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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆南宮大社

先月の話ですが、岐阜県にある南宮大社へ参拝に出かけた。

名前は聞いたことがあったが一度も行ったことがなく、夏の休みに何となく思い立ちお参りに。

南宮大社③

道中、神社の手前で巨大な鳥居が現れたので驚く。こんな大きな神社だったとは。

南宮大社⑥


南宮大社②

鳥居を潜ってしばらく行くと大きな建物が見えた。
立派な楼門だ。


南宮大社⑤

正面の石橋は柵が施してある。本殿の正面を真正面からとらえているので、これは神様が通る石橋。人が通ってはいけない。

神社でこういう石橋はよく見かけるが、お寺でもたまにあることがある。弁才天を祀る寺で見たか。


現在の建物は寛永19年(1642年)、春日の局の願いにより 三代将軍徳川家光公が再建したもの。1600年におきた関ケ原の戦いで全焼したらしい。どうもこの辺りに陣地を構えていた大名がいたようだ。

南宮大社①
御祭神は「金山彦大神」。鉄の神様だ。知り合いに金属関係の会社の社長さんがいるが、そこの会社の敷地内に立派な御社があった。どんな神さまかと聞いたらこちらの神社だった。思えばその時に初めて知ったのが南宮大社だった。


当店のお客様にも金属関係の会社をしている方がいらっしゃるが、やはりそこの会社の事務所の神棚にも、こちらの神様のお札があるらしい。全国的に見ても、製鉄関係のお仕事をしている人達の信仰が多いようだ。寺社参りをしていると神様や仏さまにも得意分野があると分かる。やたらめったら御利益目的で回るよりも、自分の職種にあった神仏を信仰すると言うのもアリだろう。


南宮大社⑦

こちらが拝殿。どの建物も立派だ。主だったどの建物も重要文化財に指定されている。素晴らしい。


南宮大社⑧


こちらが本殿。一部修理中だったようで、全容は分からなかった。誰かが常駐し、建物や境内が手入れ掃除され、また参拝客も多い神社は気持ちが良い。神様の力も強いし機嫌も良いからだと思う。社伝にはこうあった



~御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおかみ)の兄神に当らせられる大神様であります。

 社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄(きんし:トビ)を輔(たす)けて大いに霊験を顕わされた故を以って、当郡府中に祀られたらせられ、 後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、国府から南方に位する 故に南宮大社と云われる様になったと伝えます~


とある。十代崇神天皇の頃と言うのは諸説あるが3~4世紀頃らしい。続けて社伝に戻ると・・・


~御神位は古く既に貞観15年(873)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ名神大社として 名神祭にも預る大社に列せられています。  

天慶3年(940)、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任(さだとう)追討の神験によって、 正一位勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、 美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります ~




平将門公を誅伏したという話はここ以外でも聞いたことがある。確か奈良県の秋篠寺の太元帥明王(たいげんすいみょうおう)にもそんな逸話があったと記憶している。太元帥明王は明王の総帥とも呼ばれ、御利益と言うか得意分野は相手を調伏すること。昔、一度秋篠寺へお参りに行ったが、太元帥明王のそのお姿の凄さには恐れ入った覚えがある。
 
 
金山彦大神も、平将門公を倒すために祈りを捧げられたということは、相当に強い、厳しい神様なのだろう。実際、武将たちの信心も厚かったようだ。

南宮大社④

参拝を終え、楼門の裏側を一枚写真を頂いてから神社を後にした。この後、神社から少し行った所のお寺へ行った。元々、明治以前の南宮大社は、仏と神を一緒に祀っていた場所だった。境内に神宮寺があったのだ。次回は旧神宮寺のお話です。




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