吉備を平定した五十狭芹彦命は吉備津彦命と名前が変わり、現在は吉備津神社の御祀神となっている。
吉備津神社には有名な神事、「鳴釜神事」というものが残っている。
これは実は温羅に関係している神事である。
前回の桃太郎伝説の最後の個所、赤文字部分を考えてみる。
それから13年の月日が経ったが未だに唸り声は続いていた。ほとほと参った五十狭芹彦命だったが、ある日彼の夢に温羅が現れ、こう告げた。
「我が愛した阿曽女を連れてまいれ。阿曽女を持って我を祀るならば声も鎮まろう。そして釜で占うがよい。吉事の時、我の首は穏やかに鳴り、凶事の時は荒々しく鳴るであろう」
こうして、ともかく呼び出された阿曽女によって温羅が祀られるようになると、恐ろしい唸り声はパッタリと止んだ。永きに渡った戦いもようやく幕を降ろすことになった。仕事を終えた五十狭芹彦命は吉備津彦命と名を改め、吉備臣の祖先となった。吉備津彦は死後、吉備中山に埋葬されたと言う。
討たれ、さらし首となり、尚且つ犬に食われて釡の下に封じられた温羅。13年にも亘り祟り続けるも、最後には自ら祟る神になるのを止め、万人の為に神託を告げる存在になった。阿曽女というのが地域を差しているのか、あるいは温羅の最愛の女性が阿曽出身の女性だったのかは分からないが、祟る神を慰める、封じる役目が、霊力をもった女性であるということだろう。
温羅のケースの場合は、封じると言うより、祀ると言った方のが正しいか。
伝承を読んでいると、明らかに勝者の目線で書かれている。
敗者から見た桃太郎伝説を語る前に、少し事実と交えて伝承を整理する事にする。今から三十年程前のこと、鬼ノ城の伝説があった山が火事になった。
鎮火後、焼け跡から見慣れぬものが現れる。それは古い形態の石垣だった。


その後の調査の結果、それは古代(有力なのは7世紀頃とされるが未だ年代は特定できていない)に建設された朝鮮様式の山城址だと判明。更に調査を進めると、東西南北に四つの門、6つの水門、全国的にも珍しい防衛の為の角楼や、のろし台、食料貯蔵庫跡や水汲み場まであり、敵の侵略に備えて住民をも匿えるようにもなっていたと考えられた。

鬼ノ城とは標高400メートルの山に築かれた全周2.8kmにも及ぶ防衛施設だったのだ。また岡山県は古来より鋳物生産が盛んに行われていた。吉備津神社には古い鉄製の釜があるし、この地方には更に古い金属器も出土している。
片目を失ったり、川が赤く染まるという昔話は、蹈鞴の伝承でもある。温羅一族は製鉄集団だった。
ここで「温羅」という文字について考えたい。
「温」という漢字を辞書で引くと「あたためる、おだやか、なごやか」という意味がある。また、古代朝鮮では城壁の事を「羅城(ウル)」と呼ばれていた。
鬼ノ城という城壁(ウル)に囲まれた城に住み、鉄文化を広めた温(あたたかい)という文字を持つ王。死後、怨念を抱いてなお改心し、吉備の民に助言(鳴釜神事)する神となった事を考えると、温羅は万民を思い慕われていたのではないだろうか。
遠い百済から渡来し、吉備に辿り着いた温羅は、阿曽女という妻を娶り当時最先端の製鉄技術、建築技術等を伝え大きな国を造った。
しかし全国制覇を目論む大和朝廷にとって鉄を扱う温羅一族は面白くなかったのだろう。そこで武勇に秀でた五十狭芹彦命を差し向け戦わせた。大軍が迫れば国を守る為に温羅は鬼になって戦わざるを得なかった。
最後は目を射ぬかれ、雉や鯉に化けて逃げるも執拗に追われ、死してなお辱めを受け続けた。そんな温羅を想うと何ともいえない切ない気持ちになる。
温羅の部下達はどうなったのだろうか。調べてみた。
桃太郎に敗れた鬼達は四国に逃げ込み、またその地で成敗され、以来そこの地名は「鬼無」になったというのだ。鬼が滅ぼされていなくなったと現代では解釈されているが、最初から非道な鬼などいなかったので「鬼無」と呼ぶようになったのではないのだろうか。
吉備津彦命を祀った吉備津神社が岡山にはある。その境内にはなんと温羅も祀られている。
これは勝者の吉備津彦命も大軍を投入したにも関わらず、互角にわたりあった温羅に対して敬意を表していたのではと思う。
次回で桃太郎のお話は一度締めたいと思います。
※紅葉屋呉服店はこちら
吉備津神社には有名な神事、「鳴釜神事」というものが残っている。
これは実は温羅に関係している神事である。
前回の桃太郎伝説の最後の個所、赤文字部分を考えてみる。
それから13年の月日が経ったが未だに唸り声は続いていた。ほとほと参った五十狭芹彦命だったが、ある日彼の夢に温羅が現れ、こう告げた。
「我が愛した阿曽女を連れてまいれ。阿曽女を持って我を祀るならば声も鎮まろう。そして釜で占うがよい。吉事の時、我の首は穏やかに鳴り、凶事の時は荒々しく鳴るであろう」
こうして、ともかく呼び出された阿曽女によって温羅が祀られるようになると、恐ろしい唸り声はパッタリと止んだ。永きに渡った戦いもようやく幕を降ろすことになった。仕事を終えた五十狭芹彦命は吉備津彦命と名を改め、吉備臣の祖先となった。吉備津彦は死後、吉備中山に埋葬されたと言う。
討たれ、さらし首となり、尚且つ犬に食われて釡の下に封じられた温羅。13年にも亘り祟り続けるも、最後には自ら祟る神になるのを止め、万人の為に神託を告げる存在になった。阿曽女というのが地域を差しているのか、あるいは温羅の最愛の女性が阿曽出身の女性だったのかは分からないが、祟る神を慰める、封じる役目が、霊力をもった女性であるということだろう。
温羅のケースの場合は、封じると言うより、祀ると言った方のが正しいか。
伝承を読んでいると、明らかに勝者の目線で書かれている。
敗者から見た桃太郎伝説を語る前に、少し事実と交えて伝承を整理する事にする。今から三十年程前のこと、鬼ノ城の伝説があった山が火事になった。
鎮火後、焼け跡から見慣れぬものが現れる。それは古い形態の石垣だった。


