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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆賽の河原

前回のブログで冥途の中で抜けてる所がありました。賽の河原です。


賽の河原は三途の川のところにある河原のことです。あんまり興味の無い人でもどこかで聞いたことがあるかもしれませんが、賽の河原には子供が大勢います。子供たちは一生懸命小石を積んで塔を作っています。


何故小石で塔を築いているのか?


この行為はお布施をしているとありました。


布施とは「与えること」という意味です。仏教的には僧に物や金を施す財施と、信者に仏法を施す法施の二種類あるそうです。また資料によれば、施す者、施しを受ける者、施し物のいずれも清らかで何の拘りもないことが大切とありました。(これが難しそう)そう言えば父から聞いたことを思い出しましたが、動物とかに食べ物を与えることも尊いことで、食布施というそうです。


小さな子供の内に亡くなると、そういう誰かに何かに与えたという経験がないこと、また仏教の教えを聴く前に冥途に来てしまった(仏縁が無かった)ということです。生きている間に何も出来なかったという慙愧の念にさいなまれて、死後賽の河原で布施をするという解釈みたいです。


そうして積みあがった石塔は冥途の鬼によって壊されます。子供たちは泣きながら逃げまどい、また一から塔を作ることになります。


子供が可哀そうになりますが、仏教的にはこの子供たちは親より先に死んだことは罪であるということだそうです。親に悲しみの涙を流させたために三途の川を渡れないそうです。


昔は子供の出産は今よりも命がけだったでしょうし、子供の死亡も多かったのかもしれません。だからこそこういう話が生まれたのでしょうか。賽の河原の子供への仕打ちの話は、残された家族たちに子供の供養の大切さを訴えているのでしょう。


ここまで調べて疑問が湧いてきました。それは親に殺された子供はどうなるのか?です。この法話が考えられた時代は、今ほど親が虐待で子供を殺すということはなかったと思います。


親のせいで命を奪われた子供はどこに行くのか?


子供を虐待して殺すような親は仏縁などないでしょう。刑務所には入っても子供の供養はする訳ありません。


せめてこういった何の落ち度もなく殺されてしまった子供たちは、賽の河原へも行かず、仏様の世界にいければと思います。


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参考文献  現代人のための仏教の知識百科  株式会社 主婦と生活社

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