人道の上には天道があり、人道の下には修羅道がります。
私も修羅道という言葉は聞いたことがあるものの、詳しく聞かれると良く分かりません。
調べてみると、仏教世界にある須弥山と持双山(じそうせん)に挟まれた海の底にある世界が修羅道とありました。水深18万キロだそうです。
修羅と言えば、興福寺にある国宝阿修羅像を思い浮かべます。修羅世界の王が阿修羅であると思っていましたが、修羅世界は四つに分かれており、それぞれに阿修羅王がいると分かりました。
仏教世界の海の王たち(阿修羅王)は、東の海は鞞摩質多羅(びましったら)、西の海は奢婆羅(しゃばら)、南の海は踊躍(ゆやく)、北の海が羅睺羅(らごら)と云います。
一般的にイメージする阿修羅王とは、北の海の王、羅睺羅阿修羅王のことでした。
この四大阿修羅王は、それぞれ荘厳な水中大宮殿を構えています。なかでも一際目を引くのが羅睺羅阿修羅王の大宮殿です。縦横80万キロ、七重の城壁に囲まれ、内部に宮城や塔、庭園などがあります。それは絢爛豪華で天界を思わせる荘厳さです。
人道よりも下にある筈の修羅道の王の住まいが、何故こんなに豪華なのか。それは阿修羅王はかつて天道にいた正義を司る天部だったからです。天界を追放され、海の底に住むようになったのです。
追放になった理由は、天道の天部のリーダー格の帝釈天と何度も戦争をした為でした。戦争の原因は諸説あり、日月の運行が気に入らなかったという理由と、阿修羅王が大変可愛がっていた舎脂(しゃし)という愛娘を,、帝釈天が連れ去ったからという理由などがあります。
阿修羅も相当強いですが、相手はあの四天王を配下とする天部のリーダー格ですので、戦は勝負にならず阿修羅王は何度仕掛けても負け続けたそうです。阿修羅は何度体をバラバラにされても復活するので殺せないとされています。
阿修羅の愛娘をさらったというのが理由だとすると、帝釈天が悪いのでは?と思ってしまいますが、こんなエピソードがありました。ある日の戦いの時、珍しく阿修羅軍の方が優勢で帝釈天は敗走をはじめました。
その最中、帝釈天は当然大音声を発し、全軍に停止を命じました。何故か?
足を止めさせた理由は、帝釈天の眼前に小さなアリの行列があったからです。帝釈天は仏の教えにのっとり、無益な殺生をしなかった・・・というものです。命からがらの敗走中でも、アリ一匹の命でも自分の都合で殺生するのは忍びないと思い、全軍に停止命令を出したのです。どっかの指導者に聞かせたい話です。
帝釈天はちょっと粗雑なエピソードもありますが、小さな命を大切にする心の余裕があるのです。
対して阿修羅王は正義の天部であったにも関わらず、余裕も失くし、正義に固執するが故に他者を許す心を失っており、鬼神になってしまったので人道の下に落とされてしまったということです。仏道修行をしなければならない天部にとっては有るまじき行為だったということなのでしょう。
阿修羅王が治める修羅道(界)は、妄執にとりつかれ、心の余裕のなさ故に他者を許せず、慈悲心を失い悲痛な怒りに囚われたものが堕ちる世界になりました。
しかし、そんな修羅道でも地獄とは違います。仏の教えを学ぼうと思えば学べる世界は、天道と人道ですが、それに加えて修羅道も実は仏の教えを学べるそうです。それは阿修羅王達は元は天部であったことと、仏を守る八種類の護法神のグループ、八部衆に数えられているからではと思います。
ある意味、阿修羅王は修羅道に落ちた人間を救う存在でもあるのでしょう。修羅になった人間の気持ちは同じ修羅しか分からないのかも・・・。
興福寺の国宝阿修羅像は美少年の姿もあってか、仏像好きの女性のファンが多いそうですが、実際の阿修羅王は恐るべき鬼神のような御姿のようです。
色々調べると、どうもあっちの世界では、未だに阿修羅の大軍と、帝釈天率いる四天王を始めとする強力な天部の軍団が度々激突しているようで、さながら人間界の戦争のようです。
それと、仏典では、どうも人間界と天界は相互に関わっているようです。天界の争いが人間界の災害や戦争に投影されるという話もありました。
昨今、大国が戦争行為をしかけておりますが、天界でも一悶着あるのやもしれません。その逆もあるかもですが・・・。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
天部信仰読本 羽田守快 著 青山社
