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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆日本のしきたり・第三回 正月について その3

お正月飾りの続き。今回は鏡餅について考えてみる。


鏡餅の鏡とは、銅鏡のことだ。もっと言えば神社にある御神器としての鏡である。古代の銅鏡は、現代の鏡と違い、自分の身なりを写すものではなく神が宿る依り代という意味がある。


鏡自体が御神体でもあり、自分の御霊を写すものでもある。

高座結御子神社⑪

過去ブログに一度上げたが、昔、熱田神宮の広大な(嘗ての)境内にある古社の一つで、不思議な写真を頂いたことがあった。前回の話に少し重なるが、この神社に参拝に行った際、根元に小さな鳥居がいくつも置いてある御神木があった。


この時「あっ、御神木は神が宿るし、神そのものでもある。神社の木には触ったらいかんな」と言葉で発しながらお写真を頂いたらこのような写真が撮れた。


特に反射するものがあった訳ではないが、まるでそこに鏡があるかのような光が写っていた。鳥居の上にあるのも、神は鳥居に降りるという言い伝えがあるので、この件では神様いるよと教えて頂いたようにも思えた。


鏡が丸いのは、魂の形を表しているのやもしれない。


鏡餅を二つ重ねるのは、福徳が重なる様にという意味がある。


しかし、私は日本の、物部神道に伝わるという二つの鏡、興津鏡と辺津鏡を表していると思う。


神道最大の謎と云う十種神宝(とくさのかむたから)に含まれる、陰陽二枚の御神器の鏡である。


日本の宗教観は、古くは今ほどハッキリ分かれていなかった。神道も仏教も陰陽道も複雑に交じり合っていた。鏡餅を見るに陰陽の考え方も入っていると思う。大きい餅は陽の鏡「興津鏡」。小さい方は陰の鏡「辺津鏡」を表していると思う。


また、米は昔から日本人にとって命の要の農作物だった。古代豪族の権力の象徴は鉄と稲であるように、保存が効き、安定的な食糧源である米は大切なものであった。

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山の神の話を読んでも、普段は山に住み、春になると下りてきて田の神となり秋に帰るというものがある。山の神は稲の神でもあるのだ。この辺りの話が歳神=山の神という話になるのだろう。庶民にとっては歳神(山の神=稲の神)は生命線なのだ。故に稲の神のもたらした餅で、神が宿る鏡の形を作り、正月におもてなしをするのである。


伏見稲荷に残る昔話でも興味深いものがあった。古代豪族の秦氏は、先祖神でもある伏見稲荷を祀っていたが、栄華を極めていた秦氏は慢心になり、あろうことが鏡餅を弓矢の的にして矢を放っていたら、とたんに神罰が下ったというものだ。鏡餅が神聖なものであるという事、そして「誰のお陰で繁栄してると思っているのか!」という神の怒りがよく分かる話である。


正月には当たり前のように餅を食べると思っていたが、調べていたら餅を食べない地域もあった。東京足立区に、落ち武者達が苦労して開墾したことが始まりの集落がある。彼らは貧しく正月も餅が食べれず芋の雑炊を食べていた。その先祖の苦労を思って、今でも正月には餅を食べない。


栃木県にも、鬼怒川から農業用水を引く工事が終わるまで、正月も餅をつかずに働くと願掛けをしたという伝承が残る地域もある。そういう地域では「餅なし正月」を行っているという。足立区の例も栃木県の例も同じで、どちらも苦労した先祖達のことを思って餅を敢えてたべないのである。


正月は政を行う行事であり、お盆的な意味があると気付いた。


先祖のことを思い、地域の神や自身の信仰する神に祈り感謝する各家庭で行う大事なお祭なのだ。先祖神や地域の神、信仰する神を味方につけることで結果的に家の繁栄にも繋がるのである。


※追記

神が宿る鏡餅を食べるという行為は、神と同族になる、守ってもらいたいという発想かと思います。




※紅葉屋呉服店はこちらまで
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