今回からは場所を変わって、名古屋市西区にある伊奴(いぬ)神社についてです。

まずは御祭神。境内の看板によれば、

「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」とその息子「大年神(おおとしのかみ)」、そして大年神の妻である「伊奴姫神(いぬひめのかみ)」の三柱の神々が主祀神として祀られている。境内には他にも御祀神について記された看板があった。

判りにくいが、こちらの看板には先ほどの三柱の神々の名がない。境内にある他の社の神々だろうか?
伊奴神社という名前は古く、平安時代の資料にはすでに「伊奴」の名前が確認出来ると云う。
このことから、平安時代には伊奴姫神が既に主祀神であった可能性は高いと思う。

社歴によれば、天武天皇の時(7世紀)、この辺りから稲を献上し、それに併せて神を祀ったのが創始とのこと。社名にもなっている伊奴姫神が当初の御祭神だろうか?
調べてみたが、伊奴姫神は古事記や日本書紀に登場する神様だが、この伊奴姫神を祀る神社は全国的に見ても極めて少ない。いや、ひょっとするとここだけかもしれない。
姫神を主祀神とする神社だと、浅間神社や白山神社が有名で、どちらも沢山存在する。なので姫神が主役級でも特に問題はないが、解せないのは超有名な素戔嗚尊やその息子の大年神がいるにもかかわらず、大年神の嫁が主になっていることだ。しかも全国でここだけ・・・。これは興味深い。
結論は後回しにするとして、この神社の社名が「いぬ」と呼ぶことからか、境内には犬の石像もあった。

この神社の氏子の方から聞いた情報では、この石像は10数年前に建てられたもので、神社とは何の関係もなくただ「いぬ」という名前にかけてあるだけだと言う。実際、この犬の像については無関係なんだろうなと思っている人も少なくない。他でもこんな意見は聞いたことがある。集客目的で建てられたとか・・・。
この犬の石像と宣伝のおかげで特に戌年の参拝者は増えたようだ。集客も大事なことなのでそれはそれでよいと思うが、私はこの犬の石像は神社とは関係があると思っている。
何故なら不思議な昔話が残っているからだ。次回は昭和50年に発行された名古屋の民話集からその話を紹介します。
タイトルは「犬の王」です。

まずは御祭神。境内の看板によれば、

「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」とその息子「大年神(おおとしのかみ)」、そして大年神の妻である「伊奴姫神(いぬひめのかみ)」の三柱の神々が主祀神として祀られている。境内には他にも御祀神について記された看板があった。

判りにくいが、こちらの看板には先ほどの三柱の神々の名がない。境内にある他の社の神々だろうか?
伊奴神社という名前は古く、平安時代の資料にはすでに「伊奴」の名前が確認出来ると云う。
このことから、平安時代には伊奴姫神が既に主祀神であった可能性は高いと思う。

社歴によれば、天武天皇の時(7世紀)、この辺りから稲を献上し、それに併せて神を祀ったのが創始とのこと。社名にもなっている伊奴姫神が当初の御祭神だろうか?
調べてみたが、伊奴姫神は古事記や日本書紀に登場する神様だが、この伊奴姫神を祀る神社は全国的に見ても極めて少ない。いや、ひょっとするとここだけかもしれない。
姫神を主祀神とする神社だと、浅間神社や白山神社が有名で、どちらも沢山存在する。なので姫神が主役級でも特に問題はないが、解せないのは超有名な素戔嗚尊やその息子の大年神がいるにもかかわらず、大年神の嫁が主になっていることだ。しかも全国でここだけ・・・。これは興味深い。
結論は後回しにするとして、この神社の社名が「いぬ」と呼ぶことからか、境内には犬の石像もあった。

この神社の氏子の方から聞いた情報では、この石像は10数年前に建てられたもので、神社とは何の関係もなくただ「いぬ」という名前にかけてあるだけだと言う。実際、この犬の像については無関係なんだろうなと思っている人も少なくない。他でもこんな意見は聞いたことがある。集客目的で建てられたとか・・・。
この犬の石像と宣伝のおかげで特に戌年の参拝者は増えたようだ。集客も大事なことなのでそれはそれでよいと思うが、私はこの犬の石像は神社とは関係があると思っている。
何故なら不思議な昔話が残っているからだ。次回は昭和50年に発行された名古屋の民話集からその話を紹介します。
タイトルは「犬の王」です。
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