名古屋市にある熱田神宮。その熱田神宮の近くに金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)があります。子供の頃、車で移動中に目に留まり、父に聞いたら「こんぴらさんだ」と教えてもらいました。
最近、この「こんぴらさん」のことがふと気になり、調べてみました。実際のところ良く分かっていなかったです。
金刀比羅神社の総本宮は香川県琴平町の象頭山に鎮座する金刀比羅宮でした。金刀比羅宮のHPにはこのような記載がありました。
それによりますと、御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)とありました。「大物主神は建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で、農業・殖産・医薬・海上守護など広汎な神徳を持つ神様として全国の人々の厚い信仰を集めています」とのことです。
また同HPによればこうもありました。
神代の昔琴平附近は海岸で、今の琴平の地は良い港であつた。それ故 大物主大神(大國主神)が國土御經營に當り此良地勢を利用せられ山上に行宮を造らせ給ひ、之を策源の中心として表日本を御經營遊ばされたのである。其行宮の蹟に神靈を鎭祭し奉つたのが即ち金刀比羅宮である。
・・・という伝説があるようです。神代の昔は島だったそうです。この話は昭和16年発行の「神代の琴平山」という本にあるようです。
神社のHPからはこのようなことが分かりました。今度は書物(神仏習合の本 学研)から調べてみました。それによると神社側の話とは全然違うのものが出て参りました。以下気になった個所を抜粋します。
①江戸期以前は金毘羅権現(こんぴらごんげん)と言った。権現とは仏が神の姿で現れること。
②金毘羅宮はかつては松尾寺と言っていた時代があり、そこの境内に金毘羅権現が祀られていた。
③お寺の釈迦如来や伽藍を守護する目的で祀られていた。
④慶長年間(1596~1615)頃に修験道の色が濃くなり始めた。
⑤近世になり、航海安全の神、海運、漁業を司る龍神とされ、金毘羅権現詣でが隆盛を迎える。
⑥仏教では金毘羅権現とは宮毘羅大将(くびらたいしょう)のこと。薬師如来を守護する12神将に名を連ねる善神。
⑦宮毘羅大将はインドではクンビーラと呼ばれる恐ろしい水神で、のちに釈迦に帰依し仏を守る守護神となった。
⑧中国では蛟龍(こうりゅう)とし、金毘羅竜王と云う。
⑨民間信仰では牛頭天王様と同神(!)ともされ、疫神として祀られることもある。
なんか神社側の説明とは全く違うものが出てまいりました。神社側の説明より、手元の資料の話のがより詳細で、説得力がありました。
江戸期以前の金毘羅宮は、仏教の金毘羅権現を祀っていました。金毘羅権現とは、仏教の宮毘羅大将と神道の大物主の神が集合して生まれた神様だったのでしょう。大本が寺の守護神とあるので、宮毘羅大将の面が強い仏様だったと思います。
それが明治の政策で神道にはない権現を祀る寺は標的になったのでしょう。金毘羅権現は生き残る為に、仏教的要素を外し、大物主を祀る神社として生まれ変わったのだと思います。
大物主神は、奈良県の有名神社大神神社の御祭神でもあります。大神神社の神様は、蛇体の水神という側面もありますのでこの辺りも龍神の性質を持つ宮毘羅大将と同じとされたのでしょう。
色々調べてみたら、金毘羅さんがどういう神様だったのかが良く分かりました。大物主神がどうして金毘羅というのかが分かりませんでしたが、宮毘羅大将が元だったと分かったので納得です。しかし、民間の信仰の一つとはいえ、あの牛頭天王様と同神とされていたことがあったというのは驚きました。
今でこそ牛頭天王様を祀る寺社は殆ど無くなりましたが、津島の牛頭天王様が遠く離れた香川県までその信仰が拡がっていたというのは凄いことです。

金毘羅権現の御札
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最近、この「こんぴらさん」のことがふと気になり、調べてみました。実際のところ良く分かっていなかったです。
金刀比羅神社の総本宮は香川県琴平町の象頭山に鎮座する金刀比羅宮でした。金刀比羅宮のHPにはこのような記載がありました。
それによりますと、御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)とありました。「大物主神は建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で、農業・殖産・医薬・海上守護など広汎な神徳を持つ神様として全国の人々の厚い信仰を集めています」とのことです。
また同HPによればこうもありました。
神代の昔琴平附近は海岸で、今の琴平の地は良い港であつた。それ故 大物主大神(大國主神)が國土御經營に當り此良地勢を利用せられ山上に行宮を造らせ給ひ、之を策源の中心として表日本を御經營遊ばされたのである。其行宮の蹟に神靈を鎭祭し奉つたのが即ち金刀比羅宮である。
・・・という伝説があるようです。神代の昔は島だったそうです。この話は昭和16年発行の「神代の琴平山」という本にあるようです。
神社のHPからはこのようなことが分かりました。今度は書物(神仏習合の本 学研)から調べてみました。それによると神社側の話とは全然違うのものが出て参りました。以下気になった個所を抜粋します。
①江戸期以前は金毘羅権現(こんぴらごんげん)と言った。権現とは仏が神の姿で現れること。
②金毘羅宮はかつては松尾寺と言っていた時代があり、そこの境内に金毘羅権現が祀られていた。
③お寺の釈迦如来や伽藍を守護する目的で祀られていた。
④慶長年間(1596~1615)頃に修験道の色が濃くなり始めた。
⑤近世になり、航海安全の神、海運、漁業を司る龍神とされ、金毘羅権現詣でが隆盛を迎える。
⑥仏教では金毘羅権現とは宮毘羅大将(くびらたいしょう)のこと。薬師如来を守護する12神将に名を連ねる善神。
⑦宮毘羅大将はインドではクンビーラと呼ばれる恐ろしい水神で、のちに釈迦に帰依し仏を守る守護神となった。
⑧中国では蛟龍(こうりゅう)とし、金毘羅竜王と云う。
⑨民間信仰では牛頭天王様と同神(!)ともされ、疫神として祀られることもある。
なんか神社側の説明とは全く違うものが出てまいりました。神社側の説明より、手元の資料の話のがより詳細で、説得力がありました。
江戸期以前の金毘羅宮は、仏教の金毘羅権現を祀っていました。金毘羅権現とは、仏教の宮毘羅大将と神道の大物主の神が集合して生まれた神様だったのでしょう。大本が寺の守護神とあるので、宮毘羅大将の面が強い仏様だったと思います。
それが明治の政策で神道にはない権現を祀る寺は標的になったのでしょう。金毘羅権現は生き残る為に、仏教的要素を外し、大物主を祀る神社として生まれ変わったのだと思います。
大物主神は、奈良県の有名神社大神神社の御祭神でもあります。大神神社の神様は、蛇体の水神という側面もありますのでこの辺りも龍神の性質を持つ宮毘羅大将と同じとされたのでしょう。
色々調べてみたら、金毘羅さんがどういう神様だったのかが良く分かりました。大物主神がどうして金毘羅というのかが分かりませんでしたが、宮毘羅大将が元だったと分かったので納得です。しかし、民間の信仰の一つとはいえ、あの牛頭天王様と同神とされていたことがあったというのは驚きました。
今でこそ牛頭天王様を祀る寺社は殆ど無くなりましたが、津島の牛頭天王様が遠く離れた香川県までその信仰が拡がっていたというのは凄いことです。

金毘羅権現の御札
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