注意すべき神社で項目から外れていた、大事な神社がありました。
それは「もと人間を神として祀っている神社」です。歴史上に実在した人物を祀る神社です。
有名どころだと菅原道真公、平将門公、徳川家康公や豊臣秀吉公、加藤清正や吉田松陰などなどです。ある意味このような方々を祀る神社はお墓とも言えます。
天皇陛下のご先祖神にあたる神様の中だと、最も多いと思われるのが八幡神社の応神天皇やそのお母さんの神宮皇后もそれに該当しそうです。八幡社は全国で二番目に多い神社というので、元人間を神として祀る神社というのは、全国の神社の中でもかなりの割合をしめるかも。
この元人間の神様と一括りにすると、ちょっと無理が生じます。なので、「祟ったから・あるいは祟りそうだから祀られた」場合と、そうではない場合と大きく分けます。さらにそれを出来る限り細分化すると・・・
①歴史において有名な人物で、勝った方の神様の神社
②歴史において有名な人物で、負けてしまった方の神様の神社
③祟りまくって恐れられて祀られた神様の神社(全国版)
④祟りまくって恐れられて祀られた神様の神社(地域限定)
⑤当事者が生きていた時代には無く100年単位の時間が経過して祀られた神様の神社
⑥戦没者を祀る神社
まだあるかもしれませんが、考えれるだけ考えてみました。①で有名なのはやはり古代の戦争に勝利した戦神、応神天皇を祀る八幡社が該当すると思います。徳川家康公を祀る東照宮もそうですね。
②だと平将門公や、京都にある御霊神社が有名です。御霊とは不遇な死に方をした人の霊を神としたものです。
例で挙げた京都の上御霊神社・下御霊神社、奈良県の秋篠寺付近の八所御霊神社は同じ神様を祀っています。私はこの中で八所御霊神社のみ参拝に行ったことがありました。(調べてて思い出しました)
この三か所の神社でお祭されている神様は崇道天皇(すどうてんのう)です。気になったので調べてみました。
崇道天皇は平安時代の人物で、その当時は早良親王と呼ばれていました。以下、かいつまんで紹介致します。
延暦三年、桓武天皇は長岡へ遷都。この時、藤原種継の暗殺事件が起こる。長岡京の造宮司の藤原種継は早良親王と敵対関係であったため、早良親王が暗殺事件の首謀者とみなされる。(早良親王は桓武天皇と異母兄弟)
その後親王は、淡路島の乙訓寺にて監禁されることになった。早良親王は無実を訴え、食を断った。10日余り過ぎ、宮内卿の石川恒守らが淡路島へ移送する途中、高瀬橋頭で絶命した。
恒守はそのまま遺体を淡路島へ運び葬った。その後、異変が起こる。
桓武天皇の妻、藤原旅子が他界。続いて母親の高野新笠(たかのにいがさ)、皇后の藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が他界。天変地異もおきた。さらに皇太子の病気が長引くので占った所、皇位を廃された早良親王の祟りであると出た。
朝廷は淡路国に使者を送り、奉謝を行った。
しかし、これでも祟りは治まらず、早良親王の死後、78年経過した貞観5年(863年)、神泉苑で御霊会を行い、早良親王らを御霊として祀る様になった。
崇道天皇というお名前は、死後早良親王に送られた名前のようです。しかし、皇統譜上では今も正規の天皇としては認められていないようです。

