紀三井寺は素晴らしい霊験あらたかな古仏像も多々ありますが、もしこのブログを読まれたらぜひこちらもお参りして欲しいという場所もありますので、御紹介します。

まずはこの大きな御神木、楠です。

和歌山県の天然記念物に指定されている立派な巨木です。
木の下には「大樟龍王」という龍神様が祀られていました。楠と言うのは御神木になりやすいのか、霊木で彫る仏像も、楠が多いように思います。もちろん、他の霊木で楠以外もありますが。
こちらの楠をお参りして思いましたが、樟の古木に社がある場合、高確率で龍神が祀られている場合が多いです。白蛇系の神様もいますが、蛇も龍神と捉えて良いでしょう。
木の成長には水が欠かせないから龍神なのか、それとも巨木には龍神が入ることが多いのか。
人間の何十倍も長生きする巨木は、エネルギーの塊ですね。命もあるし魂もあるのでしょう。木には神様も宿るので、そんな神の宿った木で仏像を彫るから、より強い仏像になるのだと思います。

もう一つはこちらの春子稲荷。
間違いなく紀三井寺の歴史を語るには外せない、お寺の代表的な守護神の一角のお稲荷さんです。看板によれば・・・
天正14年、織田信長と羽柴秀吉の軍勢による、紀州征伐の6万の大軍は、粉河寺、根来寺を焼き討ちし、紀三井寺に迫っていた。
丁度その頃、紀三井寺の観音堂に仕えていた美女、春子が突然須弥壇の中から白狐の姿となり、身を翻して敵の軍営に赴き、霊力をもって武将を威服させ、先鋒の武将、羽柴秀長から「焼討禁制」の書状を得て紀三井寺を戦火から救ったという。
後に人は危難除けとしてこの地に春子稲荷として祀った。
何とも凄い話だ。気になるのは、春子という女性が、稲荷神を呼び出したのか? あるいは稲荷が人間の女性に変化して寺で働いていたのか?ということだ。
少々分かり辛い個所のある伝説なので、調べてみたらこんな話もあった。和歌山県の観光情報サイトからの抜粋です。
そちらに掲載されていた話によるとこんな感じです。
◆春子稲荷(はるこいなり)
天正13年(1585)、豊臣秀吉紀州攻めの時、紀三井寺の法橋徳順の子・平太夫は寺を守る僧兵の大将として出陣しました。しかし僧兵軍は散々な目にあい、自身も瀕死の状態で逃げ帰ったのです。
その時、平大夫にすがりついて泣いたのが観音堂に仕える巫女の春子姫。恋仲にあった平大夫が息をひきとると、春子は観音堂へこもってお経を唱え始め、やがて声が激しくなると、一匹の白狐となって石段を駆け下りました。
白狐は、迫っていた攻撃軍の総大将・秀吉に話しあいを求め、秀吉から「寺に無礼があってはならぬ。寺への軍勢の出入りも禁止する」という証文をとりつけ、それを持ち帰り、観音堂で絶命しました。そのお陰で紀三井寺だけは焼き討ちをまぬがれたと言われています。
信長軍によって焼討された粉河寺や根来寺も大きな寺院だ。僧兵がいたのだろう。紀三井寺も僧兵がいたと分かった。そして紀三井寺の法橋徳順の子・平太夫と春子が恋仲であったと分かった。また春子自身も巫女でもあった。霊能力があったのだろう。
観光情報サイトには、お寺の看板よりも、詳細が載っていた。
読んでいて思ったが、巫女であるのならば、春子にはもともと稲荷神が憑いていたのかもしれない。仏教に出てくる仏様には性別がある場合とない場合がある。お釈迦さんは人間としては男であったが、如来になってからは性別は関係ないように思う。
菩薩や明王も性別はなさそうだが、その下の天部(諸天善神)の中には性別がハッキリと分かる神様もいる。女神では吉祥天や弁才天、荼枳尼天などなど。男神では毘沙門天とか。
仏教の稲荷と神道の稲荷は違うそうだが、仏教稲荷の場合、本地は荼枳尼天になる。荼枳尼天から分かれたか、その御眷属が稲荷神だ。当然、沢山いる稲荷の中にもいろいろな個性の稲荷神がいらっしゃるのだろう。
稲荷神にも性別があるようで、単純に霊力が強いのは男稲荷より、女稲荷の方だと聞いたことがある。これはつまり、本地の荼枳尼天が女神であるので、より荼枳尼天の性質に近いのが男稲荷より女稲荷なのだそうです。
春子は巫女、強い霊力があったのでしょう。6万の大軍を止めるというのは、相当強い稲荷神、女稲荷が憑いていたと思います。大難を克服するため、まさに命がけの願掛けになったのでしょう。(あるいは稲荷が春子と習合して女稲荷になったかも)
紀三井寺の参拝で、数枚写真を頂きましたが、この春子稲荷の社のお写真も頂きました。しかし、色々調べてみて、こちらの春子さんも、おそらく春子さんに憑いていた強いお稲荷さんも、大変苦労されたのではと思うようになりました。そう思うと気軽にブログに上げることは出来ませんでした。やはり写真を撮るという事は、本当に気をつけねばならないですね。
お寺が1200年以上も残るというのは、ある意味奇跡です。そうなるのも繋げてきた大勢の人達の気持ちと努力、寺を守ろうとした神仏の力があったればこそだなと思いました。
紀三井寺の御開帳は秋にも行われるようです。これをお読みの皆様に良きご縁がありますように。
※紅葉屋呉服店はこちらまで