私も修羅道という言葉は聞いたことがあるものの、詳しく聞かれると良く分かりません。
調べてみると、仏教世界にある須弥山と持双山(じそうせん)に挟まれた海の底にある世界が修羅道とありました。水深18万キロだそうです。
修羅と言えば、興福寺にある国宝阿修羅像を思い浮かべます。修羅世界の王が阿修羅であると思っていましたが、修羅世界は四つに分かれており、それぞれに阿修羅王がいると分かりました。
仏教世界の海の王たち(阿修羅王)は、東の海は鞞摩質多羅(びましったら)、西の海は奢婆羅(しゃばら)、南の海は踊躍(ゆやく)、北の海が羅睺羅(らごら)と云います。
一般的にイメージする阿修羅王とは、北の海の王、羅睺羅阿修羅王のことでした。
この四大阿修羅王は、それぞれ荘厳な水中大宮殿を構えています。なかでも一際目を引くのが羅睺羅阿修羅王の大宮殿です。縦横80万キロ、七重の城壁に囲まれ、内部に宮城や塔、庭園などがあります。それは絢爛豪華で天界を思わせる荘厳さです。
人道よりも下にある筈の修羅道の王の住まいが、何故こんなに豪華なのか。それは阿修羅王はかつて天道にいた正義を司る天部だったからです。天界を追放され、海の底に住むようになったのです。
追放になった理由は、天道の天部のリーダー格の帝釈天と何度も戦争をした為でした。戦争の原因は諸説あり、日月の運行が気に入らなかったという理由と、阿修羅王が大変可愛がっていた舎脂(しゃし)という愛娘を,、帝釈天が連れ去ったからという理由などがあります。
阿修羅も相当強いですが、相手はあの四天王を配下とする天部のリーダー格ですので、戦は勝負にならず阿修羅王は何度仕掛けても負け続けたそうです。阿修羅は何度体をバラバラにされても復活するので殺せないとされています。
阿修羅の愛娘をさらったというのが理由だとすると、帝釈天が悪いのでは?と思ってしまいますが、こんなエピソードがありました。ある日の戦いの時、珍しく阿修羅軍の方が優勢で帝釈天は敗走をはじめました。
その最中、帝釈天は当然大音声を発し、全軍に停止を命じました。何故か?
足を止めさせた理由は、帝釈天の眼前に小さなアリの行列があったからです。帝釈天は仏の教えにのっとり、無益な殺生をしなかった・・・というものです。命からがらの敗走中でも、アリ一匹の命でも自分の都合で殺生するのは忍びないと思い、全軍に停止命令を出したのです。どっかの指導者に聞かせたい話です。
帝釈天はちょっと粗雑なエピソードもありますが、小さな命を大切にする心の余裕があるのです。
対して阿修羅王は正義の天部であったにも関わらず、余裕も失くし、正義に固執するが故に他者を許す心を失っており、鬼神になってしまったので人道の下に落とされてしまったということです。仏道修行をしなければならない天部にとっては有るまじき行為だったということなのでしょう。
阿修羅王が治める修羅道(界)は、妄執にとりつかれ、心の余裕のなさ故に他者を許せず、慈悲心を失い悲痛な怒りに囚われたものが堕ちる世界になりました。
しかし、そんな修羅道でも地獄とは違います。仏の教えを学ぼうと思えば学べる世界は、天道と人道ですが、それに加えて修羅道も実は仏の教えを学べるそうです。それは阿修羅王達は元は天部であったことと、仏を守る八種類の護法神のグループ、八部衆に数えられているからではと思います。
ある意味、阿修羅王は修羅道に落ちた人間を救う存在でもあるのでしょう。修羅になった人間の気持ちは同じ修羅しか分からないのかも・・・。
興福寺の国宝阿修羅像は美少年の姿もあってか、仏像好きの女性のファンが多いそうですが、実際の阿修羅王は恐るべき鬼神のような御姿のようです。
色々調べると、どうもあっちの世界では、未だに阿修羅の大軍と、帝釈天率いる四天王を始めとする強力な天部の軍団が度々激突しているようで、さながら人間界の戦争のようです。
それと、仏典では、どうも人間界と天界は相互に関わっているようです。天界の争いが人間界の災害や戦争に投影されるという話もありました。
昨今、大国が戦争行為をしかけておりますが、天界でも一悶着あるのやもしれません。その逆もあるかもですが・・・。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
天部信仰読本 羽田守快 著 青山社
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