10月31日、亡き父の納骨に名古屋の東別院に行ってきました。家の宗派でもあります浄土真宗のお寺です。
久しぶりにこちらのお寺に訪れましたが、大きなお寺です。
事務所で手続きを終え、しばらくして別室に案内され法話を聞いた後、本堂へ移動してお経を上げて終了という流れでした。
この日、納骨に来ていたのは10家族くらいでした。
浄土真宗のお坊さんの長めの法話を聞く機会は今までなかったので、貴重な機会だなと意識を集中し聞き入っていました。法話は浄土真宗における供養に纏わる考え方の話でした。内容的にはこんな感じです。
①死者にむかって成仏してくださいとお寺さんや残された人が拝むのは、本当に意味があるのか?本当に死者はそれで成仏するのか?それは誰にも分からない。
②念仏を唱えれば必ず極楽に行く。この世に残らない。
③故に先祖供養はない。死後、お仏壇に向かってお経を唱えるのは死者の為ではない。生きている私たちのため。
という内容です。浄土真宗のこの辺りの考えかたは、昔聞いたことがあったので、そんなに驚きはしなかったですが、お坊様から聞く話でより理解出来ました。
日本の古くからある主だった仏教宗派では私の知る限りですが、ほぼほぼ先祖供養はしていると思います。真言宗、天台宗、天台寺門宗、日蓮宗、浄土宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗などは調べると先祖供養はあります。
なので、浄土真宗だけが先祖供養をしない、する必要がない仏教宗派ということになります。(全部の仏教宗派は知らないので、他にもあるかもしれないですが)
先祖供養はしない、幽霊はいないと初めて聞いた時は「は?」と思いましたが、よくよく考えると、強い覚悟をもって阿弥陀如来を信仰し、丸投げできれば必ず極楽へ行けるのではと解釈した時、腑に落ちました。

父の納骨のご縁で、お坊様の法話を聞けました。話を聞きながら、浄土真宗の教えは阿弥陀如来のお念仏を唱えれば救われるという分かりやすい教えなので、全国的に広まったのかななどと考えておりました。
ただ、いくら念仏を唱えようとも、阿弥陀如来を信じてなければ意味がないのでは?と思います。
例えば神仏を全否定する人、家の宗派が浄土真宗でも、普段から念仏を全然唱えない人、唱えるのは法事だけで阿弥陀如来は信仰していない人となると、いかな阿弥陀如来でも救うのは難しいのでは?とも思います。
阿弥陀様が頑張って救おうとしても、こちらが無視している(信じてない)と繋がらないと思うからです。
また信じるとか信じないとか、そんなことも考える時間もなく亡くなった場合はどうなるのか?
例えば生まれて間もなく亡くなってしまった小さな子供は、念仏も知らない場合も考えられます。
そう考えると、先祖供養や死者の供養と言うのは必要になってくるでしょう。浄土真宗の教えは仏縁の薄い人や全然仏教に興味が無い人でも分かりやすい素晴らしい教えだと思いますが、ご先祖の供養というのは決して意味がないことではなく(ほとんどの仏教宗派でやっていることからも)大切なことだなと私は思います。
久しぶりにこちらのお寺に訪れましたが、大きなお寺です。
事務所で手続きを終え、しばらくして別室に案内され法話を聞いた後、本堂へ移動してお経を上げて終了という流れでした。
この日、納骨に来ていたのは10家族くらいでした。
浄土真宗のお坊さんの長めの法話を聞く機会は今までなかったので、貴重な機会だなと意識を集中し聞き入っていました。法話は浄土真宗における供養に纏わる考え方の話でした。内容的にはこんな感じです。
①死者にむかって成仏してくださいとお寺さんや残された人が拝むのは、本当に意味があるのか?本当に死者はそれで成仏するのか?それは誰にも分からない。
②念仏を唱えれば必ず極楽に行く。この世に残らない。
③故に先祖供養はない。死後、お仏壇に向かってお経を唱えるのは死者の為ではない。生きている私たちのため。
という内容です。浄土真宗のこの辺りの考えかたは、昔聞いたことがあったので、そんなに驚きはしなかったですが、お坊様から聞く話でより理解出来ました。
日本の古くからある主だった仏教宗派では私の知る限りですが、ほぼほぼ先祖供養はしていると思います。真言宗、天台宗、天台寺門宗、日蓮宗、浄土宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗などは調べると先祖供養はあります。
なので、浄土真宗だけが先祖供養をしない、する必要がない仏教宗派ということになります。(全部の仏教宗派は知らないので、他にもあるかもしれないですが)
先祖供養はしない、幽霊はいないと初めて聞いた時は「は?」と思いましたが、よくよく考えると、強い覚悟をもって阿弥陀如来を信仰し、丸投げできれば必ず極楽へ行けるのではと解釈した時、腑に落ちました。

父の納骨のご縁で、お坊様の法話を聞けました。話を聞きながら、浄土真宗の教えは阿弥陀如来のお念仏を唱えれば救われるという分かりやすい教えなので、全国的に広まったのかななどと考えておりました。
ただ、いくら念仏を唱えようとも、阿弥陀如来を信じてなければ意味がないのでは?と思います。
例えば神仏を全否定する人、家の宗派が浄土真宗でも、普段から念仏を全然唱えない人、唱えるのは法事だけで阿弥陀如来は信仰していない人となると、いかな阿弥陀如来でも救うのは難しいのでは?とも思います。
阿弥陀様が頑張って救おうとしても、こちらが無視している(信じてない)と繋がらないと思うからです。
また信じるとか信じないとか、そんなことも考える時間もなく亡くなった場合はどうなるのか?
例えば生まれて間もなく亡くなってしまった小さな子供は、念仏も知らない場合も考えられます。
そう考えると、先祖供養や死者の供養と言うのは必要になってくるでしょう。浄土真宗の教えは仏縁の薄い人や全然仏教に興味が無い人でも分かりやすい素晴らしい教えだと思いますが、ご先祖の供養というのは決して意味がないことではなく(ほとんどの仏教宗派でやっていることからも)大切なことだなと私は思います。
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