤罪を晴らしたいという願いには大いに御力添えを頂けると思います。



天神様 掛軸

参考文献

日本の神様 読み解き事典  柏書房
鬼       新紀元社


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2020-03-16

◆鬼のお話  第3回  火雷火気毒王

鬼に纏わる話を拾って行こうということで、しばし何から紹介しようかと思案しました。


歴史上には様々な鬼が登場する。一つ一つ調べると正直気軽にブログにして大丈夫かという気持ちになる。


例えアクセス数の少ない私のつたないブログでも、間違ったことを紹介すると怒られるのではと内心ビクビクしております。


最初の鬼は何にしようか?これをお読みの皆さんが知っていて、意外に自分の住んでいる近くにも祀られている、そういう存在が最初は良いのでは?と考えた所、この神様に辿り着いた。


学問の神様、天神様こと菅原道真公だ.。無論、天神様は全国から信仰を集める立派な神様だが、そうなる前は鬼神として恐れられていたことがあった。


個人的には子供の頃から縁があり、手を合わせるようになってから随分経つ。好きな神様だ。そんなこともあり、天神様についてはそれなりに理解しいるつもりだったが、改めて調べると知らなかったことも幾つか出てきた。まずはざっとだが簡単に菅原道真公について昔話っぽく紹介致します。





◎天神様 菅原道真公について


北野天満宮や太宰府天満宮、各地に残る天神社、天満宮のご祭神である菅原道真公は、幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。


学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、異例の出世を重ねられた道真公は、昌泰2年(899)右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。


ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰4年(901)大宰権帥に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じられました。


七日七晩、天拝山に上り天の神に祭文を唱え、無実を訴えたとの言い伝えが残っています。道真公の死後、しばらくして都では異変が相次ぎました。


左大臣、藤原時平が39歳で急病に倒れ、時平の妹、隠子皇后の子、皇太子保明親王が21歳で病死しました。世人は皆、菅原公の怨霊の仕業と噂しました。朝廷も放置出来ず、道真公を本管の右大臣に復し、正二位を贈り、太宰府配流の詔書を破棄させ怨霊を慰めよう努めました。


しかし、保明親王の没後、直ちに立太子した時平の外孫、慶頼(よしより)王も延長3年(925年)、わずか5歳で亡くなり、さらに延長8年6月、清涼殿落雷という衝撃的な事件が起こりました。


この時、天皇は清涼殿の東廂(ひさし)に出座しておりましたが、御前に居合わせた大納言、藤原清貫が雷に打たれて即死したのです。この出来事を目の当たりにした天皇は病床につき、その年の9月に譲位し間もなく世を去りました。


こうして道真公は「火雷神」と呼ばれ、もっとも恐ろしい怨霊とされ、それをなだめるために各地に神社が建てられました。


その一方、学者・文人の間では早くから学問の神として崇敬されており、やがて両者が合体して天神信仰を高め、さらに学問の神としての信仰が、御霊信仰を上回って一般庶民まで広まり現代に及び、人々の生活のなかで受け継がれています。


道真公の精神は「和魂漢才」の四文字に集約されるように、自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち、他国の文化も受けいれる寛容さが特徴です。道真公が生涯一貫された「誠の心」は、今も日本人の心に生きつづけています。


また天神様の御神徳としましては、学問の向上以外に、農耕(雷神・雨)、正直・至誠、冤罪を晴らす、文学・和歌、芸能、厄除けなどもございます。





・・・という感じだ。


政権争いに巻き込まれ、無実の罪で遠方に追いやられた道真公。その恨み、怒りの凄まじさは鬼神となって祟るようになる。鬼神にならざるをえなかったその心中は、さぞ無念であっただろう。誰もが好き好んで鬼になるのではない。望まない酷い仕打ち、被害を被ることで鬼になってしまうこともあるのだ。


道真公は怨霊神という呼ばれ方もする。当初、怨霊と鬼は違うのかな?と思っていたが、鬼の意味を調べればどちらも殆ど同じに思える。明確な区別があるのかもしれないが、現状では分からない。


今回改めて調べてみて新たな発見もあった。例えば鬼神となった道真公には16万8千もの眷属(けんぞく:部下みたいなもの)がいたというものや、天神縁起の挿絵の中に、清涼殿に雷を落とす黒雲に乗った赤い鬼神があるが、この赤鬼に名前があったことなどだ。

北野天神 図録  鬼神の図


鬼となった道真公(あるいはその眷属の名前かも)は「火雷火気毒王(からいかきどくおう)」と云う。これは知らなかった。


16万8千もの眷属がいるとか、強烈な印象を与える凄い鬼の名前など、後の人が脚色したものも多いであろうが、それは裏返せばそれだけ凄まじい力を持っている、貴方様には敵いませんという畏敬の念と、荒ぶる神の凄さを称えている表現だと思う。


また、文字や絵で残すことで、後のお参りする人達へ、道真公のことを忘れないようにしたかったという思惑もあるだろう。事実、それだけの災厄を齎し、人々を震え上がらせたのだから・・・。



