兵庫県、城崎温泉にある古刹、温泉寺へ参拝に出かけた。
高野山真言宗、別格本山のお寺だ。城崎温泉の歴史は古く1400年も遡る。温泉寺のHPには以下のような解説文があった
一羽のコウノトリが傷を癒していたのを発見したことが発端であり、その後、養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により天平10年(738)に開創された古刹である。
道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し(現在のまんだら湯)、城崎温泉が開かれる。
その後、大和(奈良)の長谷寺の観音さまと同木同作の由緒正しき観音像を得て寺を開創したと伝わる。
温泉街には複数の外湯があり、温泉を堪能した次の日に参拝となった。
山の麓からロープウェイで3分ほど行くと本堂に辿り着く。

向かって左側の建物より、拝観料を払って入堂。
最初に出迎えてくれたのは千手観音像であった。

ほぼ等身大の千手観音像だ。平安時代の重要文化財指定になっている仏像だ。伝弘法大師作である。(画像はお寺で購入した図録より抜粋)壇像だろうか。
千手観音像は、千本腕がある仏様だが、仏像になると手の数は省略される場合も多い。こちらの像は全て確認は出来ないが、かなりの数の手を表現していた。ホントに千本あるかも。
画像で見るより実物はもっと厳しいお顔をされていた。また正面に立つと強い力を感じる仏様だった。
仮にお寺のお坊さんから、仏像の写真を撮っても良いよと言われても、畏れ多くてとても撮れない雰囲気だった。
唇にうっすらと紅がさしてある。この時代の仏像は目と唇だけ着色してあることが多いように思う。目は力を感じる部分であるし、口は言葉(言霊)を発するから、この二つは意識して塗られたのではと思う。
ずっと手を合わせて観ていられる千手観音像だ。視線を全体から部分部分に移動していて「おやっ?」と思える個所があった。
六本ある太い腕の一番下の二本、通常千手観音像はこの下二本の腕の両手は重なっている例が殆どだが、この像の場合、手を重ねていなかった。
例えば下の画像。昔お参りに出かけた和歌山県の道成寺にある、国宝の千手観音像。

(画像は道成寺で購入した図録の表紙より抜粋)
正面に組まれた手に着目すると、一番下の両手は重なっている。

重ねた両手の上には壺だろうか?持物がある。
温泉寺の千手観音像に戻ってみよう。

両の手は重なるどころか、大きく空間が開けられている。さながら気を練っているようにも見える。
今まで多くの千手観音像をお参りしたが、このパターンは記憶にない。1000年以上前の古仏であるので、修理した時に取り付ける角度を間違えたのかと腕の継ぎ目を確認したが、寄木造ではないようだった。
後で図録で確認したが一木造りであった。一本の木から彫られた継ぎ目のない仏像なのだ。最初からこのように彫られているのである。
下の手の上に持物が見られるが、大きく傾いているので当初のものではなく、後世に持たされたものだろう。仏像の完成時には持ってなかったのではと思う。
観音様は大慈悲の仏様なので、人間はおろか動物や天部の神々も救おうと様々な姿をとるという。その中でも千手観音は千本の慈悲の手、千個の知恵の眼(手のひらに一つずつ眼がある)であらゆる機会を逃さず、衆生をもらさず救う。その広大無辺の救済力は、とどまることのない無限の霊験を顕すという。
お寺の解説文にはなかったが、この温泉寺の千手観音像も、本尊の十一面観音と同じく霊木像だと思う。木そのものに神が宿るのが霊木で、その強い霊力のある木でこれまた強い慈悲の力を持つ千手観音像を彫ったのだ。
他の千手観音像では見られない、あの気を練るような手の形は、それを観る者に空間、あるいはそこに珠(魂)を瞑想させるように考えて、あえて造像したように思う。神道的な要素も入っているのかもしれない。
真面目にお参りする一般人には強い御利益を、観音に祈念出来る密教僧にはより強い力をもたらすのでは?と思いました。
次回は本尊の十一面観音像像です。
後編へ続く・・・
※参考文献 仏尊の御利益功徳事典 大森儀成著 学研
高野山真言宗、別格本山のお寺だ。城崎温泉の歴史は古く1400年も遡る。温泉寺のHPには以下のような解説文があった
一羽のコウノトリが傷を癒していたのを発見したことが発端であり、その後、養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により天平10年(738)に開創された古刹である。
道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し(現在のまんだら湯)、城崎温泉が開かれる。
その後、大和(奈良)の長谷寺の観音さまと同木同作の由緒正しき観音像を得て寺を開創したと伝わる。
温泉街には複数の外湯があり、温泉を堪能した次の日に参拝となった。
山の麓からロープウェイで3分ほど行くと本堂に辿り着く。

