天河神社参拝を終えて、色々と思うことがありました。
当店へご来店された方の中には、ご存知の方も多いと思いますが、我が家では神様や仏様をお祀りしています。
在家では珍しい部類になるかと思いますが、さながらお寺のようです。
先代が亡くなった後(実際には亡くなる少し前)、私の一番気になっていたのは、家で祀る神仏への接し方でした。最適解が分からない状態から、一つずつ意識して、より向かい合うようになりますとこうした方が良いのでは?と気付きを頂くようになりました。
そんな中、何時頃からか一つの疑問が湧いてきました。それは自分が主にする神仏は一体どなたなのだろうか?と言うものです。
それが天河神社参拝を経てはっきりと分かりました。
私にとっては弁天様でした。
先代は生涯仏様への信仰心を捨てなかったです。父は仕事のことで悩んでいる時に言葉を投げかけてくれました。それは「稲荷を味方につけると楽だぞ」というものでした。事実、父は観世音菩薩と稲荷神は熱心にお参りしていました。
頭で理解している場合と、実践の中で学ぶことは違うように思います。
いくら稲荷神を味方にしようとしても、こちらから働きかけないと動いてくれるものも、動いてくれないように思います。それにここはと決めたお稲荷さんがあっても、数回の参拝で終わっては意味がないでしょう。
この神仏を味方につけたいと熱心にお参りしたり、何度も参拝に行ったり、御札を分けてもらって家でも祀ったりしていると確かに変わってくるように思います。
また、これも続けていて分かったことですが、気持ちが入ってお参りを続けていると、別の神仏とのご縁が結ばれることもあります。
私の場合、子供の頃から気付けば観音様やお稲荷さん、天神様と一緒に生活する環境でしたが、お参りをずっと続けていたら、何故か弁天様をお参りするようになってしまいました。
これは我が家のお稲荷さんが道筋をつけてくれたのではと思いますが、弁天様の方からも呼んでもらえたのでしょう。有難いことです。でも、これは何も特別なことでは無く、誰でも素直に心から信じて求めれば、自然と行くべき寺社、神仏に辿り着けると思います。
紅葉屋呉服店はこちらまで

画像は天河神社参拝後、移動中にみつけた毘沙門堂。鍵が掛かっていましたが、地元の人に声をかけて頂き開けてもらえました。
当店へご来店された方の中には、ご存知の方も多いと思いますが、我が家では神様や仏様をお祀りしています。
在家では珍しい部類になるかと思いますが、さながらお寺のようです。
先代が亡くなった後(実際には亡くなる少し前)、私の一番気になっていたのは、家で祀る神仏への接し方でした。最適解が分からない状態から、一つずつ意識して、より向かい合うようになりますとこうした方が良いのでは?と気付きを頂くようになりました。
そんな中、何時頃からか一つの疑問が湧いてきました。それは自分が主にする神仏は一体どなたなのだろうか?と言うものです。
それが天河神社参拝を経てはっきりと分かりました。
私にとっては弁天様でした。
先代は生涯仏様への信仰心を捨てなかったです。父は仕事のことで悩んでいる時に言葉を投げかけてくれました。それは「稲荷を味方につけると楽だぞ」というものでした。事実、父は観世音菩薩と稲荷神は熱心にお参りしていました。
頭で理解している場合と、実践の中で学ぶことは違うように思います。
いくら稲荷神を味方にしようとしても、こちらから働きかけないと動いてくれるものも、動いてくれないように思います。それにここはと決めたお稲荷さんがあっても、数回の参拝で終わっては意味がないでしょう。
この神仏を味方につけたいと熱心にお参りしたり、何度も参拝に行ったり、御札を分けてもらって家でも祀ったりしていると確かに変わってくるように思います。
また、これも続けていて分かったことですが、気持ちが入ってお参りを続けていると、別の神仏とのご縁が結ばれることもあります。
私の場合、子供の頃から気付けば観音様やお稲荷さん、天神様と一緒に生活する環境でしたが、お参りをずっと続けていたら、何故か弁天様をお参りするようになってしまいました。
これは我が家のお稲荷さんが道筋をつけてくれたのではと思いますが、弁天様の方からも呼んでもらえたのでしょう。有難いことです。でも、これは何も特別なことでは無く、誰でも素直に心から信じて求めれば、自然と行くべき寺社、神仏に辿り着けると思います。
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画像は天河神社参拝後、移動中にみつけた毘沙門堂。鍵が掛かっていましたが、地元の人に声をかけて頂き開けてもらえました。
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