次なる鬼のお話は、日本の昔話に登場する最も有名な鬼、と言っても題名は有名ながら倒される鬼のことについては、地元以外余り知られていない「温羅(うら)」につてのご紹介です。
出てくる物語の題名は「桃太郎」です。この桃太郎という昔話、元になった戦の昔話がある。そして桃太郎にもモデルがいた。
まずは古代の岡山県で勃発した大戦の概要を見てみよう。
◎五十狭芹彦命vs温羅
伝承では、温羅は百済の王子で、各国で悪事を働きながら日本に渡来し吉備(岡山県)の地に住み着いた。
身長は1丈4尺で髪は赤く縮れ、髭は長く、眼は獣のように輝き、頭には瘤のような形状の角があり、一般的によく知られる鬼の姿だったという。その能力は様々な呪術を行使し、空を飛んだり、火を吐いたり、子供や動物にも変身し、怪力の持ち主だった。
また飛んで来た矢に岩をぶつけるという技を使って体に矢が命中するのを防いだとも伝えられる。
温羅は吉備の新山に城(鬼ノ城)を構え手下を集め吉備国を荒らし始めた。朝廷への貢物を奪い、人を捕まえては釜で煮て食ったりした。吉備の人々は大和朝廷に助けを求めた。だが、朝廷から派遣された軍は、ことごとく温羅に打ち破られた。
温羅は自らを吉備冠者(吉備の王)と名乗り支配を続けた。時の天皇、崇神天皇(BC148~30第10代天皇、実在の初代天皇と言われる)は唯軍を送ったのでは温羅は倒せないと判断し、武勇誉れ高い五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと:後の吉備津彦命)に温羅討伐を命じた。
大軍を率いた五十狭芹彦命は吉備中山に陣を敷き、吉備中山西にある片岡山に部下を派遣し砦を築かせた。一方、朝廷軍の様子を見た温羅は部下と共に鬼ノ城に篭り戦いに備えた。戦いの火蓋が切って落とされたのである。

五十狭芹彦命は岩の上に矢を置き鬼ノ城に攻撃を掛けた。これに対し温羅は大岩を投げ飛ばして対抗した。五十狭芹彦命が放った矢は、温羅の投げた大岩に悉く当たり吉備中山と鬼ノ城の中間に落ちた。
五十狭芹彦命の戦略は確かで、軍も精鋭揃いだったが、矢が届かぬので戦が長引いていた。夜になると鬼達は城から出て周囲の村を襲った。これに対して五十狭芹彦命は楽々森命(さきもりのみこと)を遣わし村を襲う鬼達を倒した。勿論他の部下達も鬼達を倒していった。
ところが不思議な事に倒したはずの鬼達は次々と元気を取り戻し戦列に復帰していく。倒しても倒しても数が減らないので、五十狭芹彦命の軍は次第に疲弊していった。戦況はだんだんと不利になっていった。
・・・と、まずはここまで。凄まじい激戦だったからか、あるいはこの物語だけは後世に残さねばという意思が働いたのか、古代の戦闘にも関わらず、かなり詳細に出来事が残っている。

