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2018-02-03

◆犬神様を考える 第8回 ~三河の犬神様 まとめ~

糟目犬頭神社・犬尾神社・犬頭神社(豊川市)の三つの神社に祀られる「犬頭大明神」についての纏め回です。



 

◎三河に残る犬神様の考察
 
7世紀頃に創建された犬の神社。祀られていた本来の神はもっと古い、古代のこの地域の豪族(以下A族)であった。


A族は鉄や銅の鋳造技術や絹糸の技術を持っていた。(絹糸の技術は後の時代か?)


ある日、大和朝廷からヤマトタケル率いる屈強な軍勢がやってくる。


降伏か?一戦交えるか?配下になることは搾取されることを意味する。


A族は戦いを避け、降伏の道を選んだ。(矢作神社の一族も降伏を選んだと思う)


しかし、中には降伏を良しとせず国を守るために戦うという選択をした豪族(以下B族)もいた。


ヤマトタケルの軍勢に加わったA族は先頭に立ち、B族と戦った。(AとBは同族で二つに割れたかも?)


やがてB族の王は討たれ、A族の王も死んだ(戦いの後、用が無くなり朝廷側に殺された?)。


A族の王は蔑まれ「我々に従った犬だ」とされたが、非業な死を遂げたので祟られるのを恐れ、遺体を複数に分けて埋められた。復活を恐れたのである。後に神社が出来るが、この時は塚のようなものだったのかもしれない。やがて犬頭大明神となった。


朝廷側に戦いを挑んだB族の王は「大蛇(あるいは犬頭糸の昔話に登場する、犬に食べられた蚕)」となり、その痕跡は完全に無くなった。犬頭大明神のように祀られることもない。


それから数百年の時が流れる。


天正年間、宇津左衛門五郎忠茂(以下殿様)が領主をしていた時代。


すでに神社となっていた犬頭神社であったが、何かしらのトラブルがあった。領民の不敬があったか、御神木を傷つけたか、神を怒らせる行為があり、地域に祟りが起こった。(祟りは実際にあると思うが、天災・疫病と結びつけたかも)


殿様は神の怒りだと思い、糟目犬頭神社、犬尾神社に新たな神を祀り封じ込めた。もしくはこの時に忘れられていた地元の古代神を犬頭大明神として復活させたかもしれない



祟りは治まり、そして現在に至る。


蛇と言うと、昔話では悪者とされることが多い。大蛇と言うことは強大な力を持っていたと連想した。


犬とされた王も、大蛇とされた王もどちらも国を守る為の苦渋の決断であったように思う。それぞれの国や領民を守ろうと思っただけだったのだ。


現在ではそんなことは全くないが、大昔は犬頭大明神を祀るものも犬とされた節がある。


犬頭明神を調べていて、とある書籍(日本の神々 多彩な民族神たち )で見つけたが、糟目犬頭神社で、願いを叶える為のお参り方法というのが紹介されていたが、それは衝撃的な内容であった。


その方法は、


「夜中に鳥居から社殿まで四つん這いで進み祈願する」


というものだった。こんなお参りの仕方は自主的に考えられたとは思えない。


「やらされた」と思うのが普通だ。


私には「大蛇と犬の昔話」も、「犬頭糸の昔話」も形は変わってしまったが、古代の戦の記録なのではと思えます。


次回は名古屋に話を移します。




岡崎市 犬頭神社5

南無観世音菩薩、南無観世音菩薩、南無観世音菩薩・・・

2018-02-02

◆犬神様を考える 第7回 ~攻めて来たもの~

今回は三河に遺る、社名に犬の字がついた神社のまとめ回の予定でしたが、大切なことを一つ忘れていた。


それは古代において、この地域に戦争があったと推測したが、一体誰が攻めて来たのだろうか?


