以前、大垣に住んでいる友人に付き添ってもらって参拝に行った神社が将門公所縁の「御首神社」だ。首から上の病にご利益があり、今でも神社の境内には首から上の病回復の願掛けに訪れた人々が奉納した、帽子が沢山る。
この神社、反乱の後、打ち首となった将門の首が祀ってあるそうだ。将門の首は当初、京都で晒し首となった。しかし、その怨念は凄まじく夜な夜な呻き声を上げ、身体が残っている故郷へ戻るため、ついにその首は中を舞い、東へと飛び立った。それを、とある神が矢で打ち落とし落ちた所が御首神社となった。
日本最古の本と言われる「古事記」の描写にもあるが、古来の日本人の感覚として殺した相手の遺体を切り刻むという風習があった。それは、身体を分ける事により「二度と復活させまい」というものだ。身体を求めて飛ぶ→身体に戻れば復活する→それを阻止するという考えが御首神社の伝説に込められていると思った。
また後日アップするが東京にも将門公の首塚がある。どちらが真実かはこの際どうでもいいが、岐阜の地に将門の怨霊伝説が残っているのは何か意味があるのだろう。
この神社に参拝に行った時、友人がある発見をした。神社に鳥居や改築工事のお布施した人達の名簿(石に彫ってあった)を見た時の話だ。
彼が言うには…いや、やっぱりこの話は辞めておきます。
帰宅後、神社で貰ったパンフレット(注:当時のもの)を見ていてそこに載っていた神事の写真を見た時愕然とした。焚き火の前で神主さんが御祭りをしている写真だが、その炎の姿が大きな人の顔になっていたのである
この神社、反乱の後、打ち首となった将門の首が祀ってあるそうだ。将門の首は当初、京都で晒し首となった。しかし、その怨念は凄まじく夜な夜な呻き声を上げ、身体が残っている故郷へ戻るため、ついにその首は中を舞い、東へと飛び立った。それを、とある神が矢で打ち落とし落ちた所が御首神社となった。
日本最古の本と言われる「古事記」の描写にもあるが、古来の日本人の感覚として殺した相手の遺体を切り刻むという風習があった。それは、身体を分ける事により「二度と復活させまい」というものだ。身体を求めて飛ぶ→身体に戻れば復活する→それを阻止するという考えが御首神社の伝説に込められていると思った。
また後日アップするが東京にも将門公の首塚がある。どちらが真実かはこの際どうでもいいが、岐阜の地に将門の怨霊伝説が残っているのは何か意味があるのだろう。
この神社に参拝に行った時、友人がある発見をした。神社に鳥居や改築工事のお布施した人達の名簿(石に彫ってあった)を見た時の話だ。
彼が言うには…いや、やっぱりこの話は辞めておきます。
帰宅後、神社で貰ったパンフレット(注:当時のもの)を見ていてそこに載っていた神事の写真を見た時愕然とした。焚き火の前で神主さんが御祭りをしている写真だが、その炎の姿が大きな人の顔になっていたのである

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