京都の泉屋博古館という、中国の古代青銅器を沢山収蔵する美術館を観に行くツアーに参加した。
そのツアーの中で昼食で立ち寄ったのが黄檗宗(禅宗)のお寺、「閑臥庵(かんがあん)」だ。
こちらのお寺は京懐石普茶料理という、肉や野菜を使わない料理が有名である。
実際、初めて食べた普茶料理はなかなか美味しかった。
閑臥庵はツアー的には昼食で訪れただけだが、個人的には本ツアーの中で一番驚いた場所だった。
平安時代の陰陽道の神像を祀っていたのだ。

仏像と神像、どちらも好きでお参り出来る機会があれば拝観に出かけるが、仏教の仏様を彫ったものが仏像。かたや神社の神様を彫ったものが神像と言う。
大陸から来た仏教の仏像と違い、神像は日本の神なので、着ている服装も昔の人の服装に準じている。官位束帯の出で立ちが多い。しかし、こちらのお寺の神像は、神道(日本風)の神像ではない、大変珍しい陰陽道の神像なのだ。

(画像は頂いたチラシより)
この神像は「北辰鎮宅霊符神」と言う。陰陽道の最高神、北斗七星(北極星とも)を神格化した神様だ。
何でも元は平安時代の中頃、円融天皇が方除、厄除の霊神として京都の丑寅(うしとら:東北)に当たる貴船に祀ったもので、安倍晴明に付託開眼させたと伝えられる金剛像とあった。
貴船と言えば貴船神社のことか。閑臥庵がある場所は町中の平地だ。貴船はもっと遠い山の中である。

お寺にある縁起によれば、江戸前期頃、後水尾法皇が夢枕に立った父、後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護の為に貴船の奥の院から、この地へ勧請したとあった。
来歴を見て気になったのは、京都御所から見て鬼門は比叡山であり、貴船はほぼ真北であることだ。貴船は鬼門ではないということ。それと平安時代に鎮座したものを、霊夢とはいえ何故この地に持ってきたか?である。
食事中、男性のスタッフが料理を運びながらこの北辰鎮宅霊符神について解説してくれた。

話は変わるが、今更気付いたが、上の写真の左上、何か黒い影が写っている。丸い何かだろうか。気持ち悪い感じはしないので多分大丈夫だと思うが、私と一緒にお堂を見てた感じか。まぁこういうこともあるか・・・。
話を戻そう。
この男性は神主(?)らしく、お寺の本尊はお坊さんが、北辰鎮宅霊府神はこの神主さんがお参りしているらしい。変わっているのは北辰鎮宅霊符神の祭祀は夜にやるということだった。
また通常神社の参拝の所作は、柏手は2回叩くがこちらの場合は7回叩くそうだ。
これはこの神様が北斗七星であるからとのことだった。なぜ夜祭祀をするのかと言うと、陰陽道は呪い要素が強いので人が寝静まった夜に行うとのことであった。
確かに陰陽道には式神を始め、映画や小説、漫画などの影響もあり呪術合戦というイメージがあるが、むしろ陰陽道の中核はあくまで暦だ。
夜に行うというのは、やはり最高神が天体の中枢でもある(と考えられた)、北極星や北斗七星を神格化した神様だからということではと思う。夜でないと星は見えないからだ。
私が今まで実際にお参りした神像、本で見た神像、そのどれとも違う姿が衝撃的だった。陰陽道では丑寅の大金神、牛頭天王、そのご子息たちの八王子など、祟り神の方のが有名なので陰陽道的な神像も牛頭天皇や八王子は見たことがあったが、この北辰鎮宅霊符神のような神像があることすら知らなかった。
それもそのはずで、長らく秘仏であったらしく、こちらのお寺でも公開に踏み切ったのは2009年からとのことであった。
食事が終わった後、今一度このお堂の前に戻り、観察してみた。
確かに狛犬にも陰陽道の形跡があった。

五芒星だ。
神像を祀るお堂では線香は焚かないが、こちらには線香を燃やす炉もあった。その線香の置き方も五芒星だ。

再度手を合わせてお参りし、格子の隙間から中を除くと、黄檗宗系の中国系の天部像も祭ってある。そしてこれも興味深かったが、秘仏だった北辰鎮宅霊府神の※御前立が宇賀弁才天だったことだ。
日本の宗教は仏教や神道、そして陰陽道が複雑に絡み合っていた時代があった。その中で北辰鎮宅霊符神が密教の宇賀弁才天と習合したのかもしれない。弁才天ならありえる話だ。
閑臥庵に特殊な神像があることは、そんなに有名ではないようなので、殆どこの神像に纏わる資料らしい資料は見当たらない。近年まで秘仏だったので猶更だ。
短い滞在時間だったが、色々と考えさせられるお寺だった。ある意味最も京都らしい神像を祀っていると言える。晴明神社をお参りする人は、ぜひ足を延ばしてこちらへお参りに来ることを強くお勧めします。
※御前立・・・厨子に閉ざされた仏像の前におく仏像のこと。本尊を真似たものが多い。このお寺のように全然違う姿の仏像を置くのは稀である。
そのツアーの中で昼食で立ち寄ったのが黄檗宗(禅宗)のお寺、「閑臥庵(かんがあん)」だ。
こちらのお寺は京懐石普茶料理という、肉や野菜を使わない料理が有名である。
実際、初めて食べた普茶料理はなかなか美味しかった。
閑臥庵はツアー的には昼食で訪れただけだが、個人的には本ツアーの中で一番驚いた場所だった。
平安時代の陰陽道の神像を祀っていたのだ。

