「紅葉屋呉服店は個人の家では名古屋最大のパワースポットだね。」
何時だったか、とあるお客様がおっしゃったことです。
住んでいる私ども家族としては何も感じませんが、改めて言われるとそういう感想が出るような家かもしれません。
家で祀っている仏様は、感受性の強いお客様がその前に坐ると、「これは強い力の仏様ですね」と言われることもあります。
昔、とあるお坊様がご来店された際、仏様を観て「ご家族何ともないですか?」と言われたこともありました。
私も生まれた時からずっと一緒に生活しておりますが、特に何もありません。むしろ数えきれないほどお助け頂いたと思います。素人なりに祀り方がうまくいっているのでは?と思います。
インターネットが生活の中に当たり前に浸透してからは、噂が噂を呼び、ご新規の方も仏様を目当てにご来店される方も増えて来ました。
前回のブログで「見仏」と「拝観」について考えてみました。
これまでは、お客様や新規の方、見仏でも拝観でも見たいとおっしゃる方はご案内しておりましたが、今後は見仏目的の御依頼はお断りしようかと考えております。
と言うのも、昨年こんな出来事があったからです。
たまたま店の前を通った数人の新規の方がご来店されました。
店のウィンドウに企画展の案内を出していたので、それを見てのことです。
父が会話の中で、観音様のことを話したら、その人達は見たいとおっしゃられました。
それを聞いて、父も何か気になったのか意外なことを訊ねました。
内容的には、よく寺社へお参りに出かけるかどうか、真言や名号を唱えたことがあるか、などです。
その人達はそのどちらにも当てはまりませんでした。
結果だけ述べれば、手を合わすことも無く仏様の前で座ることも無く、真言も名号も唱えませんでした。ただ立ったまま見ていました。
そのせいかどうか分かりませんが、帰られる頃は調子が悪そうでした。フラフラになっていたのです。
これは推測ですが、我が家にある仏様は相当の力があります。初めて見る人は恐怖心を抱くこともあり得ます。そういう恐怖心というのは仏様は受け取らないので、全て跳ね返します。結果、自分の出したものが自分に返るということです。
実際、我が家では誰一人一緒に生活していてもフラフラにはなっていません。これは恐らく家族全員が恐怖の目で見てないからだと思います。この話はお寺に祀っているどの仏像にも当て嵌まります。仏像を見て最初は怖く見えても、対峙するこちらが素直に受け入れる気持ちが出来ると、仏像の顔がいきなり変わることもあります。怒っていたように見えた顔が笑うのです。
仏像はその人の姿を映す、鏡のような一面もあると思います。
紅葉屋呉服店では、仏様をお参りしたいとおっしゃる方は是非どうぞとご案内致しますが、ただ見たいとおっしゃる方はお断りすることにしました。今まで物とか美術品でしか仏像を見たことが無いと言う方、信仰心もなければ手も合わせたことも無いと言う方は、万が一調子が悪くなってもいけないので。
信仰心は個人で気付いて持つもので、強制するのも勧めることもしない方が良いと思います。なので仏像を見ることは見仏でも拝観でもどちらでも良いことです。しかし、特にもともとが強い力を秘めた霊像であるなら、やはりお参りする方もそれなりの気持ちでないといけないのでは?と思った次第です。

仏像をお参りに行って、フラフラになるという経験は、まぁ滅多にないことですけどね。
2020年度創業以来初の企画展開催中です。
何時だったか、とあるお客様がおっしゃったことです。
住んでいる私ども家族としては何も感じませんが、改めて言われるとそういう感想が出るような家かもしれません。
家で祀っている仏様は、感受性の強いお客様がその前に坐ると、「これは強い力の仏様ですね」と言われることもあります。
昔、とあるお坊様がご来店された際、仏様を観て「ご家族何ともないですか?」と言われたこともありました。
私も生まれた時からずっと一緒に生活しておりますが、特に何もありません。むしろ数えきれないほどお助け頂いたと思います。素人なりに祀り方がうまくいっているのでは?と思います。
インターネットが生活の中に当たり前に浸透してからは、噂が噂を呼び、ご新規の方も仏様を目当てにご来店される方も増えて来ました。
前回のブログで「見仏」と「拝観」について考えてみました。
これまでは、お客様や新規の方、見仏でも拝観でも見たいとおっしゃる方はご案内しておりましたが、今後は見仏目的の御依頼はお断りしようかと考えております。
と言うのも、昨年こんな出来事があったからです。
たまたま店の前を通った数人の新規の方がご来店されました。
店のウィンドウに企画展の案内を出していたので、それを見てのことです。
父が会話の中で、観音様のことを話したら、その人達は見たいとおっしゃられました。
それを聞いて、父も何か気になったのか意外なことを訊ねました。
内容的には、よく寺社へお参りに出かけるかどうか、真言や名号を唱えたことがあるか、などです。
その人達はそのどちらにも当てはまりませんでした。
結果だけ述べれば、手を合わすことも無く仏様の前で座ることも無く、真言も名号も唱えませんでした。ただ立ったまま見ていました。
そのせいかどうか分かりませんが、帰られる頃は調子が悪そうでした。フラフラになっていたのです。
これは推測ですが、我が家にある仏様は相当の力があります。初めて見る人は恐怖心を抱くこともあり得ます。そういう恐怖心というのは仏様は受け取らないので、全て跳ね返します。結果、自分の出したものが自分に返るということです。
実際、我が家では誰一人一緒に生活していてもフラフラにはなっていません。これは恐らく家族全員が恐怖の目で見てないからだと思います。この話はお寺に祀っているどの仏像にも当て嵌まります。仏像を見て最初は怖く見えても、対峙するこちらが素直に受け入れる気持ちが出来ると、仏像の顔がいきなり変わることもあります。怒っていたように見えた顔が笑うのです。
仏像はその人の姿を映す、鏡のような一面もあると思います。
紅葉屋呉服店では、仏様をお参りしたいとおっしゃる方は是非どうぞとご案内致しますが、ただ見たいとおっしゃる方はお断りすることにしました。今まで物とか美術品でしか仏像を見たことが無いと言う方、信仰心もなければ手も合わせたことも無いと言う方は、万が一調子が悪くなってもいけないので。
信仰心は個人で気付いて持つもので、強制するのも勧めることもしない方が良いと思います。なので仏像を見ることは見仏でも拝観でもどちらでも良いことです。しかし、特にもともとが強い力を秘めた霊像であるなら、やはりお参りする方もそれなりの気持ちでないといけないのでは?と思った次第です。

仏像をお参りに行って、フラフラになるという経験は、まぁ滅多にないことですけどね。
2020年度創業以来初の企画展開催中です。
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