伊奴神社において、御祀神の一柱、伊奴姫神と犬は関係がない。それは間違いない。
しかし、伊奴神社とこの地域に残る不思議な民話、「犬の王」は何かしらの関係があると思う。

◎犬の王
昔々、今から1300年ほども前のこと。
現在の西区稲生(いのう)町の辺りは一面田んぼであったが、まだ庄内川の治水前のことで、堤防がなく川の方が田んぼより高かったので、毎年雨季には川が氾濫して稲が流され、百姓達の難儀は大変なものであった。
ある夜、この辺りへ一人の年取った山伏が訪れた。
山伏は宿を乞うた。ひどく疲れていた様子だったので、ある優しい百姓が山伏を家に招き、親切にもてなした。大変喜んだ山伏は、翌朝、発ち際に何度も礼を言い、
「もし何か困っていることがあったら遠慮なく言いなさい。望みを叶えてあげよう」
と言った。百姓は
「毎年この辺では川が氾濫し、その都度稲が被害を被るので何とかしてほしい、稲が実るようにしてほしい。」
と述べた。
すると山伏は懐から白い紙を出し、それに向かって何やらブツブツと口の中で呪文を唱えた。それから紙の真ん中に字のようなものを書き、幾重にも折り畳み封じ込むと(白い紙を)百姓に手渡した。
「これを板に挟んで川の岸に立てておきなさい。しかし、どんなことがあっても中を見てはいけませんよ。」
と言って、どこへやら立ち去った。百姓は山伏に言われた通りにしたところ、不思議にその年は水害が起きず、稲がよく実った。
皆は喜んだが、なんとも不思議で不思議でならない。
あまりに不思議なので、百姓は板から紙を外し、こっそり中を開いてみた。紙の中には立派な犬の絵が一匹描いてあり「犬の王」という文字もあった。
次の年、また川が氾濫した。しかもこれまでのどの年よりも酷い被害が出た。百姓たちは困り果て、どうやらこうやら暮らしていた。
その年の暮れのこと。
以前の山伏がどこからともなくやってきて、百姓たちに宿を乞うた。
「その後、大水の方はどうかな?稲の実り具合はどうじゃ?」
と穏やかに百姓に尋ねるのだった。百姓は山伏との約束を破って紙の中を見てしまったことを大いに恥ていたが、ありのままに答えた。すると山伏は、
「それは私の戒めを破ったから効き目が無くなったのだ。仕方がない、今度はあの紙を地面の下に埋めて、その上に社を建てて神として祀りなさい。そうすれば必ず大水は出なくなる。」
と言うことだった。
この秋の大水に心底懲りていた百姓は、言われた通りにした。すると翌年からすっかり大水は出なくなり、どんな豪雨であっても、川の水が増え向う側の堤が切れても、こちらの堤は切れるということが一度もなくなり、毎年豊作が続き百姓達は大いに喜んだと云う。
その時に祀ったのが、今の「伊奴神社」だそうである。

土地の者は、通称「稲生神社」と言っているが、その土地を稲生と言うのも、「犬の王」を祀ったからだと云う。言い伝えによればその山伏とは天狗であり、今も伊奴神社の境内に枯れ掛けて残った3~4メートルの杉の木と樹齢800年余の椎の木がある。
というのが「犬の王」の昔話だ。
冒頭の画像は境内にあった犬の王に関する昔話の看板だが、これの情報も含めて気になった点を挙げてみた。
①この神社は「稲」が一つのキーワードになる。
②「犬の王」と書かれた紙と、その上に建ったのが伊奴神社である(昔話より)。
③洪水を止めたのが犬の王ともとれる。
④稲生の名の由来が「犬の王」であるという話もある。
⑤山伏と天狗
⑥伊奴姫神の御利益が安産・子育てであること
私にはこの話も、今まで取り上げてきた犬頭・犬尾神社の話と同様のパターンのように思える。
次回は「犬の王」の気になった個所を中心に考察したいと思います。
しかし、伊奴神社とこの地域に残る不思議な民話、「犬の王」は何かしらの関係があると思う。