昔、奈良の方の八所神社はたまたま通りかかった時に参拝しました。御霊神社というのは祟り神を祀っていると聞いていたので、緊張してお参りしたのを思い出しました。

当時撮影した看板。
火雷大神は荒ぶる神様で雷神です。天神様こと菅原道真公という意味もありそうですが、やはり超自然的な怖い神と考えてよさそうです。崇道天皇以下七柱の神様は人の名前です。御霊とあるので、やはり非業な死を遂げた神様達なのでしょう。
この看板の注意すべき点は、境内に於いて「①不敬・不浄な行為」、「②鳥獣をとるなどの殺生行為」「③尊厳を疵つける一切の行為」を禁ずるとあることです。どこの神社にも当てはまることです。②のような生き物をとるなというのはたまに見かけますが、①とか③のような強い口調の言葉はあんまりみないかも・・・。
それを大々的に入り口に表記するというのは、やはり参拝するのに要注意せよ、怒らせる行為は絶対するな!という恐怖の裏返しかと思います。
確かにものすごく掃除が行き渡っている神社です。異様に綺麗さに拘っていると思いました。
と同時に、大変緊張する神社でもありました。よく写真撮ってきたなと思います。参拝当時の自分に会えるとしたら、「写真は撮るな!」と言ってたでしょう。
こういう神社は謙虚な気持ちでお参りすることが必須です。
長くなって来たので次回に続きます。
※参考文献 天皇の本 学研
紅葉屋呉服店はこちらまで
それは「もと人間を神として祀っている神社」です。歴史上に実在した人物を祀る神社です。
有名どころだと菅原道真公、平将門公、徳川家康公や豊臣秀吉公、加藤清正や吉田松陰などなどです。ある意味このような方々を祀る神社はお墓とも言えます。
天皇陛下のご先祖神にあたる神様の中だと、最も多いと思われるのが八幡神社の応神天皇やそのお母さんの神宮皇后もそれに該当しそうです。八幡社は全国で二番目に多い神社というので、元人間を神として祀る神社というのは、全国の神社の中でもかなりの割合をしめるかも。
この元人間の神様と一括りにすると、ちょっと無理が生じます。なので、「祟ったから・あるいは祟りそうだから祀られた」場合と、そうではない場合と大きく分けます。さらにそれを出来る限り細分化すると・・・
①歴史において有名な人物で、勝った方の神様の神社
②歴史において有名な人物で、負けてしまった方の神様の神社
③祟りまくって恐れられて祀られた神様の神社(全国版)
④祟りまくって恐れられて祀られた神様の神社(地域限定)
⑤当事者が生きていた時代には無く100年単位の時間が経過して祀られた神様の神社
⑥戦没者を祀る神社
まだあるかもしれませんが、考えれるだけ考えてみました。①で有名なのはやはり古代の戦争に勝利した戦神、応神天皇を祀る八幡社が該当すると思います。徳川家康公を祀る東照宮もそうですね。
②だと平将門公や、京都にある御霊神社が有名です。御霊とは不遇な死に方をした人の霊を神としたものです。
例で挙げた京都の上御霊神社・下御霊神社、奈良県の秋篠寺付近の八所御霊神社は同じ神様を祀っています。私はこの中で八所御霊神社のみ参拝に行ったことがありました。(調べてて思い出しました)
この三か所の神社でお祭されている神様は崇道天皇(すどうてんのう)です。気になったので調べてみました。
崇道天皇は平安時代の人物で、その当時は早良親王と呼ばれていました。以下、かいつまんで紹介致します。
延暦三年、桓武天皇は長岡へ遷都。この時、藤原種継の暗殺事件が起こる。長岡京の造宮司の藤原種継は早良親王と敵対関係であったため、早良親王が暗殺事件の首謀者とみなされる。(早良親王は桓武天皇と異母兄弟)
その後親王は、淡路島の乙訓寺にて監禁されることになった。早良親王は無実を訴え、食を断った。10日余り過ぎ、宮内卿の石川恒守らが淡路島へ移送する途中、高瀬橋頭で絶命した。
恒守はそのまま遺体を淡路島へ運び葬った。その後、異変が起こる。
桓武天皇の妻、藤原旅子が他界。続いて母親の高野新笠(たかのにいがさ)、皇后の藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が他界。天変地異もおきた。さらに皇太子の病気が長引くので占った所、皇位を廃された早良親王の祟りであると出た。
朝廷は淡路国に使者を送り、奉謝を行った。
しかし、これでも祟りは治まらず、早良親王の死後、78年経過した貞観5年(863年)、神泉苑で御霊会を行い、早良親王らを御霊として祀る様になった。
崇道天皇というお名前は、死後早良親王に送られた名前のようです。しかし、皇統譜上では今も正規の天皇としては認められていないようです。

昔、奈良の方の八所神社はたまたま通りかかった時に参拝しました。御霊神社というのは祟り神を祀っていると聞いていたので、緊張してお参りしたのを思い出しました。

当時撮影した看板。
火雷大神は荒ぶる神様で雷神です。天神様こと菅原道真公という意味もありそうですが、やはり超自然的な怖い神と考えてよさそうです。崇道天皇以下七柱の神様は人の名前です。御霊とあるので、やはり非業な死を遂げた神様達なのでしょう。
この看板の注意すべき点は、境内に於いて「①不敬・不浄な行為」、「②鳥獣をとるなどの殺生行為」「③尊厳を疵つける一切の行為」を禁ずるとあることです。どこの神社にも当てはまることです。②のような生き物をとるなというのはたまに見かけますが、①とか③のような強い口調の言葉はあんまりみないかも・・・。
それを大々的に入り口に表記するというのは、やはり参拝するのに要注意せよ、怒らせる行為は絶対するな!という恐怖の裏返しかと思います。
確かにものすごく掃除が行き渡っている神社です。異様に綺麗さに拘っていると思いました。
と同時に、大変緊張する神社でもありました。よく写真撮ってきたなと思います。参拝当時の自分に会えるとしたら、「写真は撮るな!」と言ってたでしょう。
こういう神社は謙虚な気持ちでお参りすることが必須です。
長くなって来たので次回に続きます。
※参考文献 天皇の本 学研
紅葉屋呉服店はこちらまで
スポンサーサイト