名古屋駅に用事があり、いつも車で通る道にある椿神明社が、何の工事か、かつての雰囲気が様変わりしておりました。

もう何年も昔のことですが、車でふと通りかかったら、なかなか強い感じのする神社だなと思い、お参りに訪れたことがありました。
ちょっとショックでしたね。
神社そのものを潰すのか、それとも引っ越しするのか・・・。
境内正面入り口の壁に工事の内容が記されたものがありました。

それによれば、以前の本殿の位置をずらすようです。縮小ですね。
社の後ろ側の土地と、社が建っていた土地の一部を手放したみたいです。
土地の買い手(?)はJRのようです。
嘗ての雰囲気を知っていたので、あまりの変わりように言葉もありませんでした。
「一体、あの神社はどういう神社だったのか・・・」
興味が湧いたので調べてみました。
まずは御祀神です。
豊受大神を祀っていました。この辺りは江戸時代には牧野村と呼ばれており、その当時からあった村の五つの神社の一つです。この五つの神社は現在も残っています。
椿神明社と天王社(牛頭天王様)、厳島社(弁才天)、神明社、稲穂社(稲荷神)で牧野五社となっていました。
この辺りの歴史は古く、鎌倉時代には伊勢の荘園として神様へお供えをする作物を作っていたようです。故にいつの頃か椿神明社を伊勢の外宮として、もう一つの神明社を伊勢の内宮として村人たちは崇めていたとありました。
かなり古い時代からあった神社と分かりました。

あと2年位は工事をしているようなので、この賽銭箱も当分こんな感じなのでしょうか。
おそらく綺麗な境内になるのでしょうが、沢山あった木々が壊滅しているのが痛々しいです。
何故木々を切ったのか。重機が入るのに邪魔だったのか。耐震とかで地面から手を入れるから仕方がなかったのか。
神社の工事を請けおった会社のサイトに、解体工事の詳細が載っていました。
リンク先の昔の神社の写真と見比べると、随分違います。JRが買ったのかと思いましたが、譲り渡したとあるのでお金は発生していない?そんなことはないか。
神社への参拝を続けているうちに気付きましたが、写真を撮ってもよさそうな所や、ここは撮ってはいけないという場所があります。
祀っている神様にもよりますが、写真を撮ったり足を踏み入れたりしてはいけないのは社殿の後側の土地です。それは神社にとって最も神聖な場所だということです。
神職の方がきちんとした所作を行い、工事をしているとは思いますが、こういう元々神社の社の後ろだった土地を知らずに買って、家でも建てて住むとなると、その後はなかなか大変かと思われます。
土地を買ったのがJRなので、誰かが住むようなものは出来ないとは思いますが・・・。

椿神明社について調べていると、牧野村とこの地域に残る「甘酒祭」という神事に纏わる昔話で、興味深いものが出てきました。
◎甘酒祀の云われ(年代不詳)
椿神社境内近くの笈瀬川の川辺に大きな藤の木があり、たいそう評判で毎年大勢の人たちが訪れた。しかし、あまりにも見物人が増えて、近くの畑などを踏み荒らされてしまったため、人がもう来ないようにということで村人がこの木を切り倒したところ、疫病が流行り、村人の殆どが患った。
困った村人の一人が智者に頼み占ったところ、それは藤の木を切り倒したことによる祟りだから、家ごとに酒を作り、その酒を神様に献上するようにと言われた。
ただ、村で酒を作るのは難しいということで甘酒で勘弁してもらって、椿神明社ともう一つの神明社に供え、そのお下がりの甘酒を飲んだたところ、疫病は治まったと云う。
というものです。気になる個所を赤字にしました。
前回のブログで奈良県の西大寺境内にあった「石落神社」を思い出させるような話が、まさかここで出て来るとは・・・。
最近、田んぼの田の字の意味について、思考を巡らせていましたが、この話の中にもヒントがありそうです。
長くなりそうなので、椿神明社についてはここで終わります。
次回は牧野五社の一つ、弁才天様について考えてみたいと思います。
これは一度お参りに行かねばならないかも・・・。
※参考サイト
名古屋神社ガイド
https://jinja.nagoya/top/nakamuraku/tubaki-sinmeisya
よくこれだけ調べたなと思います。名古屋の神社はまずこれを見ると良いかも。
※紅葉屋はこちらまで

