今回は畜生道について調べてみました。
天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の中で、人道以外で唯一認識出来るのが畜生道です。身近なところですと犬や猫のペットでしょうか。
畜生道に生きるものは、犬猫に限らず、家畜と云われる牛や豚、鶏はもちろん、鳥類、獣類、虫類なども入ります。手元の資料にはなかったですが、 おそらく魚類もこれに含まれるかと思います。
仏教では、人であった時の生き方によっては、死後天界に行くこともあれば、修羅界や地獄に生まれ変わるとされています。動物に生まれ変わることもあります。どういう人が死後転生して動物になるのかは分かりませんが、生き物を面白半分で痛めつけたり殺したりすると畜生道におちるのかなと思います。
仏教に出てくる仏様の中で、この畜生道に落ちてしまった生き物の救済を担当している仏さまがいます。馬頭観音菩薩と云います。菩薩は基本的には優しいお顔をしていますが、馬頭観音は怒りの表情をしていることから馬頭明王とも呼ばれています。馬頭というように頭に馬の首がついている観音様です。
畜生道に生きる動物たちですが、私達人間と同じく肉体をもってはいるものの、仏教を学ぶことは出来ません。本も読めないし、言葉を使うことも出来ません。そういう意味では学ぶ気になれば仏教を学べる人間は、とても運が良いと言えます。
しかし、これは何かの本に書いてあった訳ではないですが、もし家に仏像とかお寺で分けてもらったお札、あるいはお仏壇があるという家で、犬とか猫とか飼っているという方がいましたら、毎日のお参りで真言や名号、お経を唱えることでペットの猫とか犬に仏縁を繋げることは出来ると思います。
昨年、家で飼っていた猫を亡くしました。21年生きたおじいさん猫でした。ムーちゃんと言います。
お客さんの家にやって来た小さな野良猫を引き取ったのが縁で、我が家で飼っていました。
外が大好きな猫で、毎日どこかへ行ってましたが、一度も交通事故には遭いませんでした。
我が家は仏壇とか観音様を祀っているので、毎朝、毎晩家の者が必ず誰かはお参りしたり、お経を唱えていますが、ムーちゃんはよくお経を唱えていると近くに来てじっとしていました。
観音様に供えた水をしょっちゅう飲んでいました。観音様の御利益は無事でいられることだそうです。今思えば一度も事故に遭わず、寿命を全う出来たのは観音様の御利益を頂いていたのでしょう。
私の父は昨年の7月2日に亡くなりました。朝方5時頃に亡くなりましたが、当日驚くことがありました。猫の21才は人間で言うと100才位らしいですが、最後の年のムーちゃんは本当によぼよぼでした。階段を上ることも出来ず、元気な頃は2階にある両親の部屋で良く寝ていましたが、晩年は1階の猫用のベッドで寝ていました。
そのムーちゃんが、父が亡くなる5時頃、階段の上の方まで這い上がって来たのです。何かを察したようでした。その日の夜、お坊様に来て頂き、父の遺体の傍で枕経を上げてもらいましたが、その時はムーちゃんも一緒でずっとお経を聞いているようでした。
翌朝の5時頃、父が逝った同じ時間帯にムーちゃんも旅立ちました。見上げた忠猫だったと思います。
父は生前、仏間でお参りしていると、いつの間にかやってくるムーちゃんを見て、「おまえは仏縁があった猫だから、来世は人間で生まれてくるからな」と語り掛けていたのを、このブログをやりながら今思い出しました。
ムーちゃんは亡くなったその日にペット供養をやってくれるお寺でお経を上げてもらい、父の通夜と葬儀はムーちゃんの遺影を一緒に飾りました。
おそらく父と一緒にあっちへ行ったと思いますが、私もあの猫は来世人間に生まれてくるなと信じています。ペットを飼っている人で仏様への信仰心がある方は、そのペットは幸せだと思います。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の中で、人道以外で唯一認識出来るのが畜生道です。身近なところですと犬や猫のペットでしょうか。
畜生道に生きるものは、犬猫に限らず、家畜と云われる牛や豚、鶏はもちろん、鳥類、獣類、虫類なども入ります。手元の資料にはなかったですが、 おそらく魚類もこれに含まれるかと思います。
仏教では、人であった時の生き方によっては、死後天界に行くこともあれば、修羅界や地獄に生まれ変わるとされています。動物に生まれ変わることもあります。どういう人が死後転生して動物になるのかは分かりませんが、生き物を面白半分で痛めつけたり殺したりすると畜生道におちるのかなと思います。
仏教に出てくる仏様の中で、この畜生道に落ちてしまった生き物の救済を担当している仏さまがいます。馬頭観音菩薩と云います。菩薩は基本的には優しいお顔をしていますが、馬頭観音は怒りの表情をしていることから馬頭明王とも呼ばれています。馬頭というように頭に馬の首がついている観音様です。
畜生道に生きる動物たちですが、私達人間と同じく肉体をもってはいるものの、仏教を学ぶことは出来ません。本も読めないし、言葉を使うことも出来ません。そういう意味では学ぶ気になれば仏教を学べる人間は、とても運が良いと言えます。
しかし、これは何かの本に書いてあった訳ではないですが、もし家に仏像とかお寺で分けてもらったお札、あるいはお仏壇があるという家で、犬とか猫とか飼っているという方がいましたら、毎日のお参りで真言や名号、お経を唱えることでペットの猫とか犬に仏縁を繋げることは出来ると思います。
昨年、家で飼っていた猫を亡くしました。21年生きたおじいさん猫でした。ムーちゃんと言います。
お客さんの家にやって来た小さな野良猫を引き取ったのが縁で、我が家で飼っていました。
外が大好きな猫で、毎日どこかへ行ってましたが、一度も交通事故には遭いませんでした。
我が家は仏壇とか観音様を祀っているので、毎朝、毎晩家の者が必ず誰かはお参りしたり、お経を唱えていますが、ムーちゃんはよくお経を唱えていると近くに来てじっとしていました。
観音様に供えた水をしょっちゅう飲んでいました。観音様の御利益は無事でいられることだそうです。今思えば一度も事故に遭わず、寿命を全う出来たのは観音様の御利益を頂いていたのでしょう。
私の父は昨年の7月2日に亡くなりました。朝方5時頃に亡くなりましたが、当日驚くことがありました。猫の21才は人間で言うと100才位らしいですが、最後の年のムーちゃんは本当によぼよぼでした。階段を上ることも出来ず、元気な頃は2階にある両親の部屋で良く寝ていましたが、晩年は1階の猫用のベッドで寝ていました。
そのムーちゃんが、父が亡くなる5時頃、階段の上の方まで這い上がって来たのです。何かを察したようでした。その日の夜、お坊様に来て頂き、父の遺体の傍で枕経を上げてもらいましたが、その時はムーちゃんも一緒でずっとお経を聞いているようでした。
翌朝の5時頃、父が逝った同じ時間帯にムーちゃんも旅立ちました。見上げた忠猫だったと思います。
父は生前、仏間でお参りしていると、いつの間にかやってくるムーちゃんを見て、「おまえは仏縁があった猫だから、来世は人間で生まれてくるからな」と語り掛けていたのを、このブログをやりながら今思い出しました。
ムーちゃんは亡くなったその日にペット供養をやってくれるお寺でお経を上げてもらい、父の通夜と葬儀はムーちゃんの遺影を一緒に飾りました。
おそらく父と一緒にあっちへ行ったと思いますが、私もあの猫は来世人間に生まれてくるなと信じています。ペットを飼っている人で仏様への信仰心がある方は、そのペットは幸せだと思います。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
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