家族で伊勢神宮に参拝に行きました。この日の行程は、伊勢神宮(内宮)参拝→伊勢志摩の海女小屋で食事→真珠の養殖場で真珠取り出し体験という流れでした。
昼食後、真珠の養殖場見学の予約時間まで、一時間ほど空いたので近くにお寺とか神社とかないかと探して見つけたのが潮仏と呼ばれる場所でした。
真珠の養殖場からもそんなに離れていなかったので、ここへお参りに行くことになりました。
ナビが示した場所は、かなり狭そうな道でしたので、通行止めになってるとまずいと思い、潮仏近くの漁港に車をとめ歩くことに。

画像右側に小さな鳥居がありますが、ここが潮仏と呼ばれる場所です。
この鳥居がこちらです。

仏というと寺のイメージでしたが、入り口は鳥居です。神仏習合の匂いがします。

ぱっとみ寺と思しき建物はありませんでした。小さなお堂や祠といったものもありません。
鳥居を潜り、潮仏が祭られている場所がこちらです。

ここが祈りの場です。
鳥居の近くに来歴を記した看板がありました。

それによると、こうありました。その昔(いつの頃からかは不明)石仏のお地蔵様がこの浦で祀られていた。ある時、村人の弥吉老人が昼寝をしていると夢にお地蔵さまが現れた。
お地蔵さんは、
「我は御座浦の地蔵菩薩なり。古くより因縁を感じてこの処に姿を現す。至心に祈願せんものには誓って腰より下の病室を治すべし。我海水の浸すところに在りて、諸人の為に常に代わりて苦忠を洗浄せん。必ず高所に移すことなかれ」
というお告げがありました。この霊夢の話を聞いた村人たちは、迷いの雲が晴れたように地蔵尊に帰依し、日参して病苦の平癒を祈願して御仏の慈悲にすがったというものです。ご利益は婦人の腰から下の病、子宝、安産、生理を調節などとあります。人それぞれの願いをかけて救いを求めてもよしということですが、看板からは女性の信仰が強いのかなと思いました。
潮仏とはお地蔵さんでした。しかも全国でおそらくここだけの海中の仏です。潮が引かないとその姿は分からないということです。

この場に立った時、一体どこにお地蔵さんがあるかは全く分かりませんでした。しかし、よく辺りを見渡すと、線香を置く場所があります。どうもこの位置がお地蔵さんの正面のようです。
後で調べてみましたが、どうもこの赤い矢印の小さな岩がお地蔵さんのようです。

海水に浸かっているのでよく分かりませんでしたが、とくに仏像が彫ってある訳ではなさそうです。なんの変哲もないこの小さな岩がお地蔵さんなのです。
神道では木や岩が神様が宿るご神体として祀られるケースがありますが、あれと同じ感じがしました。一木一草皆仏。木にも草にも仏性は宿るという話を聞いたことがありますが、ただの岩がお地蔵さんであるのも、そう考えれば違和感はありません。
そこには確かにお地蔵さまが宿っているのでしょう。
この岩の横に石仏がありました。

潮水で摩耗していますが、確かにお地蔵さんです。これが本尊かと思いましたが、こちらは昭和になってから奉納されたお前立のようです。ある意味、潮の満ち引きにより御開帳がある天然の秘仏と言えます。

