奈良県の西大寺にお参りに行って来ました。ふと行ってみたいと思ったのが切っ掛けです。
小学生の頃、父に連れられてお参りに行った記憶がありますが、かれこれ40年近く経ってからの再訪です。

随分時間が経過してからの再訪です。当時のうっすらとした記憶では、六角形だったか八角形の建物があり、その中に大きな塑像の文殊菩薩があったような・・・。
しかし、実際に訪れた西大寺は記憶と随分違いました。文殊菩薩はありましたが木彫で、それほど大きくありません。
そして見上げるほどの大きな仏像は長谷寺様式の十一面観音像でした。西大寺は大きなお寺ですが、見所はやはり画像の四王金堂の十一面観世音菩薩と同じお堂にある四天王でしょう。
鋳造の四天王(一体は木造)というのも珍しいかと思います。
西大寺でもらった境内図を見ていたら、変わった名前の神社がありました。「石落神社」です。読み方は「いしおち」かと思いましたが、正しくは「しゃくらくじんじゃ」です。

一目見て尋常ではない神社だと思いました。鳥居の前に結界(竹製の棒)があるのです。ようするに入ってはならない神社です。入り口の鳥居に結界がいきなりある神社は初めてかもしれません。
社名も独特です。石が落ちる神社です。

近くの看板によれば、西大寺の鎮守の神様であること、西大寺を再興させた叡尊上人が仁治三年(1242年)に祀られたとありました。
何を祀っているのかはさっぱり分かりません。
気になったので調べてみました。西大寺のHPによればこうありました。
「東門前の道を隔てた東北にある小祠。仁治3年(1242)叡尊が三輪から少彦名命を勧請したと伝えられ、呪薬法会などに奉祀されてきた。わが国最古の売薬として著名な豊心丹はこの石落神が授与した秘薬という由来によって製作された漢方薬である。現在は春日造の檜皮葺一間社である。3月の初午厄除祈願は石落神を勧請して祈願を行う。」
気になった個所を赤字にしてみました。
まず、御祀神が分かりました。少名彦命(すくなびこのみこと)です。
私もそんなに詳しくない神様だったので調べてみました。簡単ですが少名彦命について特徴を纏めてみます。
①神道における、創造に携わった神々の一柱、神産巣日神の御子神。
②一寸法師のモデルとも言われるように、非常に小さな神様。しかしやっていることはスケールがデカい。
③大国主命と共に全国を巡り国造りをした神様。国土を開発した。
④常世からやってきた神様。
⑤農業技術や酒造りの技術、薬の技術などを齎した神様。
⑥温泉神としての一面もある。
⑦穀物の神でもあるので、鳥獣や昆虫の害から穀物を守る禁厭(まじない)を大国主命と共に定めた。
ざっとですが、このような特徴がありました。少名彦命は、ガガイモの皮で出来た船(実が長さ10センチくらい)に乗ってやってきたとあるように、とても小さな神様ですがそれに反して凄まじい力を持っている神様でもあると分かりました。有能過ぎます。
国土経営の神、医薬神、酒神、農耕の神、温泉の神・・・一体どれほどの力を持つ神様なのでしょうか。
そんな経歴のはっきりした石楽神社の御祀神でもある少名彦命ですが、一点だけ不可解なのは、西大寺のHPでは厄除けの祈願祭では、寺の守護神でもある少名彦命を、その神名では呼ばず、「石楽神」と呼ぶことです。
そもそもなんでこの社名なのか?
少名彦命の来歴を調べてみても、石が落っこちてくるような話は出てきません。
実はこの石落という社名、西大寺に纏わる昔話にこれだなと思うようなものがありました。
次回はもう少し石落神社について考えてみたいと思います。
続く~
紅葉屋はこちらまで
※参考文献 八百万の神々 戸部民夫著 新紀元社
小学生の頃、父に連れられてお参りに行った記憶がありますが、かれこれ40年近く経ってからの再訪です。

随分時間が経過してからの再訪です。当時のうっすらとした記憶では、六角形だったか八角形の建物があり、その中に大きな塑像の文殊菩薩があったような・・・。
しかし、実際に訪れた西大寺は記憶と随分違いました。文殊菩薩はありましたが木彫で、それほど大きくありません。
そして見上げるほどの大きな仏像は長谷寺様式の十一面観音像でした。西大寺は大きなお寺ですが、見所はやはり画像の四王金堂の十一面観世音菩薩と同じお堂にある四天王でしょう。
鋳造の四天王(一体は木造)というのも珍しいかと思います。
西大寺でもらった境内図を見ていたら、変わった名前の神社がありました。「石落神社」です。読み方は「いしおち」かと思いましたが、正しくは「しゃくらくじんじゃ」です。

一目見て尋常ではない神社だと思いました。鳥居の前に結界(竹製の棒)があるのです。ようするに入ってはならない神社です。入り口の鳥居に結界がいきなりある神社は初めてかもしれません。
社名も独特です。石が落ちる神社です。

近くの看板によれば、西大寺の鎮守の神様であること、西大寺を再興させた叡尊上人が仁治三年(1242年)に祀られたとありました。
何を祀っているのかはさっぱり分かりません。
気になったので調べてみました。西大寺のHPによればこうありました。
「東門前の道を隔てた東北にある小祠。仁治3年(1242)叡尊が三輪から少彦名命を勧請したと伝えられ、呪薬法会などに奉祀されてきた。わが国最古の売薬として著名な豊心丹はこの石落神が授与した秘薬という由来によって製作された漢方薬である。現在は春日造の檜皮葺一間社である。3月の初午厄除祈願は石落神を勧請して祈願を行う。」
気になった個所を赤字にしてみました。
まず、御祀神が分かりました。少名彦命(すくなびこのみこと)です。
私もそんなに詳しくない神様だったので調べてみました。簡単ですが少名彦命について特徴を纏めてみます。
①神道における、創造に携わった神々の一柱、神産巣日神の御子神。
②一寸法師のモデルとも言われるように、非常に小さな神様。しかしやっていることはスケールがデカい。
③大国主命と共に全国を巡り国造りをした神様。国土を開発した。
④常世からやってきた神様。
⑤農業技術や酒造りの技術、薬の技術などを齎した神様。
⑥温泉神としての一面もある。
⑦穀物の神でもあるので、鳥獣や昆虫の害から穀物を守る禁厭(まじない)を大国主命と共に定めた。
ざっとですが、このような特徴がありました。少名彦命は、ガガイモの皮で出来た船(実が長さ10センチくらい)に乗ってやってきたとあるように、とても小さな神様ですがそれに反して凄まじい力を持っている神様でもあると分かりました。有能過ぎます。
国土経営の神、医薬神、酒神、農耕の神、温泉の神・・・一体どれほどの力を持つ神様なのでしょうか。
そんな経歴のはっきりした石楽神社の御祀神でもある少名彦命ですが、一点だけ不可解なのは、西大寺のHPでは厄除けの祈願祭では、寺の守護神でもある少名彦命を、その神名では呼ばず、「石楽神」と呼ぶことです。
そもそもなんでこの社名なのか?
少名彦命の来歴を調べてみても、石が落っこちてくるような話は出てきません。
実はこの石落という社名、西大寺に纏わる昔話にこれだなと思うようなものがありました。
次回はもう少し石落神社について考えてみたいと思います。
続く~
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※参考文献 八百万の神々 戸部民夫著 新紀元社
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