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2020-12-17

◆神仏習合について考える その2

御神木に宿っている神様は、いったいどんな神様なのかは誰にも分からない・・・。


こう結論付けたのは、神道の神様と仏教の仏様の違いがよく分かってからでした。


日本の「神」という言葉を広辞苑で引くとこうあります。


①人間を超越した威力を持つ、隠れた存在。人知を以てはかることの出来ぬ能力を持ち、人間に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。


②日本の神話に登場する人格神。


③最高の支配者。 天皇。


④神社などに奉祀される霊。


⑤人間に危害を及ぼし、畏れられるもの。



とありました。神社の神様とは決して福の神だけではないのです。敬うことは当たり前ですが、それよりも前に畏怖する存在が日本における神様なのです。


②のように、記紀神話や先代旧事本記に登場する神様ばかりではなく、人に災厄を齎す存在も、また〇〇神と呼びます。祟り神、疫病神、貧乏神等などです。鬼神という神様もいます。④は歴史上の人物や、戦没者、我々の先祖も神と呼ばれることがあります。福の神もいれば荒ぶる神もいる。神とは一言では表せれないほど多いのです。


広辞苑の解説の最初の一文が全てを物語っていると思いますが、神社の神様への信仰とは、根底に畏怖の念を持っていないと駄目だという事です。神様は時に福の神にもなれば、恐るべき荒ぶる神にもなるのです。
 
 
人間と同じ感情があると言えば分かりやすいでしょうか?謙虚に素直な気持ちでお参りする。感謝の気持ちを忘れず、信仰することが出来れば、何かの時にお力添えを頂けるとは思いますが、やってはいけないことをすると腹を立てるのです。
 
 
そして人間がそうであるように、神様の性格というか性質というか、それは神様によってまちまちです。比較的人間に対し寛容な神様もいれば、気性の激しい神様もいます。記紀神話に出ている神様は、その神話を読めば何となく性格が分かりますが、神社によっては記紀神話に出てこない神々も多いです。あるいは神社に祀られていない神々も膨大に存在します。
 
 
神社にある木だけが御神木ではありません。祀られていない神々が山ほどいるのであれば、山の中の巨木や、自分の家に植わっている古木にも神が宿っている可能性はあるのです。
 
 
熊野那智大社では、楠の巨木の中に入り願掛け(厄除け?)を出来るようになっていました。神様へのお参りは畏敬の念を以て成り立っているのであれば、何か厄除けや願掛けをする場合、強い信仰心があるのが前提でなければならないでしょう。
 
 
熊野権現の誓約の話にもあるように、厳しい神様ほど、強い御利益がある神様ほど相手を怒らせたら確実に衰運になるのです。
 
 
熊野那智大社の御祀神は伊弉冉尊です。古事記を読むに、黄泉の国との境で夫である伊弉諾尊と大喧嘩した話で有名な神様です。かなりきつい神様と言えます。
 
 
子供が御神木潜りをしたいと言ったものの、それを止めさせた理由・・・。


その境内にある御神木に触ったり願掛けする。しかも信仰もないのにとなると、かなりリスキーだと判断した訳です。


ただ、熊野那智大社に限ってはそれほど神経質にならなくても良かったのかもなと、後でそう思いました。何故ならそこには仏様の気配があったからです。


続きます・・・

熊野那智大社10


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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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