海中のお地蔵さんの後ろには岩があり、鳥居が立っています。方位を調べるのを忘れていたのが悔やまれますが、何か意味があるのやもしれません。
しかし、不思議なお地蔵さんです。
女性の下半身の病気、安産とか子宮に関する病に良いとうのは、やはりこの辺りは海女さんが多いので、体を冷やしたり酷使することで病気になったり、冷えることで生理不順になってしまうことが多かったのかなと推測します。子供の出産も命がけだったでしょう。それゆえに女性の信仰をより集めたお地蔵さんなのだと思いました。仏教ではお地蔵さんもお釈迦様と同じで人間時代があったとされていますが、人間だった頃は女性でした。
海女の歴史も調べましたが弥生時代!からあったそうです。そういえば昼食で訪れた海女小屋で、海女さんから話を聞きましたが、ウエットスーツを着るようになってから大分寒さが気にならなくなったと言っていました。
女性の参拝者が多い、ご利益が女性向けというのは分かりましたが、何故海中なのか?それは村人がそうしたのではなく、地蔵菩薩が自ら海中に祀られることを望んだ・・・。
現場にいた時は答えが出ませんでしたが、このブログを纏めているときに「あっ!」と思い出したことがありました。滋賀県の伊崎寺に伝わる古くからある行事、「竿飛び」です。
伊崎寺は琵琶湖に面した半島にある修行寺です。今は半島ですが昔は島だったそうです。竿飛びとは琵琶湖に突き出た木製の長い竿から僧侶が琵琶湖に飛び込む行事です。お寺のHPから引用しますとこうありました。
「伊崎寺で毎年8月1日の千日会に行われる棹飛びは、水面から数メートルの高さに突き出した棹の突端から琵琶湖へと飛び降りる雄壮な行事です。長きにわたって地域の人々から親しまれているのはもちろん、全国的にも知られ、伊崎寺の代名詞ともいえます。伝承では1000年近く続いてきたといわれており、文献的にも16世紀にはすでに行われていたことが確認されています。」
続けて引用します。
「一人の行者が棹の先端まで歩き湖に飛び込むというのは、「捨身(しゃしん)の行」、つまり報恩や他者救済のため、自らを犠牲にして仏道を求める修行の姿です。行者は人々のさまざまな願いを背負っています。」
「棹というのはいわば『人生』、行者は多くの願いを背負いながら先まで歩き、自分の身よりも人々の願いのためにわが身を捨ててそこから飛び込み、そしてまた陸に帰る=生まれ変わります。この行は「再生」の意味合いも持っているのです。」

(伊崎寺の竿飛び)
ようやく納得できました。
お地蔵様が自ら海中に潜った理由は、捨身の行だったのです。生活の為に、生きていくために冷たい海に潜らねばならない海女達。体を壊したり亡くなってしまうことも多々あったのでしょう。
お地蔵様はそんな海女達の為に、漁が無事終わるように、体を壊さぬように自らが救済の為に海に潜り身代わりとなる。そして命を落としてしまった人は再生できるよう地蔵菩薩の浄土へと導く・・・そういうことだと思います。
私は今まで好きな寺のお参りは、どちらかというと古い仏像を目当てにしていくことが多かったです。仏像は素晴らしいし、そこに魂があり芸術性もあります。今でも時間があればお寺参りはしたいと思っています。
しかし、この潮仏のようにただの岩が、実は古仏に匹敵するような尊いものであると気付くことが出来ました。この伊勢旅行では最も感動したのがこちらの潮仏でした。いつか干潮の時にお参りに再訪したいものです。

潮仏はこちらまで
紅葉屋呉服店はこちらまで
昼食後、真珠の養殖場見学の予約時間まで、一時間ほど空いたので近くにお寺とか神社とかないかと探して見つけたのが潮仏と呼ばれる場所でした。
真珠の養殖場からもそんなに離れていなかったので、ここへお参りに行くことになりました。
ナビが示した場所は、かなり狭そうな道でしたので、通行止めになってるとまずいと思い、潮仏近くの漁港に車をとめ歩くことに。

画像右側に小さな鳥居がありますが、ここが潮仏と呼ばれる場所です。
この鳥居がこちらです。

仏というと寺のイメージでしたが、入り口は鳥居です。神仏習合の匂いがします。

ぱっとみ寺と思しき建物はありませんでした。小さなお堂や祠といったものもありません。
鳥居を潜り、潮仏が祭られている場所がこちらです。

ここが祈りの場です。
鳥居の近くに来歴を記した看板がありました。

それによると、こうありました。その昔(いつの頃からかは不明)石仏のお地蔵様がこの浦で祀られていた。ある時、村人の弥吉老人が昼寝をしていると夢にお地蔵さまが現れた。
お地蔵さんは、
「我は御座浦の地蔵菩薩なり。古くより因縁を感じてこの処に姿を現す。至心に祈願せんものには誓って腰より下の病室を治すべし。我海水の浸すところに在りて、諸人の為に常に代わりて苦忠を洗浄せん。必ず高所に移すことなかれ」
というお告げがありました。この霊夢の話を聞いた村人たちは、迷いの雲が晴れたように地蔵尊に帰依し、日参して病苦の平癒を祈願して御仏の慈悲にすがったというものです。ご利益は婦人の腰から下の病、子宝、安産、生理を調節などとあります。人それぞれの願いをかけて救いを求めてもよしということですが、看板からは女性の信仰が強いのかなと思いました。
潮仏とはお地蔵さんでした。しかも全国でおそらくここだけの海中の仏です。潮が引かないとその姿は分からないということです。

この場に立った時、一体どこにお地蔵さんがあるかは全く分かりませんでした。しかし、よく辺りを見渡すと、線香を置く場所があります。どうもこの位置がお地蔵さんの正面のようです。
後で調べてみましたが、どうもこの赤い矢印の小さな岩がお地蔵さんのようです。

