
通称「子供の日」。端午とは月の端(はじめ)の午(うま)の日のこと。
男の子の役除けと健康祈願の御祝。現在は「男の子の日」という意味だが、昔は女性が身を清める行事だったそう。
この日、女性達が菖蒲や蓬の葉で葺いた小屋に入り、穢れを払い田植えをしていたという。田植えというのが単に生活を支える食料資源ではないと思える話だ。男性は穢れを払わなくてもよく、女性だけが該当するようなので、現代人の感覚だとあり得ない差別だと認識してしまうが、昔はこういうことが当たり前だったようだ。仏教でも古い時代は女性に生まれただけで救われないという話も確かあった気がする。
現代でも相撲の土俵は女人禁制だったり、山岳信仰の霊場などにもそんな場所が残っている。こう言うのは最近始まったことではない昔からあることなので、今の感覚で過去の認識に対してものを言うのは難しいが、個人的には良くないことだなと思う。
女性の行事が男の子の祭となったのは、武家社会になり世継ぎの男子の重要性が問われるようになってから。菖蒲が「勝負」に繋がるとして鎧兜を飾るようになった。
男の子の安全を祈り、厄除けの神様として鍾馗様の絵を画いた幟を飾ったりしたが、これが後に鯉のぼりとなる。鯉のぼりは江戸後期には既にあったようだ。鯉が滝を登り龍になるという故事に因み、立身出世の願いが込められている。
柏餅を食べるのは、柏は新芽が出るまで葉が落ちないことから縁起の良い木とされる。子孫繁栄の願いがあるようだ。だいだいこんな話が、子供の日の一般的な意味合いだと思う。
ただ、子供の日に兜を飾るのはこれで分かったが、金太郎を飾るのはどうしてかと思った。やはり強い子供に育つようにという願いが金太郎の人形に繋がったか。

金太郎が気になったので調べていたら興味深い話が出てきた。この話は直接「子供の日」とは関係ないかもしれないが、全くの無関係とも思えなかったので紹介したい。
金太郎こと坂田金時(さかたのきんとき)は、その力を認められ源頼光の家来となった。源頼光は妖怪退治の伝説によくその名を見るが、坂田金時も頼光四天王として戦地へ出かけ、結果を残している。そんな坂田金時、確か戦地へ向かう途中、病気にかかり亡くなったと記憶している。
金太郎を祀る神社もいくつかあるが、その中の一つに金時神社がある。箱根外輪山、金時山中腹に「金時の宿り石(縦16m×横14m)」がありその上に建っているのが金時神社だ。
旧暦9月18日に、金時祭と称し盛んに行われている神社であったが、一時廃れてしまったと云う。その後、昭和6年に金時の宿り石が突然二つに割れ、時を同じくしジフテリアが大流行し、子供達が多数死んだ。
人々は「金太郎の祟りだ」と恐れ、以後は5月5日に行われるようになったという。こどもの日に金太郎の人形を飾る様になったのは、金太郎への畏怖と、忘れないようにという意味が込められているのかもしれません。
次回、端午の節句の後編です。
参考文献 日本のしきたりが丸ごと分かる本 普遊社
日本の神様 読み解き事典 川口謙二編著 柏書房
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