前回のブログで牛頭鬼と馬頭鬼について調べました。地獄の鬼達を一括りに言うと「獄卒鬼(ごくそつき)」と言いますが、この獄卒鬼は大まかに分けると「役鬼(えんき)」と「羅刹(らせつ)」になるようです。
羅刹は元々地上にいて人に害をなしていた悪鬼の類、役鬼は閻魔大王の忠実な家来とされています。役鬼は羅刹や夜叉が原型のようですが、今日では仏教に出てくる地獄世界の住人という立ち位置のようです。
閻魔大王の家来の鬼、役鬼。この鬼達の昔話がありました。今昔物語です。こんな話でした。
奈良時代の話。大安寺の西の里に橘磐嶋(たちばなのいわしま)という者がいました。彼は大安寺で銭を借り、越前国敦賀で買った商品を船に積み込んでいたところ、突然病気になった。
橘磐嶋は船旅を続けるのは辛いので、早馬を借りて帰宅することに。その途中、近江国高島郡の湖畔を通りかかった際、ふと後ろを振り返ると、三人の男達がついてきているのに気付いた。
やがて追いついた男たちに橘磐嶋は尋ねた。
「あなた方はどちらへ行かれるのですか?」
「俺たちは閻魔大王の使い。大和の磐嶋という男を捕えに来た」
驚いた磐嶋。続けて理由を問いました。
「俺たちはお前の家に行ったが、お前はおらず、商売に出かけ留守だと聞いた。敦賀まで出かけ捕まえようとしたが、俺たちの前に四天王の使者が現れたのだ」
と鬼達は言いました。聞けば、四天王の使者は磐嶋が寺から金を借りていること、その借りた金を返す前に死んでしまっては寺が困ることを鬼達に告げました。四天王も寺が困るのを黙って見ていられなかった様子。
「そういう訳で、お前が家に帰るまでは許すことにした。それはそうと、お前を追う内に俺たちは腹が減って疲れた。何か食い物はないか?」
磐嶋は道中で食べていた干し飯を差し出すと、鬼達はむさぼるように食べた。
「お前は俺たちに近づくな。お前の病気は俺たちのせいだからな。しかし、恐れることはないぞ」
帰宅後、磐嶋は鬼達を招き入れ、大いにもてなした。何とか許してもらえないかと思ったのだ。そうこうしている内、役鬼の一人がこうもちかけた。
「俺た達は牛が大好物なのだ。牛がたまに不自然な死に方をすることがあるが、実はあれは俺たちの仕業だ」
それを聞いた磐嶋、家で飼っている牛二頭をあげるから、命だけはと懇願した。それを聞いた役鬼達もまんざらでもない様子。
「そうだな、お前には随分世話になった。その恩は返さねばならんが、お前を許すと俺達が鉄杖で100回打たれてしまう。・・・お前と同じ年の男は他におらぬか?」
「ここら辺りにはおりません」
「ええい!貴様、何年だ!」
「戊寅(つちのえとら)生まれですが」
「戊寅生まれの男なら心当たりがある。お前の代わりにそいつを捕まえるとしよう」
暫くして鬼達は満足した様子で立ち上がった。
「ふう、うまい牛であった。俺たちはいずれ閻魔庁で罰を受けることだろう。そこでお前に頼みがある。俺たちが罰を受けぬよう、金剛般若経を100巻読経せよ。いいか、忘れるなよ。俺たちの名は第一に高佐丸、第二に仲智丸、第三は津知丸だ」
鬼達が去ったのは夜半のことで、朝になって磐嶋がみると、牛が一頭死んでいた。
早速磐嶋は大安寺の南塔院へ行き、事情を話して役鬼達のためにお経を読んでもらうように頼み、祈った。務めを二日間で果たし、三日目の明け方になると鬼達が大喜びで現れた。
「金剛般若経のおかげで杖刑を免れた。その上、食事の量も増えたぞ。これからは毎月六斎の日に、俺たちのために功徳を積み、食べ物を供えてくれぬか?」
と磐嶋に頼むとかき消すようにいなくなった。この後、磐嶋は90余歳まで生きたという。
・・・というものです。岩島は役鬼達の頼みを生涯に亘って続けたのでしょう。この時代に90余歳というのはすごいことです。
獄卒鬼を調べていたら、地獄の鬼、役鬼の興味深い昔話が出てきました。仏の力、経典の力と祈りの気持ちは、地獄の鬼にも届くということです。また鬼の中にも約束は守る鬼もいる、鬼には鬼の筋の通し方があるとも読めます。
それと、牛を二頭差し上げると言った磐嶋でしたが、鬼達は一頭しか牛の命を奪わなかったというのも、鬼の中のルールがあるようにも思えました。
鬼は恐ろしい、怖い、強い、残虐というイメージはありますが、100%悪かと言われれば、そうでもないです。毘沙門天の御眷属のように、仏門に入った鬼もいます。そういう鬼は神々のお手伝いが役割です。
地獄の鬼も基本、役割を全うしているだけなのでしょう。

紅葉屋呉服店」はこちらまで
参考文献 鬼 新紀元社
