※前回その1はこちら
お客様と私と父でとある大きな会場の骨董市に出かけました。
紅葉屋呉服店は着物屋ですが、茶道具や骨董品も少し取り扱っています。
私も父も古美術品は好きなので、同じ趣味のお客様と出かけた訳です。今から10年位前のお話です。
「何か目ぼしい物があったら教えろよ」
と父から言われ、私は単独で広い会場を歩いていました。
あまりにも大きな会場だと1点1点全部見ると流石に疲れます。なので自分の得意分野に絞り、ぼんやり全体を見る感じで探すと早く見て回れます。
会場の入り口から見て、一番奥右隅から2軒目の出店の前をふらっと通った時、眼に行き成り飛び込んできたものがありました。黒塗りの厨子に入った小さな弁才天像です。

(あっ! 弁天様だ!しかも宇賀弁才天だ!)
心の中で叫びました。弁才天像には腕が二本で琵琶を持った御姿と、頭上に宇賀神を乗せた腕が八本ある御姿があります。より密教色の濃い方が宇賀弁才天像だと云えます。

前回のブログの通り、丁度この頃は弁天箱に真剣に向かい合おうと、気持ちを切り替えて間もない時期です。弁才天の信仰を強く持たねば箱は動いてくれないと気付き始めたその最中に、たまたま訪れた骨董会場で宇賀弁才天の古像と出会うとは思いもよりませんでした。
蚤の市や骨董市では、まず凄い仏像と言うのはありません。古い仏像というのも殆どないです。
それを周知の上でしたが、よりにもよって非常に珍しい天部(てんぶ)である宇賀弁才天像が店頭に無造作に並べてあったのです。
気分を落ちつけ、今度は古美術を観る目で、拙い知識を総動員して観察しました。弁才天像と厨子はどちらも江戸期のもので間違いなさそうです。ただ、厨子の状態はかなり劣化していました。漆は剥げ剥げ。厨子内側の金箔もボロボロ。厨子の扉も一部欠損していました。
肝心の弁才天像はと言えば、頭上の冠は半分無くなり、手にする持物は八個現存するものの、金属製の為どれもひん曲がっていました。光背も位置がおかしいです。全体的に汚れも目立ちました。
正直に言えば、古美術的には状態はそれほど良くはなかったです。
しかし、強烈に惹かれました。これは拾っておくべきでは?心の内はそんな声でした。
次に浮かんだのは母の顔でした。もしこれを家に持ち込んだら、
「昔から祀っている仏さまがあるのに、増やしてどうすんの!?」
と言われるのは目に見えていました。至極当然です。
いろいろな思考が頭を巡りますが、買わずにこの場を離れるという選択肢はありませんでした。この宇賀弁才天像は何か入っていると直感しました。
仏像は祀るものだというのが我が家の認識なので、私の一存では結論を出す訳にもいけません。でも売れてしまったらどうしようという事で、
「これはちょっとよけといて」
と店主に伝え、父を連れてきました。稲荷と言葉を交わせる父なので、稲荷神の意見を聞きたかったのです。
じーーっと観察していた父は一言、
「もらっておこう」
と言いました。
こうして我が家に祀る仏様が一つ増えることになりました。
続く~
紅葉屋呉服店はこちらまで
お客様と私と父でとある大きな会場の骨董市に出かけました。
紅葉屋呉服店は着物屋ですが、茶道具や骨董品も少し取り扱っています。
私も父も古美術品は好きなので、同じ趣味のお客様と出かけた訳です。今から10年位前のお話です。
「何か目ぼしい物があったら教えろよ」
と父から言われ、私は単独で広い会場を歩いていました。
あまりにも大きな会場だと1点1点全部見ると流石に疲れます。なので自分の得意分野に絞り、ぼんやり全体を見る感じで探すと早く見て回れます。
会場の入り口から見て、一番奥右隅から2軒目の出店の前をふらっと通った時、眼に行き成り飛び込んできたものがありました。黒塗りの厨子に入った小さな弁才天像です。

(あっ! 弁天様だ!しかも宇賀弁才天だ!)
心の中で叫びました。弁才天像には腕が二本で琵琶を持った御姿と、頭上に宇賀神を乗せた腕が八本ある御姿があります。より密教色の濃い方が宇賀弁才天像だと云えます。

前回のブログの通り、丁度この頃は弁天箱に真剣に向かい合おうと、気持ちを切り替えて間もない時期です。弁才天の信仰を強く持たねば箱は動いてくれないと気付き始めたその最中に、たまたま訪れた骨董会場で宇賀弁才天の古像と出会うとは思いもよりませんでした。
蚤の市や骨董市では、まず凄い仏像と言うのはありません。古い仏像というのも殆どないです。
それを周知の上でしたが、よりにもよって非常に珍しい天部(てんぶ)である宇賀弁才天像が店頭に無造作に並べてあったのです。
気分を落ちつけ、今度は古美術を観る目で、拙い知識を総動員して観察しました。弁才天像と厨子はどちらも江戸期のもので間違いなさそうです。ただ、厨子の状態はかなり劣化していました。漆は剥げ剥げ。厨子内側の金箔もボロボロ。厨子の扉も一部欠損していました。
肝心の弁才天像はと言えば、頭上の冠は半分無くなり、手にする持物は八個現存するものの、金属製の為どれもひん曲がっていました。光背も位置がおかしいです。全体的に汚れも目立ちました。
正直に言えば、古美術的には状態はそれほど良くはなかったです。
しかし、強烈に惹かれました。これは拾っておくべきでは?心の内はそんな声でした。
次に浮かんだのは母の顔でした。もしこれを家に持ち込んだら、
「昔から祀っている仏さまがあるのに、増やしてどうすんの!?」
と言われるのは目に見えていました。至極当然です。
いろいろな思考が頭を巡りますが、買わずにこの場を離れるという選択肢はありませんでした。この宇賀弁才天像は何か入っていると直感しました。
仏像は祀るものだというのが我が家の認識なので、私の一存では結論を出す訳にもいけません。でも売れてしまったらどうしようという事で、
「これはちょっとよけといて」
と店主に伝え、父を連れてきました。稲荷と言葉を交わせる父なので、稲荷神の意見を聞きたかったのです。
じーーっと観察していた父は一言、
「もらっておこう」
と言いました。
こうして我が家に祀る仏様が一つ増えることになりました。
続く~
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