愛知県の岡崎市、そして隣接する安城市や西尾市にある古い神社や、民話を拾っていくと共通するものが出て来るのに気付いた。


熱田神宮系の神々を祀る神社と、古代の英雄神「ヤマトタケル」に纏わる民話だ。(関連ブログはこちら

矢作神社①


例えば西尾市の西尾の由来は「ヤマトタケルが馬に乗り、東国遠征に向かった際、馬の尾が西に向いたので西尾と云う」と言った昔話があったり、熊味町(これも意味ありげな名前)には確か熱田系の神様を祀る神社があった。


また安城市にも榎前町にある熱田系の神を祀る神社には、ヤマトタケルがこの辺りに立ち寄った時、榎の前で腰かけて休息をとったので「榎前町」という名前になったと云うものもあった。


岡崎市にも、ヤマトタケルの伝説が残る神社が、確認しただけでも二つあった。その内の一つ、矢作(やはぎ)神社では、ヤマトタケルの軍隊が立ち寄り、地元の矢作部と云う一族が矢を沢山作って渡したというものもあった(なので矢作神社)。
 
矢作神社③

矢作神社②

また家康公所縁のお城、岡崎城の東北にある山、「甲山」には「ヤマトタケルが3人の賊を討ち、その首を山に埋めた」という生々しい昔話も残っている。


更に岡崎の山の方に行けば、熱田神社や大日尊神社(ヤマトタケルが御祀神)などがあった。この二つに関しては近隣の人でも知らないという人もいた。


このブログで紹介するかどうかは悩むところであるが、岡崎を抜けた豊橋市の方には、恐ろしい名前の神社が遺っている。
山の中のかなり古い神社だ。


昔、「これは古代の激戦に因んだ神社だ」と気づき、参拝に出かけたが山の斜面に設けられた参道の階段に、足を一歩掛けたら、風が吹いて山が唸ったので、「すいません!」と言って退散したことがあった。
 
 
今まで行った神社で最も恐ろしく、また参拝に行ったのに参拝せずに一目散に逃げ帰った唯一の神社だった。私はここもヤマトタケルに関係しているのではと思う。


話を戻すが、岡崎市や豊川市に遺る犬の名がつく神社がある理由、それは犬とされた豪族がいたのだと考えた。


そこへ全国制覇を目指す大和朝廷の軍隊、ヤマトタケルが率いる強力な軍隊が、ある日突然制圧にやって来たのだ。


予定にない1回分になりましたが、次回に犬に纏わる神社と民話について私なりに結論を出したいと思います。




※画像はすべて岡崎市の矢作神社
2018-01-31

◆犬神様について考える ~第6回 鉄と糸~

岡崎市の外れ、隣の安城市に近い所に創立年代不詳の神社がある。


酒人神社だ。

酒人神社2



酒人神社1


社歴によれば、6世紀頃に様々な技術と共に渡来した「阿知使王」の子孫、酒人親王を祭っている神社だ。他に食物の神とあるので保食神も祭られているのかもしれない。国内で初めて清酒を醸造したのが酒人親王という伝承があるらしい。


この社歴から気になる言葉を挙げてみると・・・


①鍛冶の技術をもった神様

②織物にも長けていた神様

③朝廷の支配が全国規模になった時に、この地に移り住んだ神様



という三つになった。


酒人神社3


糟目犬頭神社と同じ岡崎市であるし、豊川市にある犬頭神社の伝承、「絹糸の技術」があることから、やはりこの酒人神社も他の犬の字がつく神社と関係があると睨んだ。


第二回のブログで、気になった個所に「糟目」という言葉を選んだ。糟目犬頭神社の「糟目(かすめ)」であるが、この糟という字を調べてみると、このような意味があるようだ。


[名]

1 液体をこしたあとに残るもの。液体を入れた容器の底に沈殿したりしたもの。おり。

2 よい所、必要な部分を取り去ったあとの残り。「食べ―」

3 役に立たないつまらないもの。最も下等なもの。くず。「人間の―」

4 (糟・粕)酒のもろみを醸 (かも) し、酒汁をこしたあとに残るもの。酒かす。



酒粕という意味もあるが、糟という文字からは酒粕ではないように思う。1と4の意味を省くと、残された意味は酷いものとなる。糟目犬頭神社の御祭神、犬頭大明神を罵倒する言葉が糟目なのだ。


そして「目」という文字は、この神が製鉄の技術をもった神であるということを意味しているように思う。

 
古代の製鉄を生業としている神々に共通しているのが、「目」という文字が入っていたり、そんな製鉄の神をまつる神社の周辺の民話には、「片目」「片足」「片葉」といったキーワードが残るものが多い。