その後の調査の結果、それは古代(有力なのは7世紀頃とされるが未だ年代は特定できていない)に建設された朝鮮様式の山城址だと判明。更に調査を進めると、東西南北に四つの門、6つの水門、全国的にも珍しい防衛の為の角楼や、のろし台、食料貯蔵庫跡や水汲み場まであり、敵の侵略に備えて住民をも匿えるようにもなっていたと考えられた。

鬼ノ城とは標高400メートルの山に築かれた全周2.8kmにも及ぶ防衛施設だったのだ。また岡山県は古来より鋳物生産が盛んに行われていた。吉備津神社には古い鉄製の釜があるし、この地方には更に古い金属器も出土している。
片目を失ったり、川が赤く染まるという昔話は、蹈鞴の伝承でもある。温羅一族は製鉄集団だった。
ここで「温羅」という文字について考えたい。
「温」という漢字を辞書で引くと「あたためる、おだやか、なごやか」という意味がある。また、古代朝鮮では城壁の事を「羅城(ウル)」と呼ばれていた。
鬼ノ城という城壁(ウル)に囲まれた城に住み、鉄文化を広めた温(あたたかい)という文字を持つ王。死後、怨念を抱いてなお改心し、吉備の民に助言(鳴釜神事)する神となった事を考えると、温羅は万民を思い慕われていたのではないだろうか。
遠い百済から渡来し、吉備に辿り着いた温羅は、阿曽女という妻を娶り当時最先端の製鉄技術、建築技術等を伝え大きな国を造った。
しかし全国制覇を目論む大和朝廷にとって鉄を扱う温羅一族は面白くなかったのだろう。そこで武勇に秀でた五十狭芹彦命を差し向け戦わせた。大軍が迫れば国を守る為に温羅は鬼になって戦わざるを得なかった。
最後は目を射ぬかれ、雉や鯉に化けて逃げるも執拗に追われ、死してなお辱めを受け続けた。そんな温羅を想うと何ともいえない切ない気持ちになる。
温羅の部下達はどうなったのだろうか。調べてみた。
桃太郎に敗れた鬼達は四国に逃げ込み、またその地で成敗され、以来そこの地名は「鬼無」になったというのだ。鬼が滅ぼされていなくなったと現代では解釈されているが、最初から非道な鬼などいなかったので「鬼無」と呼ぶようになったのではないのだろうか。
吉備津彦命を祀った吉備津神社が岡山にはある。その境内にはなんと温羅も祀られている。
これは勝者の吉備津彦命も大軍を投入したにも関わらず、互角にわたりあった温羅に対して敬意を表していたのではと思う。
次回で桃太郎のお話は一度締めたいと思います。
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