子供の頃からの環境ですが、家で神仏を祀っています。
その中に天神様があります。お寺の仏様を彫ったものを仏像と言いますが、神社の神様の姿を彫ったものは「神像」といいます。

聞いた話ですが、神像は仏像とは違い、その姿を見ることはまずないそうです。と言うのも、神道の考え方だと、神の姿は見てはならないというのがあるからです。
お寺でも、特に密教寺院が多いですが、お寺の本尊の姿が厨子に阻まれて見えないということもありますが、それでも年に数回、あるいは数十年に一回行われる御開帳という儀式では、そのお姿を拝観することは出来ます。
しかし、神社の場合はその御開帳すらありません。神像が残っているかどうかは、実はその神社で働いているという人にとっても、あるかどうか分からないということもあるようです。神社に存在していても、神職でも見てはならないのが神像です。
何故見てはいけないのか? 推測ですが、仏教の仏様は慈悲という概念があります。これは神仏を信じていない人、他の生き物に至るまで何とか助けたいというものです。しかし、神社には慈悲という概念はありません。神道流に言えば、神様には穏やかな部分(和魂:にぎみたま)と荒ぶる怖い部分(荒魂:あらみたま)があるからでしょう。
年を重ねると、いろいろなことを学びますが、神像の理屈が分かると、自宅でお姿が拝めるというケースは滅多にないようです。
そんな天神様ですが、毎朝お参りしておりますが、ここのところ
「お参りの仕方はこれで良いのか?神道式のお参りでも間違いはないと思うけど、どこか腑に落ちない」
と思うことが多くなりました。
そんな中、最近たまたま購入した本の中に、天神様の真言がありました。
真言とは、真言宗や天台宗などの密教で唱える、仏様の言葉です。密教では如来や菩薩、明王や天部など様々な仏様を拝みますが、その仏様ごとに全て真言があります。
真言とは、密教に出てくる仏様にしかないという認識でしたが、神社の神様でもある天神様にもあったのです。これは驚きました。
本によれば、天神様の真言は「オン トウドウ シンジン ソワカ」とありました。
以来、天神様のお参りは、この御真言と般若心経を唱えるようになりました。
そう言えば天神様は天満大自在天と云います。この長い方のお名前は、密教ぽい名前です。真言があるということはかなり古い時代(?)に神として密教に取り込まれたということです。
そこで、蔵書の中から密教関係の書物をあさっていたら、興味深い話が出てきました。
それは「菅原道真公(天神様)は、聖天を熱心に信仰していた」という記述です。聖天とは象頭人身の神が抱き合っている姿の天部です。別名「歓喜天」とも呼ばれています。
それによれば、聖天は天神と同体であるとあった。聖天様は二つの神が抱き合った姿であるが、その片方は十一面観音が変化した姿であるという。故に聖天様の本地は十一面観音であるそう。
そのことから、天神様も十一面観音が本地ということになる。奈良時代に始まった神仏習合の思想は、非常に複雑に変化し習合していった。天神様が密教に習合していたというのは驚きだったが、日本の歴史を考えれば十分あり得ることだった。
そう言えば、日本でも有名な神社の一つ、八幡神社の御神体、応神天皇や神宮皇后も、弘法大師に建てられた東寺にあった。こちらが知らないだけで、神道のその他の神様も、密教に習合したケースが沢山あるのかもしれない。
明治時代の神仏を分けてしまう流れの中で、廃仏毀釈という運動が起きた。寺を壊したり仏像を捨てたりする行為が全国で起きたのだ。明治政府の出した法令であったが、想像以上に壊されたのは神社側の人たちが率先してやったという話を聞いたことがあった。
そういうことをした神職関係の人達は、今まで神社を寺の下とみなされていたから、より過剰な反応をしたらしい。
実際、当時を生きて見た訳ではないが、神仏習合が行われていた背景は、神を仏の下として見ていた訳ではなく、日本の神の凄さを十分理解し、双方の良いところを取り入れようとしていたのでは?と思います。
参考文献 最強の守護神 聖天さま 羽田守快著 大法輪閣
※紅葉屋呉服店はこちらまで