温羅は百済の王子であったいう箇所からは、ただ暴力的、山賊的な悪漢ではなく身分の高い人であったということが伝えたかったように思う。
それと、その能力の高さが伺える。日本各地に残る鬼伝説に登場する鬼の中でも、飛び抜けた能力を持っていた。火を吐く、空を舞う、変身する、岩を操るなどなど鬼が神であると伺えるほどの力だ。その身長もメートル換算で3m越えである。
鬼の王に相応しい力だ。あの大和朝廷の軍隊を以てしても太刀打ち出来ないという描写は、しょんぞそこらの鬼とは訳が違うよということか。
そんな無敵ともいえる力を持った温羅の軍団に、朝廷からこれまた猛将と云われる「五十狭芹彦命」が率いる軍隊が派遣される。五十狭芹彦命は孝霊天皇の第三王子で、後に温羅を倒し吉備を平定する。
しかし、五十狭芹彦命も最初から優勢だったわけではなく、開戦時は劣勢だったようだ。温羅の軍隊は倒しても倒しても減らないというのだ。果たしてその理由は・・・次回に続きます。
※紅葉屋呉服店はこちらまで
出てくる物語の題名は「桃太郎」です。この桃太郎という昔話、元になった戦の昔話がある。そして桃太郎にもモデルがいた。
まずは古代の岡山県で勃発した大戦の概要を見てみよう。
◎五十狭芹彦命vs温羅
伝承では、温羅は百済の王子で、各国で悪事を働きながら日本に渡来し吉備(岡山県)の地に住み着いた。
身長は1丈4尺で髪は赤く縮れ、髭は長く、眼は獣のように輝き、頭には瘤のような形状の角があり、一般的によく知られる鬼の姿だったという。その能力は様々な呪術を行使し、空を飛んだり、火を吐いたり、子供や動物にも変身し、怪力の持ち主だった。
また飛んで来た矢に岩をぶつけるという技を使って体に矢が命中するのを防いだとも伝えられる。
温羅は吉備の新山に城(鬼ノ城)を構え手下を集め吉備国を荒らし始めた。朝廷への貢物を奪い、人を捕まえては釜で煮て食ったりした。吉備の人々は大和朝廷に助けを求めた。だが、朝廷から派遣された軍は、ことごとく温羅に打ち破られた。
温羅は自らを吉備冠者(吉備の王)と名乗り支配を続けた。時の天皇、崇神天皇(BC148~30第10代天皇、実在の初代天皇と言われる)は唯軍を送ったのでは温羅は倒せないと判断し、武勇誉れ高い五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと:後の吉備津彦命)に温羅討伐を命じた。
大軍を率いた五十狭芹彦命は吉備中山に陣を敷き、吉備中山西にある片岡山に部下を派遣し砦を築かせた。一方、朝廷軍の様子を見た温羅は部下と共に鬼ノ城に篭り戦いに備えた。戦いの火蓋が切って落とされたのである。

五十狭芹彦命は岩の上に矢を置き鬼ノ城に攻撃を掛けた。これに対し温羅は大岩を投げ飛ばして対抗した。五十狭芹彦命が放った矢は、温羅の投げた大岩に悉く当たり吉備中山と鬼ノ城の中間に落ちた。
五十狭芹彦命の戦略は確かで、軍も精鋭揃いだったが、矢が届かぬので戦が長引いていた。夜になると鬼達は城から出て周囲の村を襲った。これに対して五十狭芹彦命は楽々森命(さきもりのみこと)を遣わし村を襲う鬼達を倒した。勿論他の部下達も鬼達を倒していった。
ところが不思議な事に倒したはずの鬼達は次々と元気を取り戻し戦列に復帰していく。倒しても倒しても数が減らないので、五十狭芹彦命の軍は次第に疲弊していった。戦況はだんだんと不利になっていった。
・・・と、まずはここまで。凄まじい激戦だったからか、あるいはこの物語だけは後世に残さねばという意思が働いたのか、古代の戦闘にも関わらず、かなり詳細に出来事が残っている。

温羅は百済の王子であったいう箇所からは、ただ暴力的、山賊的な悪漢ではなく身分の高い人であったということが伝えたかったように思う。
それと、その能力の高さが伺える。日本各地に残る鬼伝説に登場する鬼の中でも、飛び抜けた能力を持っていた。火を吐く、空を舞う、変身する、岩を操るなどなど鬼が神であると伺えるほどの力だ。その身長もメートル換算で3m越えである。
鬼の王に相応しい力だ。あの大和朝廷の軍隊を以てしても太刀打ち出来ないという描写は、しょんぞそこらの鬼とは訳が違うよということか。
そんな無敵ともいえる力を持った温羅の軍団に、朝廷からこれまた猛将と云われる「五十狭芹彦命」が率いる軍隊が派遣される。五十狭芹彦命は孝霊天皇の第三王子で、後に温羅を倒し吉備を平定する。
しかし、五十狭芹彦命も最初から優勢だったわけではなく、開戦時は劣勢だったようだ。温羅の軍隊は倒しても倒しても減らないというのだ。果たしてその理由は・・・次回に続きます。
※紅葉屋呉服店はこちらまで
スポンサーサイト