もう何年も昔のことですが、車でふと通りかかったら、なかなか強い感じのする神社だなと思い、お参りに訪れたことがありました。
ちょっとショックでしたね。
神社そのものを潰すのか、それとも引っ越しするのか・・・。
境内正面入り口の壁に工事の内容が記されたものがありました。

それによれば、以前の本殿の位置をずらすようです。縮小ですね。
社の後ろ側の土地と、社が建っていた土地の一部を手放したみたいです。
土地の買い手(?)はJRのようです。
嘗ての雰囲気を知っていたので、あまりの変わりように言葉もありませんでした。
「一体、あの神社はどういう神社だったのか・・・」
興味が湧いたので調べてみました。
まずは御祀神です。
豊受大神を祀っていました。この辺りは江戸時代には牧野村と呼ばれており、その当時からあった村の五つの神社の一つです。この五つの神社は現在も残っています。
椿神明社と天王社(牛頭天王様)、厳島社(弁才天)、神明社、稲穂社(稲荷神)で牧野五社となっていました。
この辺りの歴史は古く、鎌倉時代には伊勢の荘園として神様へお供えをする作物を作っていたようです。故にいつの頃か椿神明社を伊勢の外宮として、もう一つの神明社を伊勢の内宮として村人たちは崇めていたとありました。
かなり古い時代からあった神社と分かりました。

あと2年位は工事をしているようなので、この賽銭箱も当分こんな感じなのでしょうか。
おそらく綺麗な境内になるのでしょうが、沢山あった木々が壊滅しているのが痛々しいです。
何故木々を切ったのか。重機が入るのに邪魔だったのか。耐震とかで地面から手を入れるから仕方がなかったのか。
神社の工事を請けおった会社のサイトに、解体工事の詳細が載っていました。
リンク先の昔の神社の写真と見比べると、随分違います。JRが買ったのかと思いましたが、譲り渡したとあるのでお金は発生していない?そんなことはないか。
神社への参拝を続けているうちに気付きましたが、写真を撮ってもよさそうな所や、ここは撮ってはいけないという場所があります。
祀っている神様にもよりますが、写真を撮ったり足を踏み入れたりしてはいけないのは社殿の後側の土地です。それは神社にとって最も神聖な場所だということです。
神職の方がきちんとした所作を行い、工事をしているとは思いますが、こういう元々神社の社の後ろだった土地を知らずに買って、家でも建てて住むとなると、その後はなかなか大変かと思われます。
土地を買ったのがJRなので、誰かが住むようなものは出来ないとは思いますが・・・。

椿神明社について調べていると、牧野村とこの地域に残る「甘酒祭」という神事に纏わる昔話で、興味深いものが出てきました。
◎甘酒祀の云われ(年代不詳)
椿神社境内近くの笈瀬川の川辺に大きな藤の木があり、たいそう評判で毎年大勢の人たちが訪れた。しかし、あまりにも見物人が増えて、近くの畑などを踏み荒らされてしまったため、人がもう来ないようにということで村人がこの木を切り倒したところ、疫病が流行り、村人の殆どが患った。
困った村人の一人が智者に頼み占ったところ、それは藤の木を切り倒したことによる祟りだから、家ごとに酒を作り、その酒を神様に献上するようにと言われた。
ただ、村で酒を作るのは難しいということで甘酒で勘弁してもらって、椿神明社ともう一つの神明社に供え、そのお下がりの甘酒を飲んだたところ、疫病は治まったと云う。
というものです。気になる個所を赤字にしました。
前回のブログで奈良県の西大寺境内にあった「石落神社」を思い出させるような話が、まさかここで出て来るとは・・・。
最近、田んぼの田の字の意味について、思考を巡らせていましたが、この話の中にもヒントがありそうです。
長くなりそうなので、椿神明社についてはここで終わります。
次回は牧野五社の一つ、弁才天様について考えてみたいと思います。
これは一度お参りに行かねばならないかも・・・。
※参考サイト
名古屋神社ガイド
https://jinja.nagoya/top/nakamuraku/tubaki-sinmeisya
よくこれだけ調べたなと思います。名古屋の神社はまずこれを見ると良いかも。
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