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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆松本城の松姫伝説

松本城の二十六夜神の話を調べていた時に、松本城に残る他の昔話で出てきました。

今回はその中で気になったものを紹介したいと思います。松本城のHPに載っていました。


◆松姫伝説

松本城の5人目の城主、戸田康長と徳川家康の妹、松姫が結婚し、永兼(ながかね)という男子が生まれました。

松姫は、24歳のとき二連木城(にれんぎじょう:愛知県豊橋市)で亡くなっていて、松本に来たことはなかった。

永兼は体が弱かったので、家をついだのは、永兼の母親ちがいの弟康直(やすなお)でした。その後、永兼は役職につくこともなく、40歳で松本で亡くなった。

弟康直が家を継いだころから、戸田家にいろいろな不幸なできごとが起こりました。康直は、兄永兼の祟りではないかと怖れ、これを鎮めるために永兼の霊を陽谷霊社(ようこくれいしゃ)に祀った。
 
それがいつのころからか、戸田家の不幸な出来事は、自分の子が殿様になれなかった松姫のくやしい思いが悪霊となって引き起こしたといわれるようになり、陽谷様が松姫のことであるように信じられるようになった。




・・・と言うような怨霊話が出てまいりました。城主と正妻の息子永兼は後継ぎになれず、側室の息子である康直が継いだ後、具体的に何があったか分かりませんが不幸が起きまくったようです。
 
 
其の原因が兄の祟りではないか?と怖れたのは、実感として兄が恨んでいるという確証があったのかもしれません。この康直につて調べてみたところ、寛永10年に城主になり、一か月余りで転封(てんぽう:大名の配置換え)されていました。そしてその翌年の寛永11年5月12日、18歳の若さで亡くなっていました。
 
 
死因は分かりませんでした。病気、事故、殺害、自決・・・。良く分からない故に不気味さを感じます。


暘谷神社について調べていたら、神社の来歴の画像を撮影したものが出てきました。撮影した方に感謝です。


松本神社 

要点だけ引用します。


①丹羽守光慈が叔父にあたる松平孫六郎永兼の霊を暘谷神として祀った。

②最初の暘谷社は丹羽守光慈が播磨国明石で城主をしていた城内に祀った。

③享保十一年(1726年)丹羽守光慈が松本城の城主になると共に、暘谷神社も遷る。

④その後、時代と共に松本城と所縁のある先祖神達を合祀、最後に八幡神を合祀して現在に至る。
 
 
というものでした。


神社にある来歴と、松本城のHPにある来歴に違いがありました。神社の方には、永兼を祀ったのは、永兼の甥にあたる丹羽守光慈が当時城主をしていた播磨国明石の城内に祀ったのが最初、松本城のHPでは永兼の祟りを恐れた腹違いの弟、康直が建てたことになっています。
 
 
また神社を建てた年度も違います。前者は1636年、後者は康直が松本城の城主をやっていた短い期間、寛永10年とあるので1633年です。神社の建立年度も3年の違いがあるのです。


昔のことなので、記録にも食い違いがあるのかもしれません。ただ言えることは丹羽守光慈も戸田康直も、永兼の死後、神として祭り上げているので怖れていたのは間違いないのかなと思いました。
 
 
松本城に残る歴史は、暗い話が他にも残っています。前回のブログにもある謎の神が出てきて神棚に祀れと言うは話があるのは、もともとこの城、土地に何某かの因縁があるのかもしれないなと思いました。


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