海水に浸かっているのでよく分かりませんでしたが、とくに仏像が彫ってある訳ではなさそうです。なんの変哲もないこの小さな岩がお地蔵さんなのです。
神道では木や岩が神様が宿るご神体として祀られるケースがありますが、あれと同じ感じがしました。一木一草皆仏。木にも草にも仏性は宿るという話を聞いたことがありますが、ただの岩がお地蔵さんであるのも、そう考えれば違和感はありません。
そこには確かにお地蔵さまが宿っているのでしょう。
この岩の横に石仏がありました。

潮水で摩耗していますが、確かにお地蔵さんです。これが本尊かと思いましたが、こちらは昭和になってから奉納されたお前立のようです。ある意味、潮の満ち引きにより御開帳がある天然の秘仏と言えます。

海中のお地蔵さんの後ろには岩があり、鳥居が立っています。方位を調べるのを忘れていたのが悔やまれますが、何か意味があるのやもしれません。
しかし、不思議なお地蔵さんです。
女性の下半身の病気、安産とか子宮に関する病に良いとうのは、やはりこの辺りは海女さんが多いので、体を冷やしたり酷使することで病気になったり、冷えることで生理不順になってしまうことが多かったのかなと推測します。子供の出産も命がけだったでしょう。それゆえに女性の信仰をより集めたお地蔵さんなのだと思いました。仏教ではお地蔵さんもお釈迦様と同じで人間時代があったとされていますが、人間だった頃は女性でした。
海女の歴史も調べましたが弥生時代!からあったそうです。そういえば昼食で訪れた海女小屋で、海女さんから話を聞きましたが、ウエットスーツを着るようになってから大分寒さが気にならなくなったと言っていました。
女性の参拝者が多い、ご利益が女性向けというのは分かりましたが、何故海中なのか?それは村人がそうしたのではなく、地蔵菩薩が自ら海中に祀られることを望んだ・・・。
現場にいた時は答えが出ませんでしたが、このブログを纏めているときに「あっ!」と思い出したことがありました。滋賀県の伊崎寺に伝わる古くからある行事、「竿飛び」です。
伊崎寺は琵琶湖に面した半島にある修行寺です。今は半島ですが昔は島だったそうです。竿飛びとは琵琶湖に突き出た木製の長い竿から僧侶が琵琶湖に飛び込む行事です。お寺のHPから引用しますとこうありました。
「伊崎寺で毎年8月1日の千日会に行われる棹飛びは、水面から数メートルの高さに突き出した棹の突端から琵琶湖へと飛び降りる雄壮な行事です。長きにわたって地域の人々から親しまれているのはもちろん、全国的にも知られ、伊崎寺の代名詞ともいえます。伝承では1000年近く続いてきたといわれており、文献的にも16世紀にはすでに行われていたことが確認されています。」
続けて引用します。
「一人の行者が棹の先端まで歩き湖に飛び込むというのは、「捨身(しゃしん)の行」、つまり報恩や他者救済のため、自らを犠牲にして仏道を求める修行の姿です。行者は人々のさまざまな願いを背負っています。」
「棹というのはいわば『人生』、行者は多くの願いを背負いながら先まで歩き、自分の身よりも人々の願いのためにわが身を捨ててそこから飛び込み、そしてまた陸に帰る=生まれ変わります。この行は「再生」の意味合いも持っているのです。」

(伊崎寺の竿飛び)
ようやく納得できました。
お地蔵様が自ら海中に潜った理由は、捨身の行だったのです。生活の為に、生きていくために冷たい海に潜らねばならない海女達。体を壊したり亡くなってしまうことも多々あったのでしょう。
お地蔵様はそんな海女達の為に、漁が無事終わるように、体を壊さぬように自らが救済の為に海に潜り身代わりとなる。そして命を落としてしまった人は再生できるよう地蔵菩薩の浄土へと導く・・・そういうことだと思います。
私は今まで好きな寺のお参りは、どちらかというと古い仏像を目当てにしていくことが多かったです。仏像は素晴らしいし、そこに魂があり芸術性もあります。今でも時間があればお寺参りはしたいと思っています。
しかし、この潮仏のようにただの岩が、実は古仏に匹敵するような尊いものであると気付くことが出来ました。この伊勢旅行では最も感動したのがこちらの潮仏でした。いつか干潮の時にお参りに再訪したいものです。

潮仏はこちらまで
紅葉屋呉服店はこちらまで
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