このように一言に神社と言っても様々な神々がいる。願い事をしてはいけない神様もいる。
前回のグループ分けで、この神様だったら願い事をしても安心と言えるのは、⑥の仏教系の神様だと思う。
何故そう思ったかと言う話は次回以降にするとして、まずは何か願い事がある場合、一体どうしたらご助力頂けるか?を考えてみたい。
どうしたらご助力頂けるか?
こんな時は相手の立場になって考えると分かり易いと思う。そう、もし自分が神社の神様だったら・・・と。そうしたら次のようなことが出て来た。
①神や仏はいると心から信じている人
②素直な気持ちで感謝の念をもっている・感謝の言葉を日々発している人
③お札を分けてもらってお祀りしていたり、何度も足しげく神社に通ってお参りしている人
④願ったことに対して頑張っている人
⑤普段から自分や周りの人、ご先祖を大切にしていたり、言葉に気をつけたりしている人
⑥明るく元気な人、前向きに考えられる人。
⑦住んでいる家(部屋)が片付いている人・清潔な人
となった。まず①だが、神社や寺へお参りに行ったことがあるという人、あるいは仏像や神像が大好きでよく見に行くと言う人達の中で、本当に「私は〇〇神や〇〇菩薩、〇〇如来に信仰を持っています」と自信をもって言える人は意外に少ない。
何時だったか龍神からメッセージを頂いているというスピリチュアルなお仕事をしてる方に会った時、「何か信仰は持っていますか?」と尋ねたら、ハッキリと「信仰はありません」と答えていた。これには衝撃を受けた。
スピリチュアルを仕事でしていると、変に宗教団体くさいと思われるのが嫌なのでこう言ったのかもしれないが、こと神社の神様を味方につけようと思うのであれば、「存在する」とまずは信じねばならないし、認めて感謝し、お参りすることだ。そんな気持ちになることが信仰するということだと思う。信仰=怪しい宗教団体に入ることと考えている方が多いように思うが、これはそうではない。
神様の力を戴くと言うことは握手ににていると思う。こっちがいないと否定し手を伸ばさねば握手は出来ないのだ。①について補足するならば、相手を知るということも必要である。
②と③は関連している話だ。②についてだが、やはり自分が神様だったら、いつも感謝し、お礼を言ったり、良い言葉を使っている人には応援したくなると思う。
③についても日々の習慣として続けることで、よりがっちり握手することに繋がるのではと思う。見方を変えれば、覚えてもらえるということが必要とも言える。②や③は関係性を強固にすることでもある。
例えば初めて行った神社で、相手がどんな神様なのかも知ろうともせず、手も清めずに賽銭箱に10円入れて「金持ちにしてください!」と言っても、言われた神様からすれば「あほかコイツは!」と思うだろう。少なくとも私が神様だったらそう思います(笑)
④や⑤は特に重要だが、やはり一生懸命生きている人は自然と応援したくなる。例えば何気につけたテレビで高校野球が放映されていると、ついつい応援していたと言うことはないだろうか?
