お客様から頂いた画像で興味深いものがありましたので、考えてみたいと思います。
頂いたのは松本城(長野県)の画像です。私は松本城には行ったことが無いです。
気になったのは城の内部に祀られている神棚です。

何でも「二十六夜神」という神様だそうです。聞いたことがない神様が出てきました。

来歴も大変興味深いですが、この来歴については次回に考察してみたいと思います。
まず、この二十六夜神というのを調べてみました。松本城のHPにはこう記されていました。
月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500キログラム)の米を炊いて供えたといわれています。関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されています。
なるほど、昔はお月様そのものが信仰の対象になっていたようです。月の満ち欠けは月齢で表現されますが、月齢0が新月で、15が満月となります。そして数が増えていき29が最後となり、その次がまた0になると知りました。二十六夜神は月齢の26日目のお月様の神ということです。
室町時代にはこの月の信仰は確認されており、江戸時代になると全国に広まっていったようです。神道の月読命や仏教の仏が習合していたようです。どこかの寺社が有名というより民間に広がっていた信仰の一つですね。
茨城県の常福寺では、二十六夜尊という仏様がいらっしゃいました。調べてみたら常福寺第二世了譽(聖冏)上人が死後、二十六夜尊として祀られたようです。
お寺のHPによれば、了譽上人とはこういうお坊さんであったと紹介されています。
眉間の上には、上弦の月影の疵跡があってその容貌が非凡のため、文殊大士にも似た未来の麒麟児ならんとして、常福寺開祖了実上人から迎えられ入門した。
了誉上人は、修業勉学に専念したので内外の典籍に通暁し、識力・法力ともに浄土の伝統たぐいなく光を増し、また諸国に学者を訪ね八宗九宗の奥義をきわめた。さらに神道、和歌にも通じ、その博学宏才は衆を超えたと伝えられている。
非凡な才覚を持ち、浄土宗に名を残すような偉大な僧侶でした。神道にも長けていたり、法力云々とあるので、ひょっとすると御祈祷的なこともやれるお坊様だったのかもしれません。その才能と額の上弦の月の形の傷跡から、死後に当時流行していた月待ち信仰の、二十六夜神の生まれ変わりと考えられたのか、習合したのでしょう。
江戸時代には月待ち信仰は関東周辺で流行していたと分かりました。次回は松本城に残る来歴について考察したいと思います。
紅葉屋呉服店はこちらまで
頂いたのは松本城(長野県)の画像です。私は松本城には行ったことが無いです。
気になったのは城の内部に祀られている神棚です。

何でも「二十六夜神」という神様だそうです。聞いたことがない神様が出てきました。

来歴も大変興味深いですが、この来歴については次回に考察してみたいと思います。
まず、この二十六夜神というのを調べてみました。松本城のHPにはこう記されていました。
月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500キログラム)の米を炊いて供えたといわれています。関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されています。
なるほど、昔はお月様そのものが信仰の対象になっていたようです。月の満ち欠けは月齢で表現されますが、月齢0が新月で、15が満月となります。そして数が増えていき29が最後となり、その次がまた0になると知りました。二十六夜神は月齢の26日目のお月様の神ということです。
室町時代にはこの月の信仰は確認されており、江戸時代になると全国に広まっていったようです。神道の月読命や仏教の仏が習合していたようです。どこかの寺社が有名というより民間に広がっていた信仰の一つですね。
茨城県の常福寺では、二十六夜尊という仏様がいらっしゃいました。調べてみたら常福寺第二世了譽(聖冏)上人が死後、二十六夜尊として祀られたようです。
お寺のHPによれば、了譽上人とはこういうお坊さんであったと紹介されています。
眉間の上には、上弦の月影の疵跡があってその容貌が非凡のため、文殊大士にも似た未来の麒麟児ならんとして、常福寺開祖了実上人から迎えられ入門した。
了誉上人は、修業勉学に専念したので内外の典籍に通暁し、識力・法力ともに浄土の伝統たぐいなく光を増し、また諸国に学者を訪ね八宗九宗の奥義をきわめた。さらに神道、和歌にも通じ、その博学宏才は衆を超えたと伝えられている。
非凡な才覚を持ち、浄土宗に名を残すような偉大な僧侶でした。神道にも長けていたり、法力云々とあるので、ひょっとすると御祈祷的なこともやれるお坊様だったのかもしれません。その才能と額の上弦の月の形の傷跡から、死後に当時流行していた月待ち信仰の、二十六夜神の生まれ変わりと考えられたのか、習合したのでしょう。
江戸時代には月待ち信仰は関東周辺で流行していたと分かりました。次回は松本城に残る来歴について考察したいと思います。
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