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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆毘沙門天について

名古屋駅の名鉄百貨店で行われていた信貴山朝護孫子寺の御本尊、毘沙門天増の出開帳


博物館などの仏像展示と、出開帳の違いと言うのが良く分かりました。


あの場でお参りした時は、ご本尊の毘沙門天像の迫力に圧倒され、それどころではなかったですが、数日経った後から気づくことがありました。


毘沙門天王像は、主に密教寺院で祀られることが多いですが、毘沙門天が本尊で祀られている場合と、本尊を守る側として祀られている場合では受ける感じが全然違うというものでした。


本尊を守る側というのは、その寺の本尊が別にある(観世音菩薩とか薬師如来など)場合のことです。


密教寺院には数多くの仏像が祀られている場合があります。例えば薬師如来だと薬師如来を守る役目をもつ十二神将がいますし、千手観音は千手観音を守る二十八部衆という存在が一緒に祀られることがあります。


毘沙門天は単独で祀られる時の名前で、多聞天、四天王として祀られる場合は釈迦如来などを守っています。


今まで多くのお寺で毘沙門天(多聞天)をお参りしてきました。寺に祀られる仏像は皆開眼が終わっています。単独で祀る毘沙門天も四天王として祀られる多聞天も開眼は済んでいるはずなのに、単独で祀られる方が強く感じるのです。


これはおそらく、立場の違いなのではと思います。例えば観音様を本尊としている寺の毘沙門天の場合は、観音様を守るのが一番の仕事であるからということです。お参りに来た人が向き合うのは観音様が中心であるからなのでしょう。この場合の毘沙門様は観音の曼陀羅の一角にいます。曼陀羅の中心から出てくるのは観音様の優しい力です。


それと違い毘沙門天が本尊で祀られる場合は、もろ毘沙門天と向き合うことになります。毘沙門天曼荼羅です。毘沙門天は戦いの天部です。菩薩や如来を守る為に戦う存在です。中心に立つ毘沙門天から受ける印象は観音様とは違って当然だなと思いました。


毘沙門天イラスト


この話は何か根拠がある話ではありません。個人的に感じたことです。肌感覚の話と言っても良いかもしれません。


今回の経験を経て、今後お寺にお参りに行く際は本尊毎に受ける感じの違いというものも意識してお参りしたいなと思いました。




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