前回のブログで滋賀県にある「あかね古墳公園」について述べました。
今回は古墳について思った事を考察していきます。
形には意味があります。例えば天台・真言などの密教で言えば、護摩壇、印、法具等々。お抹茶や煎茶などの茶道でも所作や道具にはそれぞれの意味があります。
日本に沢山残る古墳も、形となると大体決まっています。方墳、円墳、前方後円墳などです。ただの権力者の墳墓であれば、形は如何様にでも作ってよさそうですが、そうならないのはその形に意味があるからでしょう。
私は古墳の形は鏡から来ていると思います。
円墳は丸い鏡

※画像は頂きもの
方墳は方鏡

※画像は頂きもの
前方後円墳は二種類の鏡を合わせた特別な形、あるいは鏡と矛を兼ね備えた形と考えました。
丸と四角の図形を調べると、古くは簠簋(ほき)という中国の祭祀に使う道具が出てきます。四角と丸の入れ物です。確か丸は宇宙を表し、四角は大地を表すとか。
弘法大師が唐から持ち帰った密教に関する宝物の中に曼荼羅がありましたが、曼荼羅の図を見ると、図形は四角と丸で成り立っています。やはりこれらの形には何らかの意味があると考えて良いでしょう。
鏡は三種の神器の一つにも数えられます。鏡形の古墳、しかも重ねた形に遺体を埋葬する。(鏡い餅の発想は二重の円墳からかも)
埋葬した遺体は石室という一種の密閉した箱に入れます。同時に副葬品も入れます。副葬品は銅鏡や剣、勾玉などを入れます。いずれも神が宿るとされる御神器です。
古墳の中には石室内を赤く塗っているものもあります。また、古墳の回りに堀を設け水を蓄えているのもあります。これは思うに中のご遺体に「火」と「水」の力を籠らせるという意味がある様に思います。古事記に出てくる海幸彦と山幸彦の神話です。
遺体に力を籠らせるには石室がまずはその役割を担います。籠った力を外に逃さないようにする為です。壁と空間です。
昔、密教のお坊様からこんな話を聞きました。古い仏像、特に神が宿るとされた霊木で彫られた古仏像は、秘仏扱いになることが多いというものです。これは仏像そのものに強い力があるので、私のような仏像好きが、たまにお参りする分には問題ないでしょうが、毎日経をあげお参りする僧侶からすると、パワー負けすることがあるからです。別に仏様が怒っているとかそういうことではないです。
純粋なある種の力です。強すぎる仏像の前では、厨子というケースに仏像を閉じ込めることでお参りしやすくなるそうです。秘仏は寺によっては1年毎、6年毎、12年毎、30年毎とある期間が過ぎると開帳することがあります。仏像好きにとっては一大イベントですが、秘仏であった期間に比例して仏像の厨子の間の空間には強い力が蓄えられます。
御開帳とはその本尊の蓄えられ、放出された力を頂くという意味があるように思えます。
梅原猛氏はその著書の中で、古墳とは山だと言っていました。山は異界であり、信仰の対象です。山そのものが神と言うことです。
あかね古墳公園の円墳、方墳共に造り出しと呼ばれる四角い部分が、古墳の南北に設けてありました。これは諸説あるようですが、一説には祭祀を執り行う場所というものがありますが、私もそうだと思います。祈りの対象が古墳でもあるわけです。
古墳の形、御神器の埋葬品、火と水の力、石室の空間、死して山となる、祈りの対象が古墳・・・このように考えますと、古代人たちは遺体にどうやって神の力を持たせるかということに腐心していたと思えます。
それが人を神にするという呪物、神道的に言えば巨大な御神器が古墳ではないか?と思いました。
今回は古墳について思った事を考察していきます。
形には意味があります。例えば天台・真言などの密教で言えば、護摩壇、印、法具等々。お抹茶や煎茶などの茶道でも所作や道具にはそれぞれの意味があります。
日本に沢山残る古墳も、形となると大体決まっています。方墳、円墳、前方後円墳などです。ただの権力者の墳墓であれば、形は如何様にでも作ってよさそうですが、そうならないのはその形に意味があるからでしょう。
私は古墳の形は鏡から来ていると思います。
円墳は丸い鏡

※画像は頂きもの
方墳は方鏡

※画像は頂きもの
前方後円墳は二種類の鏡を合わせた特別な形、あるいは鏡と矛を兼ね備えた形と考えました。
丸と四角の図形を調べると、古くは簠簋(ほき)という中国の祭祀に使う道具が出てきます。四角と丸の入れ物です。確か丸は宇宙を表し、四角は大地を表すとか。
弘法大師が唐から持ち帰った密教に関する宝物の中に曼荼羅がありましたが、曼荼羅の図を見ると、図形は四角と丸で成り立っています。やはりこれらの形には何らかの意味があると考えて良いでしょう。
鏡は三種の神器の一つにも数えられます。鏡形の古墳、しかも重ねた形に遺体を埋葬する。(鏡い餅の発想は二重の円墳からかも)
埋葬した遺体は石室という一種の密閉した箱に入れます。同時に副葬品も入れます。副葬品は銅鏡や剣、勾玉などを入れます。いずれも神が宿るとされる御神器です。
古墳の中には石室内を赤く塗っているものもあります。また、古墳の回りに堀を設け水を蓄えているのもあります。これは思うに中のご遺体に「火」と「水」の力を籠らせるという意味がある様に思います。古事記に出てくる海幸彦と山幸彦の神話です。
遺体に力を籠らせるには石室がまずはその役割を担います。籠った力を外に逃さないようにする為です。壁と空間です。
昔、密教のお坊様からこんな話を聞きました。古い仏像、特に神が宿るとされた霊木で彫られた古仏像は、秘仏扱いになることが多いというものです。これは仏像そのものに強い力があるので、私のような仏像好きが、たまにお参りする分には問題ないでしょうが、毎日経をあげお参りする僧侶からすると、パワー負けすることがあるからです。別に仏様が怒っているとかそういうことではないです。
純粋なある種の力です。強すぎる仏像の前では、厨子というケースに仏像を閉じ込めることでお参りしやすくなるそうです。秘仏は寺によっては1年毎、6年毎、12年毎、30年毎とある期間が過ぎると開帳することがあります。仏像好きにとっては一大イベントですが、秘仏であった期間に比例して仏像の厨子の間の空間には強い力が蓄えられます。
御開帳とはその本尊の蓄えられ、放出された力を頂くという意味があるように思えます。
梅原猛氏はその著書の中で、古墳とは山だと言っていました。山は異界であり、信仰の対象です。山そのものが神と言うことです。
あかね古墳公園の円墳、方墳共に造り出しと呼ばれる四角い部分が、古墳の南北に設けてありました。これは諸説あるようですが、一説には祭祀を執り行う場所というものがありますが、私もそうだと思います。祈りの対象が古墳でもあるわけです。
古墳の形、御神器の埋葬品、火と水の力、石室の空間、死して山となる、祈りの対象が古墳・・・このように考えますと、古代人たちは遺体にどうやって神の力を持たせるかということに腐心していたと思えます。
それが人を神にするという呪物、神道的に言えば巨大な御神器が古墳ではないか?と思いました。
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