蔵王権現の曼荼羅図(掛軸)を見る機会があった。時代はそれほど古くはないと思います。

蔵王権現を中心に様々な仏様が画かれています。蔵王権現の正式名称委は「金剛蔵王権現」と言います。

下から見ますと向かって左が不動明王、右側が役行者です。前鬼と後鬼を引き連れています。
この曼荼羅図の本尊が、蔵王権現です。吉野の金峰山寺にある蔵王権現が有名ですね。

蔵王権現の周りには八大金剛童子という神様がいます。不動明王の御眷属にも八大童子という神々がいらっしゃいますが、それとは違うのかもしれません。
地図の上の方には地蔵菩薩と弁才天がいます。

吉野の弁才天と言えば、天河弁才天でしょう。
吉野には2,3回お参りに出かけたことがありますが、地蔵菩薩は気付かなかったです。どこかにあるのかと調べてみたら、役行者の伝説が残る地蔵菩薩像が出てきました。
その来歴が分かりました。現在は金剛寺にて管理されているようです。
その音大峰山を開かれた「役(えん)の行者」が、ご自分で彫刻された地蔵菩薩像を大峰山から投げられ、神之谷に落ちたものを地元住民が有難く感じ、役の行者を讃えて大切におまつりしてきたと伝えています。また、和泉流狂言の「川上」に、日の見えない者が川上の地蔵に詣でて目が見えるようになった語りがあり、壷阪霊現記の「お里沢市」の元の話として、『川上地蔵』の名で親しまれてきたお地蔵様でもあります。
・・・というものです。興味深い来歴です。役行者が自分で彫り終えた地蔵菩薩像を山の上から投げ捨てた(!)というのです。自分でお参りするために彫っていた地蔵菩薩を「これではない」ということで投げ捨てたということでしょうか。
役行者を調べると、蔵王権現を祀る様になった経緯についての昔話が出てきます。
大峰山上ヶ岳の山頂にある大岩に座した役行者。地上強調文で苦しむ人々の災いをとり省くには、一体どの仏を祈れば良いのか?
そう強く念じながら、孔雀明王経や不動明王経を一心に唱えていた所、最初に呼応して出てきたのが弁才天でした。しかし、役行者がイメージしたのは破邪の神だったので、弁才天ではあまりにも優美過ぎました。
もっと違う仏をと願ったいたら、次に出てきたのが地蔵菩薩でした。しかし、それも役行者のイメージした仏様ではなかったそうです。そして最後に出てきたのが荒ぶる姿の蔵王権現だったというものです。
前述の地蔵菩薩像を山から捨てたという珍しい来歴は、多分この時の昔話が出処になっているのではと思います。掛軸の上部に画かれた地蔵菩薩と弁才天も納得です。
ただ、色々と調べてみると書籍によって蔵王権現感得に至る話は違うパターンがあり、出現する仏様が違う場合があります。弁才天の代わりに釈迦如来、地蔵菩薩の代わりに千手観音が出現したという話もありました。
どっちが正しいかというのを調べても、もう結論は出ないでしょうが、蔵王権現を祀る吉野方面には有名な弁才天社もありますので、個人的には弁財天と地蔵菩薩が現れる話のが、より古い話なのかなと思います。
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参考文献
修験道の本 学研
山伏・修験道の本尊 蔵王権現入門 総本山金峰山寺 国書刊行会

蔵王権現を中心に様々な仏様が画かれています。蔵王権現の正式名称委は「金剛蔵王権現」と言います。

下から見ますと向かって左が不動明王、右側が役行者です。前鬼と後鬼を引き連れています。
この曼荼羅図の本尊が、蔵王権現です。吉野の金峰山寺にある蔵王権現が有名ですね。

蔵王権現の周りには八大金剛童子という神様がいます。不動明王の御眷属にも八大童子という神々がいらっしゃいますが、それとは違うのかもしれません。
地図の上の方には地蔵菩薩と弁才天がいます。

吉野の弁才天と言えば、天河弁才天でしょう。
吉野には2,3回お参りに出かけたことがありますが、地蔵菩薩は気付かなかったです。どこかにあるのかと調べてみたら、役行者の伝説が残る地蔵菩薩像が出てきました。
その来歴が分かりました。現在は金剛寺にて管理されているようです。
その音大峰山を開かれた「役(えん)の行者」が、ご自分で彫刻された地蔵菩薩像を大峰山から投げられ、神之谷に落ちたものを地元住民が有難く感じ、役の行者を讃えて大切におまつりしてきたと伝えています。また、和泉流狂言の「川上」に、日の見えない者が川上の地蔵に詣でて目が見えるようになった語りがあり、壷阪霊現記の「お里沢市」の元の話として、『川上地蔵』の名で親しまれてきたお地蔵様でもあります。
・・・というものです。興味深い来歴です。役行者が自分で彫り終えた地蔵菩薩像を山の上から投げ捨てた(!)というのです。自分でお参りするために彫っていた地蔵菩薩を「これではない」ということで投げ捨てたということでしょうか。
役行者を調べると、蔵王権現を祀る様になった経緯についての昔話が出てきます。
大峰山上ヶ岳の山頂にある大岩に座した役行者。地上強調文で苦しむ人々の災いをとり省くには、一体どの仏を祈れば良いのか?
そう強く念じながら、孔雀明王経や不動明王経を一心に唱えていた所、最初に呼応して出てきたのが弁才天でした。しかし、役行者がイメージしたのは破邪の神だったので、弁才天ではあまりにも優美過ぎました。
もっと違う仏をと願ったいたら、次に出てきたのが地蔵菩薩でした。しかし、それも役行者のイメージした仏様ではなかったそうです。そして最後に出てきたのが荒ぶる姿の蔵王権現だったというものです。
前述の地蔵菩薩像を山から捨てたという珍しい来歴は、多分この時の昔話が出処になっているのではと思います。掛軸の上部に画かれた地蔵菩薩と弁才天も納得です。
ただ、色々と調べてみると書籍によって蔵王権現感得に至る話は違うパターンがあり、出現する仏様が違う場合があります。弁才天の代わりに釈迦如来、地蔵菩薩の代わりに千手観音が出現したという話もありました。
どっちが正しいかというのを調べても、もう結論は出ないでしょうが、蔵王権現を祀る吉野方面には有名な弁才天社もありますので、個人的には弁財天と地蔵菩薩が現れる話のが、より古い話なのかなと思います。
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修験道の本 学研
山伏・修験道の本尊 蔵王権現入門 総本山金峰山寺 国書刊行会
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