休日に久しぶりに一人で寺社参りに行った時のお話です。
休日はいつも家族と一緒が多いですが、今回は一人で休日を過ごすことになったのでどこに行こうかと思案しました。久しぶりに奈良に行くか、国立博物館が良いなと言う結論になりました。しかし、前日になり急遽予定を変更し、二日前まで頭に全く無かった天河弁才天へ参拝に行くことになりました。

そう至った理由はこのような理由があったからです。
①たまたま大峰山の蔵王権現曼荼羅の掛軸を目にすることがあった。(前回ブログ参照)
②たまたま立ち寄った本屋で蔵王権現の表紙の本を見つけた。
③真言宗のお坊さんの著書を読んでいた時に、弁才天の御利益についての記述があった。
この三つが切っ掛けで、決定打になったのは③の本を読んでいる最中に「奈良に行くなら天河だ。博物館じゃない」と頭の中に言葉がいきなり浮かんできたことでした。天河神社に行く気は全然無かったので決めた時は自分でも驚きました。
それと天河行きを決めたも理由はもう一つありました。おみくじです。2022年の秋頃、我が家とご縁をのあるお稲荷さんの大本の寺、岡山県の最上稲荷に家族で参拝に行った際、何か最上稲荷様に必要なお言葉を頂きたいと、帰り際におみくじを引きました。
その御神籤にあった文言の中で、「うん?」という箇所がありました。一言一句は忘れましたがこのようなものです。
「あなたが求めた最高のタイミングで思わぬ協力者があらわれるでしょう」
一体何のことか、誰か縁を拡げてくれるような人が出てくるのかな?とその時は思いましたが、今回、理屈ではない何かものすごく引っ張られるような感じで気付かせてもらいましたが、この協力者というのがどうも弁天様のような気がしたのです。
我が家では奇縁有りまして江戸時代の弁才天像を祀っています。(この弁才天像については過去ブログに纏めましたので、ご興味のある方は読んでみてください)
この宇賀弁才天像は2021年の春ごろに修理・開眼を終え現在に至りますが、この年変わった初夢を観ました。1月2日です。
それは始めて会うお坊様でした。白い山を歩くような着物姿でした。お坊さんは「おまえが何に守られているか教えてやろうか?」と言いました。私は「はい、お願いします」と答えると、「ここに来る前に既にすれ違っておるわ」と言いました。後ろを振り返るとそこには見上げるような大きさの宇賀神がいたというものです。

天河に行こうと決めたのは、これらの点と点が一つに結ばれたような気がしたからです。
朝早く家を出て、天河神社に到着したのは9時45分でした。天河神社は4回目のお参りです。その中には2回の御開帳がありました。4回目の参拝では、過去2回の御開帳の縁で頂いたお札が2枚ありましたので、これもお返ししてきました。
私は寺社参りの時は殆どお願い事をしたことがありません。しかし、今回はお願いに行って来ました。
参拝後、これも根拠は無くいきなり脳裏に浮かんだのですが、家で祀っている弁才天像の最初の持ち主は、どうもこの地域を中心に修行をしていた僧侶では?家に祀る弁才天像は天河と縁が深いのでは?と思うようになりました。
この日気付いたことは私の思い込みと言われればそれまでですが、いろいろな意味で衝撃的な1日となりました。
紅葉屋呉服店はこちらまで
休日はいつも家族と一緒が多いですが、今回は一人で休日を過ごすことになったのでどこに行こうかと思案しました。久しぶりに奈良に行くか、国立博物館が良いなと言う結論になりました。しかし、前日になり急遽予定を変更し、二日前まで頭に全く無かった天河弁才天へ参拝に行くことになりました。

そう至った理由はこのような理由があったからです。
①たまたま大峰山の蔵王権現曼荼羅の掛軸を目にすることがあった。(前回ブログ参照)
②たまたま立ち寄った本屋で蔵王権現の表紙の本を見つけた。
③真言宗のお坊さんの著書を読んでいた時に、弁才天の御利益についての記述があった。
この三つが切っ掛けで、決定打になったのは③の本を読んでいる最中に「奈良に行くなら天河だ。博物館じゃない」と頭の中に言葉がいきなり浮かんできたことでした。天河神社に行く気は全然無かったので決めた時は自分でも驚きました。
それと天河行きを決めたも理由はもう一つありました。おみくじです。2022年の秋頃、我が家とご縁をのあるお稲荷さんの大本の寺、岡山県の最上稲荷に家族で参拝に行った際、何か最上稲荷様に必要なお言葉を頂きたいと、帰り際におみくじを引きました。
その御神籤にあった文言の中で、「うん?」という箇所がありました。一言一句は忘れましたがこのようなものです。
「あなたが求めた最高のタイミングで思わぬ協力者があらわれるでしょう」
一体何のことか、誰か縁を拡げてくれるような人が出てくるのかな?とその時は思いましたが、今回、理屈ではない何かものすごく引っ張られるような感じで気付かせてもらいましたが、この協力者というのがどうも弁天様のような気がしたのです。
我が家では奇縁有りまして江戸時代の弁才天像を祀っています。(この弁才天像については過去ブログに纏めましたので、ご興味のある方は読んでみてください)
この宇賀弁才天像は2021年の春ごろに修理・開眼を終え現在に至りますが、この年変わった初夢を観ました。1月2日です。
それは始めて会うお坊様でした。白い山を歩くような着物姿でした。お坊さんは「おまえが何に守られているか教えてやろうか?」と言いました。私は「はい、お願いします」と答えると、「ここに来る前に既にすれ違っておるわ」と言いました。後ろを振り返るとそこには見上げるような大きさの宇賀神がいたというものです。

天河に行こうと決めたのは、これらの点と点が一つに結ばれたような気がしたからです。
朝早く家を出て、天河神社に到着したのは9時45分でした。天河神社は4回目のお参りです。その中には2回の御開帳がありました。4回目の参拝では、過去2回の御開帳の縁で頂いたお札が2枚ありましたので、これもお返ししてきました。
私は寺社参りの時は殆どお願い事をしたことがありません。しかし、今回はお願いに行って来ました。
参拝後、これも根拠は無くいきなり脳裏に浮かんだのですが、家で祀っている弁才天像の最初の持ち主は、どうもこの地域を中心に修行をしていた僧侶では?家に祀る弁才天像は天河と縁が深いのでは?と思うようになりました。
この日気付いたことは私の思い込みと言われればそれまでですが、いろいろな意味で衝撃的な1日となりました。
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