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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆日本のしきたり・第5回 雛祭り

3月3日はお雛様、雛祭り。

雛祭りは上巳(じょうし)の節句、桃の花が咲く時期に女の子の成長を祝う儀式だ。

桃の節句とも言う。


雛人形を飾り、御祝をするのが一般的だが、起源を辿ると奈良時代~平安時代にはあったと云う儀式に辿り着く。


ひな流しと呼ばれるものだ。


土や紙で作られた形代と呼ばれる人形の一種を、生まれた赤子の枕元に置き厄除けとした。


そして一年の災いを春のひな流しで払う。川に流すのだ。


災厄、穢れを形代に移すという発想だ。


何年か前、滋賀県のMIHOミュージアムで土偶の展示会があった。土偶についてはそれほど知識が無かったので、これは面白いかもと観に行った。


興味深かったのは、発掘された人の形をした土偶はほぼ女性であったこと。そしてどうも壊してから埋めた形跡が多いという解説だった。病気についての恐れは、現代の人とは比べ物にならないほどのものがあったと思う。
 
 
特に出産や、子供が大人になることは大変に困難であった。奈良時代や平安時代も大変なら、縄文時代は尚更だったと思う。


縄文の人達は子孫の繁栄の為、安全に子供が生まれてくる為に、病気の原因たる何か厄神的な存在の障り、穢れを土偶に移し、それが再生しないよう破壊したのだと思った。


縄文の記憶がそのまま奈良時代や平安時代に受け継がれたとは言わないが、いつの時代も病は怖いもので、医学が発達した現代なら原因の特定も出来るが、大昔なら病の原因は神の怒り、厄神の障りと解釈したのだと思う。

厄を移す形代が、時代と共にに変化する。江戸期頃になると制作技術の発展により、様々な人形が作られるようになった。形代も雛人形に変わり、鑑賞を目的にするものに変化する。


現在では雛人形を飾るのは、だいたい立春から一週間位の中で準備するのが良い。雛祭り前日に慌てて出すのは「一夜飾り」と言ってあんまり縁起が良いことではないと言う。


また、雛祭りを過ぎても、雛飾りを出しっぱなしにするのは婚期が遅れると言うが、これもおそらく「流しびな」の風習の考え方が変化したものだろう。厄を移した形代をいつまでも流さずに置いておくと、その厄はまた当人に戻る、という解釈になる。つまり「厄が戻る」という言葉、考え方が婚期が遅れるになったのでは・・・。


最近の雛飾りは景気や住宅事情に比例してか、私が子供の時によく見た雛段飾りというのは、段々と簡略化して、御殿様と姫様だけになっているのが増えた。


雛段飾りは赤い毛氈を敷くが、赤色は不滅や魔除けという意味がある。古墳に埋葬された遺体にも朱が塗ってある例もある。これも魔除けという意味もあると思う。後は「火」の色、火の性質を加えるという意味もあるだろう。


お殿様とお姫様だけで飾るのを親王飾りという。殿様と姫様は天皇陛下と皇后さまでもある。


天皇陛下は祭祀王。国民の為に祈るのがお仕事だ。そう考えると内裏雛(天皇・皇后を形どって作られた人形)が雛人形として飾られるのも、ある意味納得である。以前こんな話を読んだ。


何かの本に載っていたが、現在の上皇陛下が、昔被災地に行かれた際、「災厄よ私を通ってくれ」というような意味の言葉で祈ったと・・・。


国民の為に自らがその災厄を引き受けると言う常人ではとても言えない凄い言葉だ。上皇陛下も天皇陛下も、日本にいてくれて良かったと思う。頭が下がる思いである。



雛祭りは大事な子供(女児)を災厄から守る、大切なお祭でした。


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参考文献  日本のしきたりが丸ごと分かる本  晋遊社
        本当は怖い日本のしきたり      彩図社
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