五月五日は粽(ちまき)を食べることでも知られる。この粽について分かったことがあった。
節句と言うのは年間行事の中で季節の節目、大事な行事の日だ。陰陽道と関連している。
端午の節句、後編は以前このブログで「津島神社」について上げましたが、その津島神社を調べていた際に見つけたお話を紹介します。
それは、節句の行事とは牛頭天王様のお祭という意味があると云うものだ。八坂神社や津島神社の御祭神が牛頭天王様である。(現在は須佐之男命になっている)
古くは奈良時代に書かれた「備後の国風土記」に牛頭天王に纏わる伝説が出てくるが、牛頭天王様に纏わる伝説はこればかりではない。「祇園牛頭天王縁起」には更に詳細な物語として残っている。
牛頭天王様に関する昔話を簡単に説明すると、
①陰陽道由来の荒ぶる厄神の王様、牛頭天王がある日、竜宮の姫神を娶りに旅に出る。
②旅の途中、宿を借りる為、ある村に立ち寄る。古単という長者の家を訪ねるが長者は拒否する。
③代わりの宿を探す際、蘇民という人の家に泊まる。
④礼を言って去った牛頭天王は、後に竜宮の姫神と結婚し、八柱の子供をもうける。
⑤数年たって蘇民の所にやってくる。自分を泊めることを拒否した古単に復讐する為、蘇民とその家族のみ助かる方法を伝える。
⑥蘇民とその家族以外、古単含めて村人達を全滅させる。
というのが概略だ。祇園牛頭天王縁起の詳細は長くなるので省略するが、この縁起には蘇民やその子孫たちが、それぞれの節句の日に供え物をし、牛頭天王様に感謝するお祭のことが書かれていた。
それは、牛頭天王様を激怒さらしめた、古単への呪詛であった。
祇園牛頭天王縁起によれば、端午の節句に用いる粽とは古単の「もとどり(髪を結い纏めた部分)」の一部を表しているとあった。粽には古単の身体の一部という意味があったのだ。

他にも祇園牛頭天王縁起には古単の身体を意味する供え物がこうあった。
・12月末、人々が節酒を造るが、これは古単の「血液」を表している。
・正月の丸餅は古単の「肉」を表す。
・餅を輪に入れるのは、古単の「骨」を表す。
・赤い色の餅は、古単の「身の色」を表す。
・ぎっちょうという遊びに用いる玉は古単の「目玉」である。
・15日の注連縄を焼く意味は、古単の「死骸」を焼くことを意味する。
また縁起によれば、5月5日の菖蒲とは、古単の「頭の髪」を意味していると云う。
何とも驚くべき内容であった。民間に残っている節句の行事は、荒ぶる恐るべき厄神の王、牛頭天王様を各家庭でもてなすお祭という意味もあったのだ。
恐ろしい病気や疫病、降って湧いたような災難は、牛頭天王様やその御眷属の八王子神、そのまた御眷属の厄神達が起こすと陰陽道では考えられていた。
故に厄神達の王である牛頭天王様への感謝を示す為、また牛頭天王様に喜んで貰うために、その昔牛頭天王様を心底怒らせた古単を生贄とする為の儀式を行うのが節句の行事なのである。
日本のしきたりは神道由来のもの、仏教由来のもの、陰陽道由来のもの、さまざまな考え方が複雑に絡み合っていたようです。
参考文献 牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち 川村湊 著 作品社
※紅葉屋呉服店はこちらまで
節句と言うのは年間行事の中で季節の節目、大事な行事の日だ。陰陽道と関連している。
端午の節句、後編は以前このブログで「津島神社」について上げましたが、その津島神社を調べていた際に見つけたお話を紹介します。
それは、節句の行事とは牛頭天王様のお祭という意味があると云うものだ。八坂神社や津島神社の御祭神が牛頭天王様である。(現在は須佐之男命になっている)
古くは奈良時代に書かれた「備後の国風土記」に牛頭天王に纏わる伝説が出てくるが、牛頭天王様に纏わる伝説はこればかりではない。「祇園牛頭天王縁起」には更に詳細な物語として残っている。
牛頭天王様に関する昔話を簡単に説明すると、
①陰陽道由来の荒ぶる厄神の王様、牛頭天王がある日、竜宮の姫神を娶りに旅に出る。
②旅の途中、宿を借りる為、ある村に立ち寄る。古単という長者の家を訪ねるが長者は拒否する。
③代わりの宿を探す際、蘇民という人の家に泊まる。
④礼を言って去った牛頭天王は、後に竜宮の姫神と結婚し、八柱の子供をもうける。
⑤数年たって蘇民の所にやってくる。自分を泊めることを拒否した古単に復讐する為、蘇民とその家族のみ助かる方法を伝える。
⑥蘇民とその家族以外、古単含めて村人達を全滅させる。
というのが概略だ。祇園牛頭天王縁起の詳細は長くなるので省略するが、この縁起には蘇民やその子孫たちが、それぞれの節句の日に供え物をし、牛頭天王様に感謝するお祭のことが書かれていた。
それは、牛頭天王様を激怒さらしめた、古単への呪詛であった。
祇園牛頭天王縁起によれば、端午の節句に用いる粽とは古単の「もとどり(髪を結い纏めた部分)」の一部を表しているとあった。粽には古単の身体の一部という意味があったのだ。

他にも祇園牛頭天王縁起には古単の身体を意味する供え物がこうあった。
・12月末、人々が節酒を造るが、これは古単の「血液」を表している。
・正月の丸餅は古単の「肉」を表す。
・餅を輪に入れるのは、古単の「骨」を表す。
・赤い色の餅は、古単の「身の色」を表す。
・ぎっちょうという遊びに用いる玉は古単の「目玉」である。
・15日の注連縄を焼く意味は、古単の「死骸」を焼くことを意味する。
また縁起によれば、5月5日の菖蒲とは、古単の「頭の髪」を意味していると云う。
何とも驚くべき内容であった。民間に残っている節句の行事は、荒ぶる恐るべき厄神の王、牛頭天王様を各家庭でもてなすお祭という意味もあったのだ。
恐ろしい病気や疫病、降って湧いたような災難は、牛頭天王様やその御眷属の八王子神、そのまた御眷属の厄神達が起こすと陰陽道では考えられていた。
故に厄神達の王である牛頭天王様への感謝を示す為、また牛頭天王様に喜んで貰うために、その昔牛頭天王様を心底怒らせた古単を生贄とする為の儀式を行うのが節句の行事なのである。
日本のしきたりは神道由来のもの、仏教由来のもの、陰陽道由来のもの、さまざまな考え方が複雑に絡み合っていたようです。
参考文献 牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち 川村湊 著 作品社
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