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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆霊符とは? 第5回 神農と蚩尤

前回で神農のことが出て参りました。黄帝の御先祖にあたる薬の神様です。「農」という文字があるように農業の神でもあります。


今回のブログ趣旨は霊符についてのものですが、調べている内に神農と蚩尤について興味が出てきたので、少し脱線します。


黄帝の御先祖にあたるのが神農です。手元の資料によれば古代中国の最も有名な皇帝の一人で漢方薬の祖とあります。


実際にいた人なのか?それとも神様なのか?死んでから神となったのかは分かりません。日本の神社でも実際にいた人が死後神となった例もありますし、古事記に出てくる神々は、本当は実在した人間では?と思うこともあります。


さてこの神農、その姿は人身牛頭で姓を姜(きょう)と云います。生後三日目に言葉を話し、5日目に歩き、7日目には歯が生えるなど異常な速さで成長し、成人した時には3メートルに及びました。


神農は太一皇人(たいいつこうじん)なる人物が医学の大家であることを聞き、教えを請いに出かけましたが、本人不在の為会うことは出来ませんでした。しかし、太一皇人の弟子から天元玉冊という書物を授かります。


その思想に感銘を受けた神農は、各地に人を派遣し草木を集めさせ、自分の身体を実験台としてその汁を舐めました。多い時は一日で70種類もの毒草をなめ、その効能を調べました。


その中には強烈な毒草もあり、100回毒草に当たるも、100の薬草をみつけて生き返ったとの話もありました。そんな地道な命懸けの努力の結果、神農は365種類の薬を考案しました。


神農は自分の研究成果を本に纏めました。それが「神農本草」です。残念ながらこの本は現存していませんが、後に道教の大家、陶弘景(とうこうけい)がそれを基に「神農本草経」を完成させました。明の時代になると「本草綱目(ほんぞうこうもく)」が編纂され、漢方薬が確立しました。


神農は日本でも薬を生業とする人たちの間では信仰されているようで、日本で最初の神農に纏わる記録としては、寛永15年(1638)、幕府が江戸の牛込に御薬園(農事試験場)開設した際、園内に神農を祀る御堂を建てたというものがありました。


また、神農は降雨を自在に操ることが出来た雨師でもあったそうです。


神農について調べてみましたが、気になった個所が出てきました。


①神農の姿は蚩尤(しゆう)と同じ、人身牛頭である。

②蚩尤は天候を操るが、神農もまた雨を自在に降らす。




なにかもう神農と蚩尤は同族のような気がしてきました。蚩尤を調べますと81人の兄弟がいるとか、神農の子孫という話も出てきました。そうなると同じ神農の子孫である黄帝とは同族対決ということになります。


日本における道教は、陰陽道に形を変えて残りました。その陰陽道では、恐るべき祟り神の王ともいえる牛頭天王様が出てきます。八坂神社や津島神社にかつて主祀神として祀られていた神様です。牛頭天王様は密教に出会ったことで薬師如来と習合されましたが、祟り神時代はあらゆる病の王でもありました。
  
 
※牛頭天王様については過去ブログ参照 

 
その牛頭天王様も顔が牛なのです。人身牛頭の姿の、病を治す薬の王である神農とは真逆の存在です。陰陽道のルーツを辿ると道教に行き着くとするならば、神農と同じ姿の荒ぶる神であった蚩尤が、ひょっとすると牛頭天王様と関係あるやもしれません。もしくは同じ兄弟が81人いたということなので、その中の誰かかも・・・。本当のところは分かりませんが、大変興味深い神話です。

ミノタウロス
画像はミノタウロス


参考文献 学研     道教の本
       新紀元社  日本の神々 多彩な民族神たち  戸部民夫 著


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