前回のブログを上げる際、こんな話を思い出しました。前回の話の補足です。
お客様から聞いた話です。
このとある女性、ご縁があり日本でも有名な大きなお寺の一角にある、弁天様を祀るお堂でお手伝いをされている方です。
正確に言えば、この女性がそこの弁天堂で行われた法要に参加した際、お寺の方から聞いたお話です。
仏様へのお願い事についてのものです。それは、
「例えばお金儲けのお願いをする場合、そういった類の願いは明王以上の仏様には願わない方が良い。しかし、弁天様なら大丈夫」
と言うものでした。
それ以上の話を聞いた訳ではないので、ここから先は想像するしかないですが、父から聞いた話と同じだなと思いました。
執着から離れた如来、限りなく如来に近い菩薩や明王ともなると、お金儲けや商売繁盛、お金や物のあるなしは悟りの為の修行には関係ないというのが、当たり前のことなので届きにくいのか?と思えます。
弁天様のことを良く知っていた祖母や父から聞いた話では、弁天様は問題を解決するための知恵、才能をくれると言っていました。故に弁才天と書くそうです。
弁才天は弁財天とも書きますが、これは金運の神様と言う意味もあるからですが、どちらが古いかと言うと弁才天の字の方だそうです。なるほど確かに財を築くには才が無ければならないですね。
ただ、いくら熱心にお参りして知恵を頂いても、それを形にしないと(行動)現実は変わらないと思います。

※紅葉屋はこちらまで
お客様から聞いた話です。
このとある女性、ご縁があり日本でも有名な大きなお寺の一角にある、弁天様を祀るお堂でお手伝いをされている方です。
正確に言えば、この女性がそこの弁天堂で行われた法要に参加した際、お寺の方から聞いたお話です。
仏様へのお願い事についてのものです。それは、
「例えばお金儲けのお願いをする場合、そういった類の願いは明王以上の仏様には願わない方が良い。しかし、弁天様なら大丈夫」
と言うものでした。
それ以上の話を聞いた訳ではないので、ここから先は想像するしかないですが、父から聞いた話と同じだなと思いました。
執着から離れた如来、限りなく如来に近い菩薩や明王ともなると、お金儲けや商売繁盛、お金や物のあるなしは悟りの為の修行には関係ないというのが、当たり前のことなので届きにくいのか?と思えます。
弁天様のことを良く知っていた祖母や父から聞いた話では、弁天様は問題を解決するための知恵、才能をくれると言っていました。故に弁才天と書くそうです。
弁才天は弁財天とも書きますが、これは金運の神様と言う意味もあるからですが、どちらが古いかと言うと弁才天の字の方だそうです。なるほど確かに財を築くには才が無ければならないですね。
ただ、いくら熱心にお参りして知恵を頂いても、それを形にしないと(行動)現実は変わらないと思います。

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