その中に天神様があります。お寺の仏様を彫ったものを仏像と言いますが、神社の神様の姿を彫ったものは「神像」といいます。

聞いた話ですが、神像は仏像とは違い、その姿を見ることはまずないそうです。と言うのも、神道の考え方だと、神の姿は見てはならないというのがあるからです。
お寺でも、特に密教寺院が多いですが、お寺の本尊の姿が厨子に阻まれて見えないということもありますが、それでも年に数回、あるいは数十年に一回行われる御開帳という儀式では、そのお姿を拝観することは出来ます。
しかし、神社の場合はその御開帳すらありません。神像が残っているかどうかは、実はその神社で働いているという人にとっても、あるかどうか分からないということもあるようです。神社に存在していても、神職でも見てはならないのが神像です。
何故見てはいけないのか? 推測ですが、仏教の仏様は慈悲という概念があります。これは神仏を信じていない人、他の生き物に至るまで何とか助けたいというものです。しかし、神社には慈悲という概念はありません。神道流に言えば、神様には穏やかな部分(和魂:にぎみたま)と荒ぶる怖い部分(荒魂:あらみたま)があるからでしょう。
年を重ねると、いろいろなことを学びますが、神像の理屈が分かると、自宅でお姿が拝めるというケースは滅多にないようです。
そんな天神様ですが、毎朝お参りしておりますが、ここのところ
「お参りの仕方はこれで良いのか?神道式のお参りでも間違いはないと思うけど、どこか腑に落ちない」
と思うことが多くなりました。
そんな中、最近たまたま購入した本の中に、天神様の真言がありました。
真言とは、真言宗や天台宗などの密教で唱える、仏様の言葉です。密教では如来や菩薩、明王や天部など様々な仏様を拝みますが、その仏様ごとに全て真言があります。
真言とは、密教に出てくる仏様にしかないという認識でしたが、神社の神様でもある天神様にもあったのです。これは驚きました。
本によれば、天神様の真言は「オン トウドウ シンジン ソワカ」とありました。
以来、天神様のお参りは、この御真言と般若心経を唱えるようになりました。
そう言えば天神様は天満大自在天と云います。この長い方のお名前は、密教ぽい名前です。真言があるということはかなり古い時代(?)に神として密教に取り込まれたということです。
そこで、蔵書の中から密教関係の書物をあさっていたら、興味深い話が出てきました。
それは「菅原道真公(天神様)は、聖天を熱心に信仰していた」という記述です。聖天とは象頭人身の神が抱き合っている姿の天部です。別名「歓喜天」とも呼ばれています。
それによれば、聖天は天神と同体であるとあった。聖天様は二つの神が抱き合った姿であるが、その片方は十一面観音が変化した姿であるという。故に聖天様の本地は十一面観音であるそう。
そのことから、天神様も十一面観音が本地ということになる。奈良時代に始まった神仏習合の思想は、非常に複雑に変化し習合していった。天神様が密教に習合していたというのは驚きだったが、日本の歴史を考えれば十分あり得ることだった。
そう言えば、日本でも有名な神社の一つ、八幡神社の御神体、応神天皇や神宮皇后も、弘法大師に建てられた東寺にあった。こちらが知らないだけで、神道のその他の神様も、密教に習合したケースが沢山あるのかもしれない。
明治時代の神仏を分けてしまう流れの中で、廃仏毀釈という運動が起きた。寺を壊したり仏像を捨てたりする行為が全国で起きたのだ。明治政府の出した法令であったが、想像以上に壊されたのは神社側の人たちが率先してやったという話を聞いたことがあった。
そういうことをした神職関係の人達は、今まで神社を寺の下とみなされていたから、より過剰な反応をしたらしい。
実際、当時を生きて見た訳ではないが、神仏習合が行われていた背景は、神を仏の下として見ていた訳ではなく、日本の神の凄さを十分理解し、双方の良いところを取り入れようとしていたのでは?と思います。
参考文献 最強の守護神 聖天さま 羽田守快著 大法輪閣
※紅葉屋呉服店はこちらまで
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