次回はもう少し天神様のことについて考えてみたいと思います。




参考文献 太陽スペシャル 「天神伝説」 平凡社
参考資料 北野天満宮 HP http://kitanotenmangu.or.jp/about_michizane.php


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2020-03-15

◆鬼のお話   第2回  日本の鬼

中国の鬼が「何らかの理由で還ってきた魂」とすると、日本の鬼の場合は少々違う。


これは大陸から渡ってきた仏教や、道教由来の陰陽道、そして日本人の昔からの考え方が複雑に混じったことが影響している。


平安時代の辞書「和名類聚鈔鈔(わみょうるいじゅしょう)」に、鬼とは「於爾(おに)」であり、「隠(おん)」のなまったもので、隠れて姿を現さないもであると説明されている。


中国での鬼という言葉と「於爾」という日本の言葉(意味)が結びついて、所謂日本の「鬼」という言葉が出来たという。


この姿は見えぬ、隠れている霊的な存在が鬼とされ、それは様々な災厄を齎すと考えられてきた。大きな自然災害や流行り病などだ。今も昔も、この二つは人間の命をある日突然奪ってしまう。


科学や医学の未発達な時代は、より鬼の存在を恐れていた。


そういう人間に災いを齎すという面がある一方、現在でも青森県では鬼は恐怖の対象ではなく、鳥居に鬼面があったりして地域に溶け込んでいる例もある。


鬼という字は「モノ」とも読まれていた。これは「物の怪」のモノだと云う。そう言えば聖徳太子や蘇我氏と戦争をした物部氏も、死者を生き返らすという物部神道なるものがあるので、物部氏の物も、「鬼」のことなのかも。
 
 
そう考えると、鬼とは単に災厄を齎す怖い存在という意味だけではなく、「神」と同じように思えてきた。鬼神という言葉もあるので、人間から見れば得たいが知れないという意味では、神も鬼も良く似た存在と言える。表裏一体と言えば良いか。


日本語の「神」とはキリスト教で言うGODではない。天地を創造した唯一つの神ではなく、人ではない、目には見えぬが人知を超えた恐るべき力を持った存在というようなことが、日本の「神」という文字には含まれていると思う。無数に存在するのだ。また、ある神職の方の書いた本には、「○○君、○○さん、○○ちゃん」という敬称の最上級のものが「神」だとあった。畏れ多い存在なのである。


鬼にはどうしても怖いイメージが付きまとうが、日本人の身近に沢山ある、ありがたい神社の神様にも優しい部分と怖い部分がある。神道ではそれを和魂とか荒魂とか言う。荒魂というのは、簡単に言えば祟り神のことだ。


超有名で比較的人間に好意的と思われる神社の神様でも、参拝する者が不敬な態度を取ったり暴言を吐いたりすれば、神様も腹を立てることがある。そんな怒りを買ってしまった状態になると、参拝者に荒ぶる神として攻撃することもあるだろう。祀ってある神様の性質によっては、怒らせたことで致命的なことになってしまうこともある。


資料を読み込んだり、寺社参拝を通じて思った事は、鬼は元人間であったということだ。昔の人達は、度を超えた恨みや怒り、悲しみを抱えたまま死ぬと、その強い執着心や念が鬼となると考えていた。


日本の昔話には鬼に関する物語も多い。そんな本を読んでいると、災厄を齎す祟る鬼の話もあれば、「元々は立派な英雄だったのに、これは鬼にされてしまったのでは?」と思えるものもある。鬼は奥が深いのだ。


次回は鬼の昔話で気になったものを拾って行きたいと思います。


鬼の図録表紙-crop
参考文献 姿と伝承 鬼   福井県歴史博物館

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2020-03-13

◆鬼のお話   第1回  鬼とは

鬼のルーツを辿ると中国に行き着く。

調べてみると、「鬼」の意味は中国と日本では似ているようで少し違う。

中国で「鬼」とは、なんらかの理由や方法で還ってくる死者の魂というような意味だそう。日本でも人が亡くなると鬼籍に入るということから、鬼=死者の魂と解釈してもいいかもしれない。


鬼という字を分解すると「由」と「人」と「ム」になる。この中で由という字は鬼頭を示すと言われる。鬼頭とは死者の面のことだ。

日本の寺社でもお祀りで鬼の面を被るものがある。これは鬼を仮面に憑依させるという意味がある。お祭に限らず、能でも様々な面を被るが、役になりきるということ以外に、神霊の依り代が面ということも言えるだろう。


鬼の入った漢字で「魂」という字があるが、この魂の「云」の部分は雲のことで、天に上昇した鬼のことを示している。

魂と言う言葉も、古くは二文字で魂魄(こんぱく)と言った。これも諸説あるが、魄の意味は白骨であり魂が抜けた亡骸ということ。鬼が還ってきた魂であるなら、復活するには亡骸がいる。大昔の古墳や王墓のように、遺体をそのまま埋めるのは、埋葬した方からすればいつか復活して欲しいからという願望もあったのではと思う。


