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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆注意すべき神社  その⑥

注意すべき神社ということで私目線で考えてきましたが、本テーマについては今回で終わりです。


最後は⑥、戦没者を祀る神社です。


該当するのは、愛知県で言えば名古屋市中区にある護国神社、東京には靖国神社がそれにあたります。


明治期に出来た神社であること、神仏習合時代の神社と違い、ずっと神社であること、祭ってある御魂が多いというのが私達の身近にある神社との大きな違いです。(江戸以前の大勢の死者を弔う場合、仏教式で供養したケースが多いと思いますが、明治政府の政策があったので、戦没者を祀る際は神道でなければならなかったのでは?)
 

 
愛知県の護国神社は当初は戊辰戦争に戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、後に愛知県所縁の大東亜戦争までの戦争で亡くなられた英霊が祀られています。


靖国神社も同様で、戊辰戦争で亡くなった人達を祀ったのがきっかけで、後の戦争で亡くなられた人達も合祀されたようです。その数は246万柱とか。


実在した人物を祀る為に神社を建てる理由とは何なのか?


その根底にあるのは恐れだと思います。


非業な死を迎えた大昔の人。難工事で亡くなった人達、大勢の戦没者達。誰も望んで死んだ人達ばかりではありません。望まない死に方をしたと思っている死者達も大勢いたでしょう。


残った人達は自分達に怒りを持って祟るのではないか?と思うのは自然な感情です。
 
 
日本に根付いた大きな霊的な考え方が、神と仏です。


仏の場合は教え。神の場合は道です。この辺りから大きく違うのかもしれません。

 
仏教の場合は、非業な死を迎えた魂は供養します。仏の世界に導くのです。


それに対して神道は神として祀り上げます。それは遠くに送るのではなく、神として人々の身近に祀ります。慰めて神とする発想です。古くからの考え方では多くの御霊が一か所に集まると、祖霊とか神になる、そして残った人や国(故郷)を守る氏神となるというのがあります。守って頂きたいので、近くに祀るということです。


何百年も家系が続き、同じ場所に子孫が住み続けるという古い御屋敷には、敷地の一角に先祖の墓地があることもあります。それも同じ発想かと思われます。こういった考え方は相当古く、昔テレビで見ましたが、とある縄文遺跡では集落の中心に縄文人達の墓地があるそうです。
 
 
神として祀り上げたにも関わらず、それでもなお祟りまくる場合は別の神様を持って来て封じるということもあります。(最初から封じる場合もあるかも)


今回のテーマに話を戻しますが、靖国神社や護国神社への参拝は、今自分の立っているところの真下には大勢の犠牲者がいるということを忘れてはならないことです。

神社イラスト

 
こういった戦没者を大勢祀る神社へ参拝に行くと言う人達の中には、変な人はいないと思いますが、亡くなってから神になったのが比較的新しいということと、膨大な数の御魂が祀られているという事、祖国や故郷の為に殉じた人、生きたくともそうならなかった無念の人、様々な御魂が集合しているということを念頭におくことが大切かと思います。
 

神社全般に言えると思いますが、特にこういう神社は礼節を守ったりすることは大事ですし、夜に参拝へ行ったり、写真をバシャバシャ撮ってSNSに上げたりするのは止めた方が良い神社かと思います。
 
 
今回紹介した神社は、お参りに行かない方が良いと言う意味で挙げた訳ではありません。これらの神社は神への参拝と言う意味と、お墓参りと言う意味が両方ある神社です。その神様がどういう気持ちでいたのかを考えることが、結果的にはどういう参拝をするのがベストなのかを導くことになります。
 
 
そこを見落とすと、せっかく出かけた神社参拝が見当違いになるかもしれません。また場合によっては神の怒りを買うことになるかも・・・。


このブログが何かのお役に立てれば幸いです。



おしまい。



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