fc2ブログ

主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

0 コメント

◆地蔵寺釈厄外伝記について その1

令和3年、2021年度の店内企画展が決まりました。毎年、紅葉屋呉服店では企画展を開催しております。毎回テーマを決めて展示物を紹介したり、珍しい商品を販売しております。

 
今回のテーマは「地蔵寺釈厄外伝記の世界 玉圓尼笈厨子137振りの御開帳」と題して行います。


紅葉屋呉服店

このブログの管理人がやっているのがこのお店。紅葉屋呉服店です。

この紅葉屋から徒歩数分の所にある、江戸時代からあるお寺が地蔵寺さんです。

地蔵寺1

地蔵菩薩を本尊として祀る曹洞宗のお寺で、寺の守護神が白旗稲荷大明神(しらはたいなりだいみょうじん)というお稲荷さんです。

 
こちらのお寺、祖父の代からご縁があるお寺で、毎年一回ご住職に我が家の仏様にお経をあげてもらっています。

 
さて、ブログタイトルにもなっている「地蔵寺釈厄外伝記(じぞうじしゃくやくがいでんき)」。このお寺に関する物語で私の父が執筆したものです。
 
 
ことの初めは平成17年(2005年)の6月に遡ります。


当時のご住職、宗賢尼(そうけんに)和尚が我が家へ仏様へのお経を上げに来て頂いた際に、こんな話を父に持ちかけました。

 
それは寺の縁起所の作成に協力してほしいとの内容でした。


自分も年をとった(この時で90歳くらいだった)こと、握力も弱り長い文章が書けなくなってきたこと、後継者が決まっていないので(当時は)、自分がいなくなると寺の歴史が分からなくなるからとのことでした。
 
 
私の父は兎に角本が好きで、かなりの蔵書が家にあります。民俗学や美術品の知識に長けており、良く知ってるなぁと思うことは頻繁にありました。
 
 
今となっては、どうして父に寺の縁起書の執筆を頼んだのか?も分かりますが、この時は変わった依頼だなと思いました。寺の縁起書の執筆を頼まれるという人は、全国的にも殆どいないのではと思います。


しばし考えていたような感じでしたが、父は引き受けることにしました。もともと観音様やお稲荷さんを強く信仰していた人なので、お寺の縁起書の作成の手伝いが出来ることは、滅多にない名誉なことだと思ったのでしょう。


父は宗賢尼和尚に、執筆にあたりお寺に何か古文書の類は無いですかと聞きました。

 
すると和尚さん、昔は古文書の類は結構あったそうですが、近隣の火災に巻き込まれたり、先の戦争の空襲で仏像以外の寺宝の殆どは、寺ごと焼失してしまったの事。古文書も然り。


しかし、宗賢尼和尚の先代、辨英尼和尚が燃える前の古文書を見て、現代語訳にしたものが原稿用紙に少し残っているとのこと・・・。
 

「それでは、その原稿用紙を元に書きましょう。私で良ければお手伝いさせてください。」と引き受けることになりました。


翌日、「ご住職に頼まれましたのでお持ちしました」と年配の女性がご来店されました。


風呂敷包みを受け取り、ありがとうございますと告げると女性は帰って行きました。多分ボランティアの方だったと思います。

 
帰られた後、どんなものだろうと風呂敷を開けて驚きました。原稿用紙は予想より遥かに少ない2枚だったのです。しかも2枚目は半分くらいで終わっており、途中書きの完結していない状態です。
 

これには流石に焦りました。引き受けたのは良いけど、完結していないこの少ない資料から、父は一体どうやって寺の縁起書を纏めるのだろうか?
 
 
「原稿用紙が2枚しかないけど、これどうすんの?流石にこの量では書こうにも書けないのでは?」

 
もう素朴な疑問が言葉になった訳ですが、父が応えた言葉は私の予想を裏切る意外なものでした。
 

「それはコピーか? 手書きか?」


「?鉛筆みたいだから、手書きだよ。」


「そうか。それならやれるから。まぁ見とけ。」


意味が分かりませんでした。コピーはダメで手書きなら出来るという事?何が違う?どういう事?

 
「こうするんだよ。」


と手招きされ様子を観察することに・・・。


椅子に座って書き写し始めた父ですが、すぐにどういうことか分かりました。最初は預かった原稿用紙を一字一句間違えないように写します。一枚半なのでそれほど時間は掛かりません。じきに写し終わってしまいましたが、そこから驚くべきことが目の前で起こりました。先代の辨英尼和尚が書いた文章の続きがスラスラと出始めたのです。全く躊躇することなく・・・。

 
本人が言うには、言葉を転がすことで途切れなく出てくる「御玉転がし(みたまころがし)」という方法だそう。手書きの文章でないと出来ないらしい。
 
 
「そんなに難しくないからお前にも出来るぞ。」
  
 
と言うことでした。
 
 
地蔵寺縁起書


二枚目途中からの続きは、大変な量になりました。現在、原稿用紙40冊を超えまだ完結していません。上の画像は父が書いた縁起書をワードを用いて印刷したものの一部です。


原稿の執筆は起きている時に手を使って自然に出てくる感じですが、寝ている時でも映画のように物語が流れるように観えたり(驚くのは朝起きても克明に覚えている)して、それらを後で書き留めたりすることで増えていきました。
 
 
一体どういうことだと話を聞けば、子供の頃は、寝てる時にお腹の上に板と紙を置いて鉛筆を握って寝ると、朝お腹の上の紙が真っ黒になっていたそう。それでは何が書いてあるかサッパリですが、本人が言うには稲荷の真言とか名号を唱えると、最初に書いた文字から観えてくるとのことでした。今ではそれは出来ないとも・・・。因みにそれは「真暗の御文(まくらのおふみ)」と言うそうです。
 
 
地蔵寺の縁起書は大きく分けて二つになりました。寺の主な歴史を纏めた「地蔵寺縁起書」と、地蔵寺の六代目の住職、玉圓尼(ぎょくえんに)和尚が修行時代に経験したことが中心のお話「地蔵寺釈厄外伝記」です。現在、宗賢尼和尚は遷化されてしまいましたが、寺の歴史の方の縁起書は納める事が出来ましたが、外伝記の方は未だ未完成なので納めておりません。何とか形にして納めたいところです。


次回はこの地蔵寺釈厄外伝記の主人公、玉圓尼と玉圓尼を守護していた白幡稲荷大明神についてお話しします。


続く・・・




スポンサーサイト



コメント

非公開コメント