羅刹は元々地上にいて人に害をなしていた悪鬼の類、役鬼は閻魔大王の忠実な家来とされています。役鬼は羅刹や夜叉が原型のようですが、今日では仏教に出てくる地獄世界の住人という立ち位置のようです。
閻魔大王の家来の鬼、役鬼。この鬼達の昔話がありました。今昔物語です。こんな話でした。
奈良時代の話。大安寺の西の里に橘磐嶋(たちばなのいわしま)という者がいました。彼は大安寺で銭を借り、越前国敦賀で買った商品を船に積み込んでいたところ、突然病気になった。
橘磐嶋は船旅を続けるのは辛いので、早馬を借りて帰宅することに。その途中、近江国高島郡の湖畔を通りかかった際、ふと後ろを振り返ると、三人の男達がついてきているのに気付いた。
やがて追いついた男たちに橘磐嶋は尋ねた。
「あなた方はどちらへ行かれるのですか?」
「俺たちは閻魔大王の使い。大和の磐嶋という男を捕えに来た」
驚いた磐嶋。続けて理由を問いました。
「俺たちはお前の家に行ったが、お前はおらず、商売に出かけ留守だと聞いた。敦賀まで出かけ捕まえようとしたが、俺たちの前に四天王の使者が現れたのだ」
と鬼達は言いました。聞けば、四天王の使者は磐嶋が寺から金を借りていること、その借りた金を返す前に死んでしまっては寺が困ることを鬼達に告げました。四天王も寺が困るのを黙って見ていられなかった様子。
「そういう訳で、お前が家に帰るまでは許すことにした。それはそうと、お前を追う内に俺たちは腹が減って疲れた。何か食い物はないか?」
磐嶋は道中で食べていた干し飯を差し出すと、鬼達はむさぼるように食べた。
「お前は俺たちに近づくな。お前の病気は俺たちのせいだからな。しかし、恐れることはないぞ」
帰宅後、磐嶋は鬼達を招き入れ、大いにもてなした。何とか許してもらえないかと思ったのだ。そうこうしている内、役鬼の一人がこうもちかけた。
「俺た達は牛が大好物なのだ。牛がたまに不自然な死に方をすることがあるが、実はあれは俺たちの仕業だ」
それを聞いた磐嶋、家で飼っている牛二頭をあげるから、命だけはと懇願した。それを聞いた役鬼達もまんざらでもない様子。
「そうだな、お前には随分世話になった。その恩は返さねばならんが、お前を許すと俺達が鉄杖で100回打たれてしまう。・・・お前と同じ年の男は他におらぬか?」
「ここら辺りにはおりません」
「ええい!貴様、何年だ!」
「戊寅(つちのえとら)生まれですが」
「戊寅生まれの男なら心当たりがある。お前の代わりにそいつを捕まえるとしよう」
暫くして鬼達は満足した様子で立ち上がった。
「ふう、うまい牛であった。俺たちはいずれ閻魔庁で罰を受けることだろう。そこでお前に頼みがある。俺たちが罰を受けぬよう、金剛般若経を100巻読経せよ。いいか、忘れるなよ。俺たちの名は第一に高佐丸、第二に仲智丸、第三は津知丸だ」
鬼達が去ったのは夜半のことで、朝になって磐嶋がみると、牛が一頭死んでいた。
早速磐嶋は大安寺の南塔院へ行き、事情を話して役鬼達のためにお経を読んでもらうように頼み、祈った。務めを二日間で果たし、三日目の明け方になると鬼達が大喜びで現れた。
「金剛般若経のおかげで杖刑を免れた。その上、食事の量も増えたぞ。これからは毎月六斎の日に、俺たちのために功徳を積み、食べ物を供えてくれぬか?」
と磐嶋に頼むとかき消すようにいなくなった。この後、磐嶋は90余歳まで生きたという。
・・・というものです。岩島は役鬼達の頼みを生涯に亘って続けたのでしょう。この時代に90余歳というのはすごいことです。
獄卒鬼を調べていたら、地獄の鬼、役鬼の興味深い昔話が出てきました。仏の力、経典の力と祈りの気持ちは、地獄の鬼にも届くということです。また鬼の中にも約束は守る鬼もいる、鬼には鬼の筋の通し方があるとも読めます。
それと、牛を二頭差し上げると言った磐嶋でしたが、鬼達は一頭しか牛の命を奪わなかったというのも、鬼の中のルールがあるようにも思えました。
鬼は恐ろしい、怖い、強い、残虐というイメージはありますが、100%悪かと言われれば、そうでもないです。毘沙門天の御眷属のように、仏門に入った鬼もいます。そういう鬼は神々のお手伝いが役割です。
地獄の鬼も基本、役割を全うしているだけなのでしょう。

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参考文献 鬼 新紀元社
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