何故かと言うと、鉄を溶かす溶鉱炉の、鉄の溶け具合を見る時に片目で見たり、溶鉱炉に空気を送る際、大型のふいご(蹈鞴:たたら)を踏み込むが、この時に片足で踏むことで、片方の目や足を痛めてしまうのである。職業病というやつだ。


犬頭大明神は何者かによって差別的な名前を付けられたのである。


酒人神社の社歴を読むに、この酒人神社の神様は他所から来たとある。


元々のこの地域にいた神様が、侵略した新勢力と戦争になり、負けてしまったのでは?と思える。


次回は三河地方に残る「犬」の神社の纏めの回とします。





2018-01-26

◆犬神様を考える 第5回  ~昔話 犬頭糸~

大蛇と犬の昔話と、もう一つ気になった昔話がある。「犬頭糸」と呼ばれる昔話だ。

こちらは豊川市にある古社「犬頭神社」に残る、ちょっと変わった昔話だ。

豊川市 犬頭神社1


◎千両の犬頭糸

ずっとむかし、千両の村に役人がいました。
役人には、それはそれは働き者の綺麗なお嫁さんがいた。


ある日、朝早く、お嫁さんは、いつものように蚕に桑をやりに行きました。ところがどうしたことか、蚕は全部死んでいました。


「これは たいへんだ。 どうしましょう。」


お嫁さんはびっくりして、役人の所へ飛んで行きました。


「なに、蚕が死んだ? おまえは良く働くと評判だが、それをよいことに、陰ではなまけていたのだろう。」


役人は大変怒り、家から出て行ってしまいました。 お嫁さんは一人ぼっちになり、毎日悲しんでいました。 


飼っていた犬も、元気がなくなっていきました。


3年目の夏の日。 お嫁さんは、朝早く、裏の畑でぼんやりと桑の木を眺めていました。 


すると、「バリバリ! バリバリ!」 という音が聞こえてきました。


「おや、何かしら。」


お嫁さんが近付いてみると、1匹の大きな蚕が桑を食べているのでした。 喜んだお嫁さんは、その蚕を大事に大事に育てました。
 

ところが、ある日のこと。驚いたことに、お嫁さんが大事にしていた蚕を、犬が食べてしまったのです。
 

「ああ!蚕一匹飼うこともできないなんて。」


お嫁さんは、あまりの情けなさに泣き出してしまいました。 犬は何も知らず、ただ鼻を クン クン ならしているだけです。


お嫁さんは、そんな犬を見ても、やさしく頭をなでてやりました。


するとどうしたことか、犬の鼻から細い白い糸が2本垂れ下っているではありませんか。 お嫁さんは思わず糸を引っ張りました。 


糸は次から次へと出てきます。 300ほど枠に巻き付けても、まだ出てきます。 竹の竿や桶にまでも巻き付けました。やがて、犬はカ尽きたように死んでしまいました。


「きっと仏さまが助けてくださったにちがいない」


お嫁さんは、桑の木の根元に、犬を丁寧に埋めてやりました。


幾日か過ぎ、お嫁さんの所へ立ち寄った役人は、雪のように白い糸を見てびっくりしました。
 

「こ、これは どうしたことじゃ。」 


お嫁さんはありのままを話しました。
 

「そうだったのか。 仏様がおまえをお守りくださっていたのだ。 放っておいた私が悪かった」


それからというもの、二人はまた幸せに暮らすようになり、家も豊になっていきました。


その後、千両の辺りで作られた糸を、「犬頭の糸」とよぴ、天皇に差し上げるようになりました。千両の犬頭神社は、犬を埋めた桑の木のあった所に、建てられた云うことです。







・・・と言うものだ。


この話もまた奇妙な昔話である。引用元は地元の昔話集からだが、この話の元は今昔物語にあるようだ。


豊川市の犬頭神社の創建は詳しくは分からないが、600年代に建てられたという説もある。式内社であるので、平安時代(927年)には既に存在していた神社であるから相当古い神社だ。御祀神は保食神(うけもちのかみ)と糸繰姫神だが、古くから犬頭大明神と呼ばれていたと云う。