向かって左側の建物より、拝観料を払って入堂。
最初に出迎えてくれたのは千手観音像であった。

ほぼ等身大の千手観音像だ。平安時代の重要文化財指定になっている仏像だ。伝弘法大師作である。(画像はお寺で購入した図録より抜粋)壇像だろうか。
千手観音像は、千本腕がある仏様だが、仏像になると手の数は省略される場合も多い。こちらの像は全て確認は出来ないが、かなりの数の手を表現していた。ホントに千本あるかも。
画像で見るより実物はもっと厳しいお顔をされていた。また正面に立つと強い力を感じる仏様だった。
仮にお寺のお坊さんから、仏像の写真を撮っても良いよと言われても、畏れ多くてとても撮れない雰囲気だった。
唇にうっすらと紅がさしてある。この時代の仏像は目と唇だけ着色してあることが多いように思う。目は力を感じる部分であるし、口は言葉(言霊)を発するから、この二つは意識して塗られたのではと思う。
ずっと手を合わせて観ていられる千手観音像だ。視線を全体から部分部分に移動していて「おやっ?」と思える個所があった。
六本ある太い腕の一番下の二本、通常千手観音像はこの下二本の腕の両手は重なっている例が殆どだが、この像の場合、手を重ねていなかった。
例えば下の画像。昔お参りに出かけた和歌山県の道成寺にある、国宝の千手観音像。

(画像は道成寺で購入した図録の表紙より抜粋)
正面に組まれた手に着目すると、一番下の両手は重なっている。

重ねた両手の上には壺だろうか?持物がある。
温泉寺の千手観音像に戻ってみよう。

両の手は重なるどころか、大きく空間が開けられている。さながら気を練っているようにも見える。
今まで多くの千手観音像をお参りしたが、このパターンは記憶にない。1000年以上前の古仏であるので、修理した時に取り付ける角度を間違えたのかと腕の継ぎ目を確認したが、寄木造ではないようだった。
後で図録で確認したが一木造りであった。一本の木から彫られた継ぎ目のない仏像なのだ。最初からこのように彫られているのである。
下の手の上に持物が見られるが、大きく傾いているので当初のものではなく、後世に持たされたものだろう。仏像の完成時には持ってなかったのではと思う。
観音様は大慈悲の仏様なので、人間はおろか動物や天部の神々も救おうと様々な姿をとるという。その中でも千手観音は千本の慈悲の手、千個の知恵の眼(手のひらに一つずつ眼がある)であらゆる機会を逃さず、衆生をもらさず救う。その広大無辺の救済力は、とどまることのない無限の霊験を顕すという。
お寺の解説文にはなかったが、この温泉寺の千手観音像も、本尊の十一面観音と同じく霊木像だと思う。木そのものに神が宿るのが霊木で、その強い霊力のある木でこれまた強い慈悲の力を持つ千手観音像を彫ったのだ。
他の千手観音像では見られない、あの気を練るような手の形は、それを観る者に空間、あるいはそこに珠(魂)を瞑想させるように考えて、あえて造像したように思う。神道的な要素も入っているのかもしれない。
真面目にお参りする一般人には強い御利益を、観音に祈念出来る密教僧にはより強い力をもたらすのでは?と思いました。
次回は本尊の十一面観音像像です。
後編へ続く・・・
※参考文献 仏尊の御利益功徳事典 大森儀成著 学研
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