まずはこの大きな御神木、楠です。

和歌山県の天然記念物に指定されている立派な巨木です。
木の下には「大樟龍王」という龍神様が祀られていました。楠と言うのは御神木になりやすいのか、霊木で彫る仏像も、楠が多いように思います。もちろん、他の霊木で楠以外もありますが。
こちらの楠をお参りして思いましたが、樟の古木に社がある場合、高確率で龍神が祀られている場合が多いです。白蛇系の神様もいますが、蛇も龍神と捉えて良いでしょう。
木の成長には水が欠かせないから龍神なのか、それとも巨木には龍神が入ることが多いのか。
人間の何十倍も長生きする巨木は、エネルギーの塊ですね。命もあるし魂もあるのでしょう。木には神様も宿るので、そんな神の宿った木で仏像を彫るから、より強い仏像になるのだと思います。

もう一つはこちらの春子稲荷。
間違いなく紀三井寺の歴史を語るには外せない、お寺の代表的な守護神の一角のお稲荷さんです。看板によれば・・・
天正14年、織田信長と羽柴秀吉の軍勢による、紀州征伐の6万の大軍は、粉河寺、根来寺を焼き討ちし、紀三井寺に迫っていた。
丁度その頃、紀三井寺の観音堂に仕えていた美女、春子が突然須弥壇の中から白狐の姿となり、身を翻して敵の軍営に赴き、霊力をもって武将を威服させ、先鋒の武将、羽柴秀長から「焼討禁制」の書状を得て紀三井寺を戦火から救ったという。
後に人は危難除けとしてこの地に春子稲荷として祀った。
何とも凄い話だ。気になるのは、春子という女性が、稲荷神を呼び出したのか? あるいは稲荷が人間の女性に変化して寺で働いていたのか?ということだ。
少々分かり辛い個所のある伝説なので、調べてみたらこんな話もあった。和歌山県の観光情報サイトからの抜粋です。
そちらに掲載されていた話によるとこんな感じです。
◆春子稲荷(はるこいなり)
天正13年(1585)、豊臣秀吉紀州攻めの時、紀三井寺の法橋徳順の子・平太夫は寺を守る僧兵の大将として出陣しました。しかし僧兵軍は散々な目にあい、自身も瀕死の状態で逃げ帰ったのです。
その時、平大夫にすがりついて泣いたのが観音堂に仕える巫女の春子姫。恋仲にあった平大夫が息をひきとると、春子は観音堂へこもってお経を唱え始め、やがて声が激しくなると、一匹の白狐となって石段を駆け下りました。
白狐は、迫っていた攻撃軍の総大将・秀吉に話しあいを求め、秀吉から「寺に無礼があってはならぬ。寺への軍勢の出入りも禁止する」という証文をとりつけ、それを持ち帰り、観音堂で絶命しました。そのお陰で紀三井寺だけは焼き討ちをまぬがれたと言われています。
信長軍によって焼討された粉河寺や根来寺も大きな寺院だ。僧兵がいたのだろう。紀三井寺も僧兵がいたと分かった。そして紀三井寺の法橋徳順の子・平太夫と春子が恋仲であったと分かった。また春子自身も巫女でもあった。霊能力があったのだろう。
観光情報サイトには、お寺の看板よりも、詳細が載っていた。
読んでいて思ったが、巫女であるのならば、春子にはもともと稲荷神が憑いていたのかもしれない。仏教に出てくる仏様には性別がある場合とない場合がある。お釈迦さんは人間としては男であったが、如来になってからは性別は関係ないように思う。
菩薩や明王も性別はなさそうだが、その下の天部(諸天善神)の中には性別がハッキリと分かる神様もいる。女神では吉祥天や弁才天、荼枳尼天などなど。男神では毘沙門天とか。
仏教の稲荷と神道の稲荷は違うそうだが、仏教稲荷の場合、本地は荼枳尼天になる。荼枳尼天から分かれたか、その御眷属が稲荷神だ。当然、沢山いる稲荷の中にもいろいろな個性の稲荷神がいらっしゃるのだろう。
稲荷神にも性別があるようで、単純に霊力が強いのは男稲荷より、女稲荷の方だと聞いたことがある。これはつまり、本地の荼枳尼天が女神であるので、より荼枳尼天の性質に近いのが男稲荷より女稲荷なのだそうです。
春子は巫女、強い霊力があったのでしょう。6万の大軍を止めるというのは、相当強い稲荷神、女稲荷が憑いていたと思います。大難を克服するため、まさに命がけの願掛けになったのでしょう。(あるいは稲荷が春子と習合して女稲荷になったかも)
紀三井寺の参拝で、数枚写真を頂きましたが、この春子稲荷の社のお写真も頂きました。しかし、色々調べてみて、こちらの春子さんも、おそらく春子さんに憑いていた強いお稲荷さんも、大変苦労されたのではと思うようになりました。そう思うと気軽にブログに上げることは出来ませんでした。やはり写真を撮るという事は、本当に気をつけねばならないですね。
お寺が1200年以上も残るというのは、ある意味奇跡です。そうなるのも繋げてきた大勢の人達の気持ちと努力、寺を守ろうとした神仏の力があったればこそだなと思いました。
紀三井寺の御開帳は秋にも行われるようです。これをお読みの皆様に良きご縁がありますように。
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