お正月飾りと言えば門松意外にも、注連縄や鏡餅がある。

注連縄の由来は古事記に遡る。天岩戸に閉じこもっていた天照大神を、天手力男命が引っ張り出した際、岩戸の中に二度と戻らないように施したのが注連縄の起源だと云う。
注連縄は左捻りで、結界という意味がある。
神社の入り口に施してあるのをよく見かけるが、これは不浄を嫌う神様にとって外から不浄なものが入ってこないようにするという意味がある。と同時に、中にいる神様も外の世界(人間の住む世界)に入ってこないようにするという意味もあると思う。
神様の御魂は、荒魂と和魂とある。簡潔に言えば、荒ぶる激しい側面と、穏やかな優しい側面だ。人の発する言葉や行いによって神様は和魂か荒魂に変わる。荒魂が暴れると災いをもたらすと考えられていた。故に注連縄を神社の入り口に設ける意味は、神様は神社の中に留めておきたいということもある。
「注連縄は神を閉じ込めておくと云う意味がある」と気付いたのは、今から20年近く前、愛知県の有名な寺稲荷、豊川稲荷の狐塚にて不思議な体験をさせて頂いたからだ。過去ブログでも述べたかもしれないが、当時、父と歴史好きのお客様の併せて5名で豊川市内の寺社巡りをしたことがあった。
最初に訪れた犬尾神社にて、父が「注連縄や鳥居は内と外、両方に作用する結界だ。神を閉じ込める意味があるのでは?」と言葉で述べたことがあった。その直後で訪れた豊川稲荷の奥の院、狐塚で鳥居が潜れないという体験をした。
お客様3名は、何ともなく普通に鳥居を潜ったが、私と父だけ奥の院の鳥居が潜れないのである。目の前に目には見えぬが厚さ数十センチもあろうかという空気の壁のようなものが前進を妨げ、足が後ろにむかって勝手に下がっていくのである。
もう感覚的な話であるが、空気の壁が現れる前、狐塚にある無数jの稲荷神像が、一斉にこちらを見たような気がした。頭がグラグラし、広い境内を歩いている間治ることはなかったが、第一鳥居を出たとたん、スポンと頭に入っていた空気が抜けたように軽くなった。元に戻ったのだ。誠に不思議な体験であった。
以来、何度か豊川稲荷へ参拝に行くが、後にも先にも狐塚の鳥居が潜れないということはない。今思えば、注連縄や鳥居の真の意味を言葉で述べたのを豊川のお稲荷さんが聞き、実際に身をもって体験させてくれたのだと思う。
よくお札や、開眼してもらった仏像を祀っているという人に限って、御縁のあった寺社への参拝をしなくなるという話を聞く。本体の神仏に会うのであれば、その場所に参拝に行くことが大変重要であると思う。
話を正月飾りとしての注連縄に戻そう。
各家庭にて飾る注連縄は、歳神が訪れる前に不浄なものが入らないようにする、招いた家の中が神聖であるという意味がある。

上の画像は奈良県の某寺院の境内にあった注連縄。この地域には、普通の道に思える所にもこのような注連縄があった。これより先は神域であることの目印だ。このタイプの注連縄を初めて見た時は大変驚いた。神すさぶという言葉が浮かぶほどインパクトがあった。
神社の御神木にも注連縄が施してあるものを見かけるが、やはり神が降りる、宿る木は穢れてはならないからだろう。神社の御神木に関しては、注連縄が施してないものもあると思う。参拝者からすれば、どれが神が宿る木かの判断は難しい。また祀ってある神様が穏やかな神様なのか、それとも荒ぶる神様なのかも場合によってはよほど調べないと分からない。(明治期に神様が入れ替わっている場合も多いから)故に神社の木はむやみやたらに触ったり、抱きついたりしてはいけない。
和魂の神様ならいざしらず、祀ってある神様が荒魂の場合、それに触れると障りがあると思う。
注連縄は、本来藁を編んだもの紙垂をつけたものであったが、地域によっては橙や扇、伊勢海老などが加えられていった。(蓬莱飾)
注連縄はそれそのものも神聖であるし、神域であるという目印でもある。穢れを入れないようにしたり、神をそこに留める為に用いるものだ。

