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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆厳島神社と弁才天

日本に祀られる弁才天で有名な所を挙げますと、天河神社(奈良県)、竹生島(滋賀県)、江の島(神奈川県)、厳島(広島)などがあります。
 
 
この中で元々が仏教由来の弁才天で始まったと思われるところは、天河、竹生島、江の島です。厳島はどうも神様を祀ったのが最初のようです。私はこの4か所の弁才天は参拝に行きましたが、振り返るに厳島神社だけはちょっと雰囲気が他の三か所とは違うなと思いました。きつい感じがするのです。


厳島神社

厳島神社の弁才天についてはきちんと調べたことがなかったなと思い、調べてみました。厳島神社のHPにはこうありました。


当社の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられた。

宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。鞍職は大神様が高天原から連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと、御祭神と共に島の浦々を巡り、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられる。

その後安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸(ごこう)、治承4年(1180)3月と9月に高倉上皇の御幸(ごこう)があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされた。



創建が飛鳥時代に遡るというのはすごいですね。古いです。厳島神社は最初から神社として始まったというのが分かりました。
厳島神社は宗像三神と呼ばれる3柱の女神を祀っています。


・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

・田心姫命(たごりひめのみこと)

・湍津姫命(たぎつひめのみこと)


のお三方です。


手元の資料によれば、「延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)」には「安芸国佐伯郡伊都伎嶋神社」とあります。厳島は全体が神域とされており、島には墓所がなく、葬式や出産、農耕。生類捕獲が禁止されていました。


現在では三女神が御祭神ですが、主祀神は次女にあたる市杵島姫命だったということです。厳島は安芸の宮島という呼び方のが多いと思いますが、本当は厳島の方ですね。
  
 
厳島と呼ばれるようになったのは諸説ありますが、主祀神の市杵島姫命の「いちきしま」の部分が厳島になったのではと思います。厳島神社の市杵島姫命は、中世に弁才天と習合し、以後江戸時代まで弁才天の聖地に数えられるようになりました。
 

弁才天は弁財天とも言いますが、商売の神とか金運の神とも言われています。そっちの方が有名ですが、古くは才能を授けてくれる神様であり、軍神でもありました。


平清盛をはじめ、多くの武将がお参りしていたのもそのためでしょう。

 
神仏習合は様々な神や仏が合体しましたが、弁才天はその最たる例だと思います。弁才天は宇賀神、豊玉姫、宇賀御魂神、稲荷神、荼枳尼天、大黒天、毘沙門天、吉祥天等々と習合しました。
 

弁才天を調べるととにかく現世利益の強い仏様だと分かります。その御利益の強さは様々な神仏と習合したことによる部分も多分にあると思います。
 
 
紅葉屋呉服店はこちらまで


参考文献
日本の神様読み解き事典 川口謙二 柏書房
神仏習合の本  学研



 
 
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