今回は地蔵寺縁起書の続き、白旗稲荷についての記述部分を御紹介致します。
○地蔵寺守護神、白旗稲荷と深草稲荷(伏見稲荷)のこと
白旗稲荷の縁起を知るにはまず、深草稲荷を知らねばなりません。深草(伏見)稲荷と申せば、日本中知らぬ者無しの稲荷の総本山、どなたも白狐の姿を思い浮かべます。しかし、これは稲荷の霊力を知らしめす為の仮の姿であって、御神体は別に確りと存在致します。御祭神は、五柱神、
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神 (さたひこのおおかみ)
大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ)
田中大神 (たなかのおおかみ)
四大神 (しのおおかみ)
となり、宇迦之御魂大神は、古事記によれば、須佐之男命(すさのおのみこと)と市比売命(いちひめのみこと)の二神の子として生まれ、宇迦は倉稲(うが)あるいは食(うけ)とか御饌都(みけつ)とか言われるが、何れも食物であり、ウカノミタマとは稲玉そのものと解釈できる。
御神号は「伊奈利」であり、最古の文献と言われる山城国風土記や扶桑略記にこの「伊奈利」の文字を見出す。その後、稲が成るが稲荷に転化した。
白旗稲荷の縁起を語るに、この「山城国風土記」を見過ごす訳には行かない。この風土記に「餅の的」という話がある。古代、豪族の秦氏の先祖に、伊呂具と言う男があった。
この伊呂具、こともあろうに、鏡餅を的に弓の射比べをした。すると、誰ぞの弓が見事に鏡餅を射抜いた。するとどうだ、鏡餅は白い鳥に変化し、ハタハタと飛んで行った。あまりの事に腰を抜かした者もあったが、皆、白い鳥を追った。
しら鳥は深草の山頂辺りに舞い降りた。翌年、その山の辺り一面に稲穂がたわわに実り、稲荷になったと云う。しら鳥がハタハタと舞い飛ぶ故事は、白旗すなわち伏見稲荷の象徴であり、古代豪族秦氏とも深い係りを持つ。
その後の伊呂具は、貧窮の日々が続き、失落し亡くなった。更に時が経ち、その末裔の一人が伏見稲荷社に許しを請い、結果、神の許しを得て、その後秦氏は永く繁栄したと云う。ここまで稿を進めれば、玉圓尼の、白鳥の歌の真意が見えてくる。
「しら鳥の ハタ、旗、秦と 飛び舞ひて 霊夢の稲荷 白旗とぞ言ふ」
白鳥とは、古事記を見ても、日本武尊がその最後に白鳥に変化して飛び去ったとあるように、古来より霊鳥は白い鳥と解釈されていた。その飛び交う羽音がハタ、ハタ、ハタと表現されています。
注目すべきは玉圓尼の歌にあるように、それは一字ずつ文字面を替えていると言う事です。最初はハタ、次は旗、これは白旗稲荷を表現し、最後は秦となり、これが稲荷の霊夢、白旗稲荷の御神号となり、今に伝えられた訳です。

※紅葉屋呉服店はこちらまで
○地蔵寺守護神、白旗稲荷と深草稲荷(伏見稲荷)のこと
白旗稲荷の縁起を知るにはまず、深草稲荷を知らねばなりません。深草(伏見)稲荷と申せば、日本中知らぬ者無しの稲荷の総本山、どなたも白狐の姿を思い浮かべます。しかし、これは稲荷の霊力を知らしめす為の仮の姿であって、御神体は別に確りと存在致します。御祭神は、五柱神、
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神 (さたひこのおおかみ)
大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ)
田中大神 (たなかのおおかみ)
四大神 (しのおおかみ)
となり、宇迦之御魂大神は、古事記によれば、須佐之男命(すさのおのみこと)と市比売命(いちひめのみこと)の二神の子として生まれ、宇迦は倉稲(うが)あるいは食(うけ)とか御饌都(みけつ)とか言われるが、何れも食物であり、ウカノミタマとは稲玉そのものと解釈できる。
御神号は「伊奈利」であり、最古の文献と言われる山城国風土記や扶桑略記にこの「伊奈利」の文字を見出す。その後、稲が成るが稲荷に転化した。
白旗稲荷の縁起を語るに、この「山城国風土記」を見過ごす訳には行かない。この風土記に「餅の的」という話がある。古代、豪族の秦氏の先祖に、伊呂具と言う男があった。
この伊呂具、こともあろうに、鏡餅を的に弓の射比べをした。すると、誰ぞの弓が見事に鏡餅を射抜いた。するとどうだ、鏡餅は白い鳥に変化し、ハタハタと飛んで行った。あまりの事に腰を抜かした者もあったが、皆、白い鳥を追った。
しら鳥は深草の山頂辺りに舞い降りた。翌年、その山の辺り一面に稲穂がたわわに実り、稲荷になったと云う。しら鳥がハタハタと舞い飛ぶ故事は、白旗すなわち伏見稲荷の象徴であり、古代豪族秦氏とも深い係りを持つ。
その後の伊呂具は、貧窮の日々が続き、失落し亡くなった。更に時が経ち、その末裔の一人が伏見稲荷社に許しを請い、結果、神の許しを得て、その後秦氏は永く繁栄したと云う。ここまで稿を進めれば、玉圓尼の、白鳥の歌の真意が見えてくる。
「しら鳥の ハタ、旗、秦と 飛び舞ひて 霊夢の稲荷 白旗とぞ言ふ」
白鳥とは、古事記を見ても、日本武尊がその最後に白鳥に変化して飛び去ったとあるように、古来より霊鳥は白い鳥と解釈されていた。その飛び交う羽音がハタ、ハタ、ハタと表現されています。
注目すべきは玉圓尼の歌にあるように、それは一字ずつ文字面を替えていると言う事です。最初はハタ、次は旗、これは白旗稲荷を表現し、最後は秦となり、これが稲荷の霊夢、白旗稲荷の御神号となり、今に伝えられた訳です。

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