◎犬の王
昔々、今から1300年ほども前のこと。
現在の西区稲生(いのう)町の辺りは一面田んぼであったが、まだ庄内川の治水前のことで、堤防がなく川の方が田んぼより高かったので、毎年雨季には川が氾濫して稲が流され、百姓達の難儀は大変なものであった。
ある夜、この辺りへ一人の年取った山伏が訪れた。
山伏は宿を乞うた。ひどく疲れていた様子だったので、ある優しい百姓が山伏を家に招き、親切にもてなした。大変喜んだ山伏は、翌朝、発ち際に何度も礼を言い、
「もし何か困っていることがあったら遠慮なく言いなさい。望みを叶えてあげよう」
と言った。百姓は
「毎年この辺では川が氾濫し、その都度稲が被害を被るので何とかしてほしい、稲が実るようにしてほしい。」
と述べた。
すると山伏は懐から白い紙を出し、それに向かって何やらブツブツと口の中で呪文を唱えた。それから紙の真ん中に字のようなものを書き、幾重にも折り畳み封じ込むと(白い紙を)百姓に手渡した。
「これを板に挟んで川の岸に立てておきなさい。しかし、どんなことがあっても中を見てはいけませんよ。」
と言って、どこへやら立ち去った。百姓は山伏に言われた通りにしたところ、不思議にその年は水害が起きず、稲がよく実った。
皆は喜んだが、なんとも不思議で不思議でならない。
あまりに不思議なので、百姓は板から紙を外し、こっそり中を開いてみた。紙の中には立派な犬の絵が一匹描いてあり「犬の王」という文字もあった。
次の年、また川が氾濫した。しかもこれまでのどの年よりも酷い被害が出た。百姓たちは困り果て、どうやらこうやら暮らしていた。
その年の暮れのこと。
以前の山伏がどこからともなくやってきて、百姓たちに宿を乞うた。
「その後、大水の方はどうかな?稲の実り具合はどうじゃ?」
と穏やかに百姓に尋ねるのだった。百姓は山伏との約束を破って紙の中を見てしまったことを大いに恥ていたが、ありのままに答えた。すると山伏は、
「それは私の戒めを破ったから効き目が無くなったのだ。仕方がない、今度はあの紙を地面の下に埋めて、その上に社を建てて神として祀りなさい。そうすれば必ず大水は出なくなる。」
と言うことだった。
この秋の大水に心底懲りていた百姓は、言われた通りにした。すると翌年からすっかり大水は出なくなり、どんな豪雨であっても、川の水が増え向う側の堤が切れても、こちらの堤は切れるということが一度もなくなり、毎年豊作が続き百姓達は大いに喜んだと云う。
その時に祀ったのが、今の「伊奴神社」だそうである。

土地の者は、通称「稲生神社」と言っているが、その土地を稲生と言うのも、「犬の王」を祀ったからだと云う。言い伝えによればその山伏とは天狗であり、今も伊奴神社の境内に枯れ掛けて残った3~4メートルの杉の木と樹齢800年余の椎の木がある。
というのが「犬の王」の昔話だ。
冒頭の画像は境内にあった犬の王に関する昔話の看板だが、これの情報も含めて気になった点を挙げてみた。
①この神社は「稲」が一つのキーワードになる。
②「犬の王」と書かれた紙と、その上に建ったのが伊奴神社である(昔話より)。
③洪水を止めたのが犬の王ともとれる。
④稲生の名の由来が「犬の王」であるという話もある。
⑤山伏と天狗
⑥伊奴姫神の御利益が安産・子育てであること
私にはこの話も、今まで取り上げてきた犬頭・犬尾神社の話と同様のパターンのように思える。
次回は「犬の王」の気になった個所を中心に考察したいと思います。
スポンサーサイト