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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆石落神社 その2

西大寺に纏わる興味深い昔話が出て来たので紹介します。


それは「続日本紀」にあった昔話です。続日本紀は日本書紀に続く第二の日本紀という意味合いで、文武天皇から桓武天皇までの95年間の歴史を全40巻に収めた勅選史書です。
 
 
各時代の天皇陛下が在位中に起こった出来事が記されています。
 
 
その中で、称徳天皇の代、宝亀元年(770年)2月23日に起こった出来事に、石落神社に関すると思われる、とある出来事がありましたので紹介したいと思います。


西大寺の東塔の心礎を壊し捨てた。その石の大きさは1丈四方余り、厚さ9尺で、東大寺の東、飯森山にあった石である。初め数千人で引き動かしたが、一日で数歩分しか進まず、時に唸り声がした。そこで人夫を増やして9日かかってやっと運んだ。それから削り刻んで据え付けの基礎を築くことが完了した。

その時、男女の巫女の中に、ともすれば石の祟りがあるかもしれないという者があった。そこで芝を積んで石を焼き、三十石あまりの酒を注いで、細かく砕いて道路に捨てた。その後、一ヵ月余りして天皇が病気になった。これを占ったところ、砕いた石の祟りであるというので、すぐにまた拾って清らかな土地に置き、人馬が踏まないようにした。今、寺内の東南隅にある数十片の砕石がそれである~



なるほどというような記録が出てきました。祟る石の話です。西大寺は称徳天皇(東大寺を建立した聖武天皇の娘)勅願により建立された大寺院ですが、その発起人になった天皇が障りをうけて病気になるのです。そしてこの年の8月4日、称徳天皇は53歳で崩御しました。
 
 
大勢の人工をもってしても殆ど動かない、うなりを上げる石と言うのは、山の御神体とか古代の磐座かなにかだと思います。石そのものが神です。
 
 
その石を無理やり動かし、削って五重塔の礎石に用いるも、祟るかもしれないという理由で燃やして酒をかけ地面にばら撒きました。当時の厄除けの仕方なのでしょう。しかし、石の祟りは衰えず、称徳天皇は病気になります。


巨大寺院を建立する時には、資材を集めるのも大変だと思うので、当時この石に目をつけた人たちも、ひょっとしたら神として崇めている石だと分かっていたのかもしれませんが、やむを得なかったのでしょうか。


そういえば、京都の東寺にも似たような話が伝わっています。五重塔の建立にあたり、聖域とされた伏見稲荷の森から木を伐採したら時の天皇陛下が病気となったという話です。これも同じパターンだと思います。



西大寺は最盛期には110以上の堂舎があった巨大寺院ですが、平安中期には最盛期の姿は見る影もないほど衰退していたようです。衰退した切っ掛けは、平安遷都があり、援助が受け難くなったことだと言われています。


その後、衰退した西大寺を再興させたのが、興正菩薩叡尊上人(1201~1290)です。鎌倉時代の人です。


ここからは推測ですが、叡尊上人が西大寺を再興していく中で、これは絶対に何とかしなくてはと考えたのが、あの祟る石の残骸だったと思います。
 

御神石を山から取り出し、破壊し、それを祀りもせずその辺にばら撒いていた。挙句、寺の建立に携わった称徳天皇すら命を落としている。御神体の神が怒り、祟り神になっていることが西大寺が衰退した直接の原因であると考えていたのかもしれません。


そこで、おそらくその石の破片を搔き集め、三輪山から超強力な呪力を持つ神、少名彦命を勧請し祀った。


これは二通り考えられると思いますが、一つは病を齎す名も無き古代の祟り神を、病を治す薬の神である少名彦命と同体であるとして習合させ、一緒に祀った。
 
 
あるいは封じの力をもつ少名彦命をもってきて、祟り神を封じ込めたのどちらかでしょう。


西大寺4

どっちの可能性もあるかと思いますが、真実は分かりません。


今でも石落神と呼ばれるのは、やはり祟る神への敬意、忘れてはなるまいという先人の想いを感じます。


石落神社の結界がどういう意味であるのか。
 
 
ただ単に文化財になっている社に、イタズラされないようにあるのかもしれませんが、色々と調べるとこの小さな神社が西大寺にとっては、とても大事な神社であるということが良く分かりました。


石楽神は豊心丹という薬を授与したり、初午の厄除けの御祭では大きな力を発揮しているようです。西大寺参拝の折はぜひこちらの石楽神社へもお参り下さい。ただし、境内の中には入らない方が良いかと思います。


おしまい


※あくまで個人の感想です。

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参考文献  続日本紀全現代語訳  宇治谷孟   講談社学術文庫 
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