「千両の犬頭糸」の昔話を読んで気になった点を挙げてみるとこうなった。

①こっちの話には男と女が現れる。

②やはり犬は死ぬ。

③大蛇は出て来ないが、蚕は犬に食われて死ぬ。

④犬の体から絹糸が出るとうことは、死んだ蚕が復活したともとれる

⑤天皇へ献上できるほどの美しい絹糸がこの地域で作られていた。



大蛇と犬の話は伝承通りだと天正年間(戦国時代)の話だが、こっちの話は今昔物語に載っている位だから平安末期には既にあった話だ。時代の隔たりは数百年あるが、これ元になった話は同じで神社創建まで遡りそうな感じがする。


豊川市 犬頭神社2

そして岡崎市の「糟目犬頭神社」と豊川市の「犬頭神社」はどちらも「犬頭大明神」と云われていたので、やはりこちらの神社も同じ時代、同じ神が元々祀られていたように思う。


次回はこの犬頭糸に関連するもう一つの神社について考えたいと思います。


2018-01-25

◆犬神様を考える 第4回  ~遺体を分ける意味~

民話(昔話)と言うものは、その人の受け取り方により変わるものだ。


「でたらめだ。」


で終わればそれまでだし、そのまま全て受け入れるだけでは


「よく分からん話だなぁ」


で終わってしまうこともある。


どんな突拍子もない話でも、その話が何百年も残るというのは意味がある。


当初の歴史そのままが昔話になっていることもあれば、古文書に残っていると言っても、人から人へ伝えられた話はオリジナルから変化していることも十分あり得る。


大蛇と犬の昔話を改めて読み返してみると、斬られた頭と体(尾)を、一か所ではなく別々に祀るというのは何とも疑問であった。


また、いくら忠義を尽くした愛犬とはいえ、墓を作るならともかく神として何か所も祀るというのも引っかかる。


遺体を分ける謎、そして何故犬を神に祀り上げたのか?


それを解く切っ掛けとなったのものが、糟目犬頭神社の境内に残されていた。


岡崎市 犬頭神社2


新田義貞の首塚である。


鎌倉時代~南北朝時代に活躍した有名武人の首塚と伝わる祠が、何故か愛知県岡崎市に在るのだ。


次から次へと謎が出てくるが、新田義貞の謎は本筋から外れると思ったので一先ず置いておくが、この「首塚」という言葉から犬の遺体を分けた理由が見えてきた。


それは、特に戦乱の多かった時代に見受けられるが、歴史上の人物で討たれた方の武人達を祀る塚は「首」だけが多いのだ。


首塚を作る場合、討った側が作る場合と、後に討たれた側が首を奪還し作る場合がある。そして首(塚)と胴(塚)を別々の場所へ祀ることも多いのである。


首と胴を別々に葬る。


これはその時の状況により理由も様々だと思う。例えば自刃した殿様の首を家臣が持ち帰り埋めた場合は首塚だけとなろう。敵陣に残った胴体はその近辺で胴塚となる。


しかし、討った側が頭と胴を両方手元にある場合も遺体は同じ場所へ埋めず、首と胴を離れた位置に祀っていたように思う。


平安時代の話で、関東の英雄「平将門公」は戦場で流れ矢に当たり絶命した。後に逆賊として京都で晒し首となったが、将門公の首はうなりを上げ胴がある関東目掛けて空を飛んだという。


その後(所説あり)、岐阜県の上空を通った際、隼人神に矢で撃ち落とされ、落ちた所が後に御首神社として現存している。


この将門公の昔話で首が空を飛ぶのは大嘘!と言うのは簡単だが、この話から当時の人の考え方が見える。


それは殺された方の首と体を分けないと、いつか復活して殺した方に祟るのではないか?


と言うことだ。反魂の阻止なのである。


この地域に残る複数の犬の名がつく神社。これは犬が復活しないように遺体を分けたのでは?と考えた。


今一つの疑問、何故動物の犬を神として祀るのか?という疑問も、こう解釈すれば納得できる。


それは動物の犬ではなく、犬とされた人間だったのでは?と言うことだ。


そうなるとこうも解釈できる。大蛇も実は人間だったのではないかと・・・。


犬ではなく非業な死を遂げた人間であれば、残った方は神として祀ると思えるのだ。


次回はもう一つの昔話「犬頭糸」について考察します。



南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・

阿弥陀如来


プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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