そう考えると、日本の戦国時代の武将を見るに、討たれた方の墓は、首塚とか胴塚とか遺体を分けて埋める例がある。これは討った方からすれば祟って出てきてほしくないので、復活の阻止という意味もあるのかもしれない。


魄には他にもこんな意味がある。恨みを抱いたり、あまりにも心配性の人が亡くなった場合、魂は天に昇っても死ぬ間際まで残っていた強い念は地上に残る。その残った強烈な念が魄であるというもの。


中国の場合と日本の場合は、漢字の意味も違ってくるので、どちらが正しいとは言い難い。日本の漢字は先に音の意味があり、漢字が伝わってから文字を当て嵌めたことも多いからだ。


鬼という文字は中国から入ったと思うので、先に中国の鬼について調べてみたが、これが日本の鬼となると少々勝手が違ってくる。次回は日本側の鬼について考えてみます。



鬼の本-crop


参考文献  新紀元社 「鬼」




2020-03-02

◆日本のしきたり・第5回 雛祭り

3月3日はお雛様、雛祭り。

雛祭りは上巳(じょうし)の節句、桃の花が咲く時期に女の子の成長を祝う儀式だ。

桃の節句とも言う。


雛人形を飾り、御祝をするのが一般的だが、起源を辿ると奈良時代~平安時代にはあったと云う儀式に辿り着く。


ひな流しと呼ばれるものだ。


土や紙で作られた形代と呼ばれる人形の一種を、生まれた赤子の枕元に置き厄除けとした。


そして一年の災いを春のひな流しで払う。川に流すのだ。


災厄、穢れを形代に移すという発想だ。


何年か前、滋賀県のMIHOミュージアムで土偶の展示会があった。土偶についてはそれほど知識が無かったので、これは面白いかもと観に行った。


興味深かったのは、発掘された人の形をした土偶はほぼ女性であったこと。そしてどうも壊してから埋めた形跡が多いという解説だった。病気についての恐れは、現代の人とは比べ物にならないほどのものがあったと思う。
 
 
特に出産や、子供が大人になることは大変に困難であった。奈良時代や平安時代も大変なら、縄文時代は尚更だったと思う。


縄文の人達は子孫の繁栄の為、安全に子供が生まれてくる為に、病気の原因たる何か厄神的な存在の障り、穢れを土偶に移し、それが再生しないよう破壊したのだと思った。


縄文の記憶がそのまま奈良時代や平安時代に受け継がれたとは言わないが、いつの時代も病は怖いもので、医学が発達した現代なら原因の特定も出来るが、大昔なら病の原因は神の怒り、厄神の障りと解釈したのだと思う。

厄を移す形代が、時代と共にに変化する。江戸期頃になると制作技術の発展により、様々な人形が作られるようになった。形代も雛人形に変わり、鑑賞を目的にするものに変化する。


現在では雛人形を飾るのは、だいたい立春から一週間位の中で準備するのが良い。雛祭り前日に慌てて出すのは「一夜飾り」と言ってあんまり縁起が良いことではないと言う。


また、雛祭りを過ぎても、雛飾りを出しっぱなしにするのは婚期が遅れると言うが、これもおそらく「流しびな」の風習の考え方が変化したものだろう。厄を移した形代をいつまでも流さずに置いておくと、その厄はまた当人に戻る、という解釈になる。つまり「厄が戻る」という言葉、考え方が婚期が遅れるになったのでは・・・。


最近の雛飾りは景気や住宅事情に比例してか、私が子供の時によく見た雛段飾りというのは、段々と簡略化して、御殿様と姫様だけになっているのが増えた。


雛段飾りは赤い毛氈を敷くが、赤色は不滅や魔除けという意味がある。古墳に埋葬された遺体にも朱が塗ってある例もある。これも魔除けという意味もあると思う。後は「火」の色、火の性質を加えるという意味もあるだろう。


お殿様とお姫様だけで飾るのを親王飾りという。殿様と姫様は天皇陛下と皇后さまでもある。


天皇陛下は祭祀王。国民の為に祈るのがお仕事だ。そう考えると内裏雛(天皇・皇后を形どって作られた人形)が雛人形として飾られるのも、ある意味納得である。以前こんな話を読んだ。


何かの本に載っていたが、現在の上皇陛下が、昔被災地に行かれた際、「災厄よ私を通ってくれ」というような意味の言葉で祈ったと・・・。


国民の為に自らがその災厄を引き受けると言う常人ではとても言えない凄い言葉だ。上皇陛下も天皇陛下も、日本にいてくれて良かったと思う。頭が下がる思いである。



雛祭りは大事な子供(女児)を災厄から守る、大切なお祭でした。


hinaline1.gif


参考文献  日本のしきたりが丸ごと分かる本  晋遊社
        本当は怖い日本のしきたり      彩図社
プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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