
牛頭天王様とは、神道には出てこない神様だ。元を辿ると仏教でもない。(畏れ多いので以後「様」をつけます)
陰陽道由来の謎の多い神様である。
津島神社に牛頭天王様の痕跡を探しに行ったが、結論から言えば痕跡は殆ど無かった。宝物館が閉館していたのでその中に牛頭天王様に関する資料があるかどうかは分からない。ひょっとしたら何か残っているかも。
末社も一つ一つお参りしたが、社の前に設けられた立看板の説明を見るに、牛頭天王様の名前や息子さん達(八王子神)の名前も無かった。

ただ、上の画像の「荒御魂社」の解説文の最後の方に「元は蛇毒神社と称し、八岐大蛇の御霊を祭っていた」とあった。「蛇毒」との表記を見て思い出したが、確か牛頭天王様の御眷属に蛇毒気神という神様がいた。だとすると、八岐大蛇とは関係がない。
だいたい須佐之男命と、須佐之男命が滅ぼした八岐大蛇を一緒に祀るというのは何かおかしい。これも明治時代に御祀神が入れ替わったのだろう。毒の蛇という漢字から、悪い蛇、八岐大蛇となったか。
境内の各社の解説文を一つ一つ読むと、気になる個所がいくつかあった。

「病気」という一括りで御利益があるというより、麻疹とか当時の流行り病に特化したお社だ。この津島神社は、やはり様々な病気に御利益があるとされたのだろう。牛頭天王様が御祀神であるなら納得である。

神道の神様には、優しい部分の働き「和魂(にぎみたま)」と、怖い部分の働き「荒魂(あらみたま)」というのがあるのは知っていたが、他にも二つの働きがあるのを津島神社で教えて頂いた。幸魂と奇魂だ。

こちらの社の看板に、牛頭天王様の痕跡が少しあった。この社はかつては「蘇民社」と言ったそう。蘇民とは蘇民将来、人の名である。牛頭天王が村一つ滅ぼした際、唯一気に入って生かした人間が蘇民(とその家族)だ。
そもそも牛頭天王様とはどんな神様なのか?
元々は疫病神の王様と言うか、私の言葉では上手く表現できない超きつい荒ぶる神様だ。
(過去にブログに書いています。詳しくはこちらもどうぞ)
備後の国風土記という奈良時代に書かれた書物に、牛頭天王様の話が出ている。
◎牛頭天王縁起
その昔、北の海にいた武塔天神(むとうてんじん:牛頭天王様の別名)という疫病神が、南海の神の娘のもとに求婚に出かけた。その途中に日が暮れて来たので、武塔天神は人の姿になり、将来という名の兄弟に一夜の宿を求めた。
兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しく、弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福であった。武塔天神をもてなしたのは兄の蘇民将来だった。弟の巨旦将来は武塔天神の身なりをみて拒絶したのである。
武塔天神が宿を後にして数年後、結婚された武塔天神は八人の子を引き連れ、再び蘇民将来の家へ訪れた。何でもあの時宿をかしてくれた蘇民にお礼がしたいとのこと・・・。
武塔天神は蘇民に聞いた。
「お前の子孫はおるか?」
「妻と娘がおります」
と答える蘇民。武塔天神は、
「茅の輪を(家族全員に)腰につけさせよ」
と言った。その夜のこと、突如疫病が村を襲った。家の中でじっとしていた蘇民達。外からは悲鳴が聞こえた。翌朝、様子を確かめようと外に出た蘇民一家が目にしたものは累々と横たわる死体であった。
蘇民一家を除き、村人、家畜に至るまで全滅であった。
この時、武塔天神は「自分は速須佐之男神(はやすさのおのかみ)である」と正体を明かし、もし疫病(厄神)がまた襲ってきたら、いつであれ「蘇民将来の子孫」と唱えて腰に茅の輪をつければ、疫病から免れるであろうと教えたと云う。
気にいらなかったのは、宿を断った巨旦将来一人であるにもかかわらず、自分を泊めた蘇民将来一家以外を全滅させるという、恐るべき神様だ。一気に全て殺すというのは疫病を意味しているのだろう。
日本古来の神でもなければ、仏教にもいなかった大陸から渡って来た神、牛頭天王様。
時の僧侶らはその荒ぶる神、牛頭天王様を後に仏教に取り入れた。
人々を苦しめる病を何とかする為に、病の大元と考えられた神様を、仏として祀ってしまおうと思ったのだろう。
次回に続く・・・。
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