神社の神様の御利益というのは神様の性質に沿ったものだ。しかし、神社によっては、
「本来のこの神様は、恋愛成就が得意分野だと思うけど、商売繁盛や交通安全とかあるなぁ。後付けじゃねぇか、これ?」
と思う事がある。
伊奴神社の御祀神の一柱、伊奴姫神の御利益は子孫繁栄とあったが、手持ちの資料には伊奴姫神と子孫繁栄の接点は分からなかった。

昔から犬が多産で仔犬の育ちもいいことから、犬にはお産、子育てに関する霊力があると考えられていた(過去ブログ参照)。
なので、伊奴神社の言う伊奴姫神の御利益については、むしろ昔話の方の犬の王から連想されたものではと思う。
今回のブログを纏めるに辺り、終わり掛けになってそう言えばこんな話もあったなと思い出したことがあった。
伊奴神社から南へ1キロほど行った所に、一体のお地蔵さんがある。街角のどこにでもある小さな石仏だ。

名前は細池地蔵。このお地蔵さんには、それを祀った経緯が残されていた。

大正の中頃に建立されたお地蔵様。元々この近辺には池や湿地が多く、疫病の流行や、水死などで子供が育たなかった。
それを憂いた古老が地蔵尊を祀った所、事故死や病死が無くなったと云う。
始めてこの看板を見つけた時は「へぇ・・・。」と思っただけだった。
この地域が伊奴神社の管轄内だったと知ったのは実は最近なのだが、そうなると無視出来ない情報となった。

子宝、子育てを御利益とする伊奴神社の管轄内で、子供が育たないという真逆のことが起きていたのだ。
このことから、私は二つのことを考えた。一つはやはり伊奴姫神の御利益は子育てとは関係がないこと。
もう一つは、犬とされた神のメッセージではないのか?と言うことだ。
犬ではなく、本来はこの地域の人々にとって祀られるべき氏神なのだと・・・。
人は死ぬと、魂となり山へ帰る。そして魂が何世代も集まると先祖神となり氏神となる。大昔の日本人が考えた神の考え方の一つだ。
神道の入門書的なものには、神道の神は元々は自然から発生したという記述があったが、私たちの身の回りにある神社には自然そのものが神になった神社は殆どない。
記紀神話に登場する神様が圧倒的に多いのだ。しかし、神社の見方が分かり、地域に遺る民話を調べていくと、忘れられた氏神、その地域の先祖神の面影が観えることがある。
自然という圧倒的だが、どこかふわっとした神よりも、もっと生々しい一時代を生き抜いた先祖神達の方が、日本の神社の結構な部分を占めるのではと思う。
様々な理由により、犬や羊など動物となってしまった神々、まだ祀られるだけでもましかもしれないが、中には「大蛇と犬の昔話」の大蛇のように完全に忘れられることもある。妖怪・鬼などの中にも零落した私たちの先祖神もいるかもしれない。
神社に興味をもって20年ほど経ったか。調べれば調べるほど神社は興味が尽きない。そして神社によっては私達の、その地域の遠い先祖達の姿を垣間観ることがある。
歴史は長い。そして勝った者が歴史を作る。勝った者がいれば負けた者もいる。
神社の中には負けた方の壮絶な痕跡を観ることもある。そういう歴史の積み重ねの上に今の自分が繋がっていると考えてしまう。心情的に負けた方に同情し、時には怒りを覚えることもある。しかし、勝った方のお陰で今の日本があるのもまた事実なのだ。
神社とは勝った神、負けた神、そのどちらにもただ感謝して、どうぞ安らかにとお参りすることなのだと思う。
※追記
まだまだ知らないことも多いですが、神社のことが一つずつ分かると、神への敬意と仏の有難さが身に沁みますね。お地蔵さんの慈悲の力は凄い・・・。最後になりますが本ブログの内容は個人的な意見です。
「本来のこの神様は、恋愛成就が得意分野だと思うけど、商売繁盛や交通安全とかあるなぁ。後付けじゃねぇか、これ?」
と思う事がある。
伊奴神社の御祀神の一柱、伊奴姫神の御利益は子孫繁栄とあったが、手持ちの資料には伊奴姫神と子孫繁栄の接点は分からなかった。

昔から犬が多産で仔犬の育ちもいいことから、犬にはお産、子育てに関する霊力があると考えられていた(過去ブログ参照)。
なので、伊奴神社の言う伊奴姫神の御利益については、むしろ昔話の方の犬の王から連想されたものではと思う。
今回のブログを纏めるに辺り、終わり掛けになってそう言えばこんな話もあったなと思い出したことがあった。
伊奴神社から南へ1キロほど行った所に、一体のお地蔵さんがある。街角のどこにでもある小さな石仏だ。

名前は細池地蔵。このお地蔵さんには、それを祀った経緯が残されていた。

大正の中頃に建立されたお地蔵様。元々この近辺には池や湿地が多く、疫病の流行や、水死などで子供が育たなかった。
それを憂いた古老が地蔵尊を祀った所、事故死や病死が無くなったと云う。
始めてこの看板を見つけた時は「へぇ・・・。」と思っただけだった。
この地域が伊奴神社の管轄内だったと知ったのは実は最近なのだが、そうなると無視出来ない情報となった。

子宝、子育てを御利益とする伊奴神社の管轄内で、子供が育たないという真逆のことが起きていたのだ。
このことから、私は二つのことを考えた。一つはやはり伊奴姫神の御利益は子育てとは関係がないこと。
もう一つは、犬とされた神のメッセージではないのか?と言うことだ。
犬ではなく、本来はこの地域の人々にとって祀られるべき氏神なのだと・・・。
人は死ぬと、魂となり山へ帰る。そして魂が何世代も集まると先祖神となり氏神となる。大昔の日本人が考えた神の考え方の一つだ。
神道の入門書的なものには、神道の神は元々は自然から発生したという記述があったが、私たちの身の回りにある神社には自然そのものが神になった神社は殆どない。
記紀神話に登場する神様が圧倒的に多いのだ。しかし、神社の見方が分かり、地域に遺る民話を調べていくと、忘れられた氏神、その地域の先祖神の面影が観えることがある。
自然という圧倒的だが、どこかふわっとした神よりも、もっと生々しい一時代を生き抜いた先祖神達の方が、日本の神社の結構な部分を占めるのではと思う。
様々な理由により、犬や羊など動物となってしまった神々、まだ祀られるだけでもましかもしれないが、中には「大蛇と犬の昔話」の大蛇のように完全に忘れられることもある。妖怪・鬼などの中にも零落した私たちの先祖神もいるかもしれない。
神社に興味をもって20年ほど経ったか。調べれば調べるほど神社は興味が尽きない。そして神社によっては私達の、その地域の遠い先祖達の姿を垣間観ることがある。
歴史は長い。そして勝った者が歴史を作る。勝った者がいれば負けた者もいる。
神社の中には負けた方の壮絶な痕跡を観ることもある。そういう歴史の積み重ねの上に今の自分が繋がっていると考えてしまう。心情的に負けた方に同情し、時には怒りを覚えることもある。しかし、勝った方のお陰で今の日本があるのもまた事実なのだ。
神社とは勝った神、負けた神、そのどちらにもただ感謝して、どうぞ安らかにとお参りすることなのだと思う。
※追記
まだまだ知らないことも多いですが、神社のことが一つずつ分かると、神への敬意と仏の有難さが身に沁みますね。お地蔵さんの慈悲の力は凄い・・・。最後になりますが本ブログの内容は個人的な意見です。
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