注連縄の由来は古事記に遡る。天岩戸に閉じこもっていた天照大神を、天手力男命が引っ張り出した際、岩戸の中に二度と戻らないように施したのが注連縄の起源だと云う。
注連縄は左捻りで、結界という意味がある。
神社の入り口に施してあるのをよく見かけるが、これは不浄を嫌う神様にとって外から不浄なものが入ってこないようにするという意味がある。と同時に、中にいる神様も外の世界(人間の住む世界)に入ってこないようにするという意味もあると思う。
神様の御魂は、荒魂と和魂とある。簡潔に言えば、荒ぶる激しい側面と、穏やかな優しい側面だ。人の発する言葉や行いによって神様は和魂か荒魂に変わる。荒魂が暴れると災いをもたらすと考えられていた。故に注連縄を神社の入り口に設ける意味は、神様は神社の中に留めておきたいということもある。
「注連縄は神を閉じ込めておくと云う意味がある」と気付いたのは、今から20年近く前、愛知県の有名な寺稲荷、豊川稲荷の狐塚にて不思議な体験をさせて頂いたからだ。過去ブログでも述べたかもしれないが、当時、父と歴史好きのお客様の併せて5名で豊川市内の寺社巡りをしたことがあった。
最初に訪れた犬尾神社にて、父が「注連縄や鳥居は内と外、両方に作用する結界だ。神を閉じ込める意味があるのでは?」と言葉で述べたことがあった。その直後で訪れた豊川稲荷の奥の院、狐塚で鳥居が潜れないという体験をした。
お客様3名は、何ともなく普通に鳥居を潜ったが、私と父だけ奥の院の鳥居が潜れないのである。目の前に目には見えぬが厚さ数十センチもあろうかという空気の壁のようなものが前進を妨げ、足が後ろにむかって勝手に下がっていくのである。
もう感覚的な話であるが、空気の壁が現れる前、狐塚にある無数jの稲荷神像が、一斉にこちらを見たような気がした。頭がグラグラし、広い境内を歩いている間治ることはなかったが、第一鳥居を出たとたん、スポンと頭に入っていた空気が抜けたように軽くなった。元に戻ったのだ。誠に不思議な体験であった。
以来、何度か豊川稲荷へ参拝に行くが、後にも先にも狐塚の鳥居が潜れないということはない。今思えば、注連縄や鳥居の真の意味を言葉で述べたのを豊川のお稲荷さんが聞き、実際に身をもって体験させてくれたのだと思う。
よくお札や、開眼してもらった仏像を祀っているという人に限って、御縁のあった寺社への参拝をしなくなるという話を聞く。本体の神仏に会うのであれば、その場所に参拝に行くことが大変重要であると思う。
話を正月飾りとしての注連縄に戻そう。
各家庭にて飾る注連縄は、歳神が訪れる前に不浄なものが入らないようにする、招いた家の中が神聖であるという意味がある。

上の画像は奈良県の某寺院の境内にあった注連縄。この地域には、普通の道に思える所にもこのような注連縄があった。これより先は神域であることの目印だ。このタイプの注連縄を初めて見た時は大変驚いた。神すさぶという言葉が浮かぶほどインパクトがあった。
神社の御神木にも注連縄が施してあるものを見かけるが、やはり神が降りる、宿る木は穢れてはならないからだろう。神社の御神木に関しては、注連縄が施してないものもあると思う。参拝者からすれば、どれが神が宿る木かの判断は難しい。また祀ってある神様が穏やかな神様なのか、それとも荒ぶる神様なのかも場合によってはよほど調べないと分からない。(明治期に神様が入れ替わっている場合も多いから)故に神社の木はむやみやたらに触ったり、抱きついたりしてはいけない。
和魂の神様ならいざしらず、祀ってある神様が荒魂の場合、それに触れると障りがあると思う。
注連縄は、本来藁を編んだもの紙垂をつけたものであったが、地域によっては橙や扇、伊勢海老などが加えられていった。(蓬莱飾)
注連縄はそれそのものも神聖であるし、神域であるという目印でもある。穢れを入れないようにしたり、神をそこに留める為に用いるものだ。
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