仏像と神像、どちらも好きでお参り出来る機会があれば拝観に出かけるが、仏教の仏様を彫ったものが仏像。かたや神社の神様を彫ったものが神像と言う。
大陸から来た仏教の仏像と違い、神像は日本の神なので、着ている服装も昔の人の服装に準じている。官位束帯の出で立ちが多い。しかし、こちらのお寺の神像は、神道(日本風)の神像ではない、大変珍しい陰陽道の神像なのだ。

(画像は頂いたチラシより)
この神像は「北辰鎮宅霊符神」と言う。陰陽道の最高神、北斗七星(北極星とも)を神格化した神様だ。
何でも元は平安時代の中頃、円融天皇が方除、厄除の霊神として京都の丑寅(うしとら:東北)に当たる貴船に祀ったもので、安倍晴明に付託開眼させたと伝えられる金剛像とあった。
貴船と言えば貴船神社のことか。閑臥庵がある場所は町中の平地だ。貴船はもっと遠い山の中である。

お寺にある縁起によれば、江戸前期頃、後水尾法皇が夢枕に立った父、後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護の為に貴船の奥の院から、この地へ勧請したとあった。
来歴を見て気になったのは、京都御所から見て鬼門は比叡山であり、貴船はほぼ真北であることだ。貴船は鬼門ではないということ。それと平安時代に鎮座したものを、霊夢とはいえ何故この地に持ってきたか?である。
食事中、男性のスタッフが料理を運びながらこの北辰鎮宅霊符神について解説してくれた。

話は変わるが、今更気付いたが、上の写真の左上、何か黒い影が写っている。丸い何かだろうか。気持ち悪い感じはしないので多分大丈夫だと思うが、私と一緒にお堂を見てた感じか。まぁこういうこともあるか・・・。
話を戻そう。
この男性は神主(?)らしく、お寺の本尊はお坊さんが、北辰鎮宅霊府神はこの神主さんがお参りしているらしい。変わっているのは北辰鎮宅霊符神の祭祀は夜にやるということだった。
また通常神社の参拝の所作は、柏手は2回叩くがこちらの場合は7回叩くそうだ。
これはこの神様が北斗七星であるからとのことだった。なぜ夜祭祀をするのかと言うと、陰陽道は呪い要素が強いので人が寝静まった夜に行うとのことであった。
確かに陰陽道には式神を始め、映画や小説、漫画などの影響もあり呪術合戦というイメージがあるが、むしろ陰陽道の中核はあくまで暦だ。
夜に行うというのは、やはり最高神が天体の中枢でもある(と考えられた)、北極星や北斗七星を神格化した神様だからということではと思う。夜でないと星は見えないからだ。
私が今まで実際にお参りした神像、本で見た神像、そのどれとも違う姿が衝撃的だった。陰陽道では丑寅の大金神、牛頭天王、そのご子息たちの八王子など、祟り神の方のが有名なので陰陽道的な神像も牛頭天皇や八王子は見たことがあったが、この北辰鎮宅霊符神のような神像があることすら知らなかった。
それもそのはずで、長らく秘仏であったらしく、こちらのお寺でも公開に踏み切ったのは2009年からとのことであった。
食事が終わった後、今一度このお堂の前に戻り、観察してみた。
確かに狛犬にも陰陽道の形跡があった。

五芒星だ。
神像を祀るお堂では線香は焚かないが、こちらには線香を燃やす炉もあった。その線香の置き方も五芒星だ。

再度手を合わせてお参りし、格子の隙間から中を除くと、黄檗宗系の中国系の天部像も祭ってある。そしてこれも興味深かったが、秘仏だった北辰鎮宅霊府神の※御前立が宇賀弁才天だったことだ。
日本の宗教は仏教や神道、そして陰陽道が複雑に絡み合っていた時代があった。その中で北辰鎮宅霊符神が密教の宇賀弁才天と習合したのかもしれない。弁才天ならありえる話だ。
閑臥庵に特殊な神像があることは、そんなに有名ではないようなので、殆どこの神像に纏わる資料らしい資料は見当たらない。近年まで秘仏だったので猶更だ。
短い滞在時間だったが、色々と考えさせられるお寺だった。ある意味最も京都らしい神像を祀っていると言える。晴明神社をお参りする人は、ぜひ足を延ばしてこちらへお参りに来ることを強くお勧めします。
※御前立・・・厨子に閉ざされた仏像の前におく仏像のこと。本尊を真似たものが多い。このお寺のように全然違う姿の仏像を置くのは稀である。
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