知り合いや親せきが出ている訳でもないのに、気付けば見ていたり応援していたりするのは一生懸命やっている球児達に惹かれるからだ。
もし神様に何かしらお願い事をしても、当の神様からしたら、その人が本気で願い、全力を尽くしている状態じゃないと、とてもサポート出来ないのである。神様だから本気かどうかはすぐバレます。
⑤もとても大事だ。これは運の話にも繋がってくるが、普段から自分や家族、ご先祖、周りの人への対応や言葉の使い方は大変重要だと思う。これに関しては次回で考察したい。
⑥も程度によるが、あまりにも元気がなかったりネガティブだったりすると、神様どころかヤバイものが憑いたりする。憑かなくとも自分の念で体調を崩したりするので、何れにせよ心配しすぎ、悩みすぎというのは良くない。またそんな良くない状態の人が部屋に籠り続けると、自分の部屋に化け物を育てることにもなる。(そんなことが記されたお経があった)こんな状態では握手どころではないと思う。
⑦は自分の部屋(家)とは、祀ってある神仏・自分の想い・言葉・感情によっては快適な神域にもなるし、化け物が育つ陰気な場所にもなりえるということ。特にお札を戴いて祀る時は綺麗にしておくのが圧倒的に良いが、ない場合も綺麗にこしたことはない。神様は穢れを嫌うと言うが、何かの本に「穢れとは気が枯れること」とあった。
自分で自分の生活している空間だと分かり辛いかもしれないが、営業職であちこちの家を渡り歩いている人だと分かると思うが、自然と「居心地が良い家だなぁ」とか「何か居心地悪いなぁ」とか感じることがある。
住んでいる人の生活習慣によって、箱(家)の中身は変わるのだ。居心地が悪いと言うのは気が枯れているとか、滞っている、悪い念や酷い言葉の力が籠っているということだ。
ざっと思ったことを述べてみたが、細かいことを言えばもっとある。要は「どうしたら相手が喜んでくれるか?」を考え、実行することが重要なのだ。
長くなってきたので今回はここまでとします。

※画像は江の島の弁財天社 気持ちのいい神社というよりお寺かな?
前回のグループ分けで、この神様だったら願い事をしても安心と言えるのは、⑥の仏教系の神様だと思う。
何故そう思ったかと言う話は次回以降にするとして、まずは何か願い事がある場合、一体どうしたらご助力頂けるか?を考えてみたい。
どうしたらご助力頂けるか?
こんな時は相手の立場になって考えると分かり易いと思う。そう、もし自分が神社の神様だったら・・・と。そうしたら次のようなことが出て来た。
①神や仏はいると心から信じている人
②素直な気持ちで感謝の念をもっている・感謝の言葉を日々発している人
③お札を分けてもらってお祀りしていたり、何度も足しげく神社に通ってお参りしている人
④願ったことに対して頑張っている人
⑤普段から自分や周りの人、ご先祖を大切にしていたり、言葉に気をつけたりしている人
⑥明るく元気な人、前向きに考えられる人。
⑦住んでいる家(部屋)が片付いている人・清潔な人
となった。まず①だが、神社や寺へお参りに行ったことがあるという人、あるいは仏像や神像が大好きでよく見に行くと言う人達の中で、本当に「私は〇〇神や〇〇菩薩、〇〇如来に信仰を持っています」と自信をもって言える人は意外に少ない。
何時だったか龍神からメッセージを頂いているというスピリチュアルなお仕事をしてる方に会った時、「何か信仰は持っていますか?」と尋ねたら、ハッキリと「信仰はありません」と答えていた。これには衝撃を受けた。
スピリチュアルを仕事でしていると、変に宗教団体くさいと思われるのが嫌なのでこう言ったのかもしれないが、こと神社の神様を味方につけようと思うのであれば、「存在する」とまずは信じねばならないし、認めて感謝し、お参りすることだ。そんな気持ちになることが信仰するということだと思う。信仰=怪しい宗教団体に入ることと考えている方が多いように思うが、これはそうではない。
神様の力を戴くと言うことは握手ににていると思う。こっちがいないと否定し手を伸ばさねば握手は出来ないのだ。①について補足するならば、相手を知るということも必要である。
②と③は関連している話だ。②についてだが、やはり自分が神様だったら、いつも感謝し、お礼を言ったり、良い言葉を使っている人には応援したくなると思う。
③についても日々の習慣として続けることで、よりがっちり握手することに繋がるのではと思う。見方を変えれば、覚えてもらえるということが必要とも言える。②や③は関係性を強固にすることでもある。
例えば初めて行った神社で、相手がどんな神様なのかも知ろうともせず、手も清めずに賽銭箱に10円入れて「金持ちにしてください!」と言っても、言われた神様からすれば「あほかコイツは!」と思うだろう。少なくとも私が神様だったらそう思います(笑)
④や⑤は特に重要だが、やはり一生懸命生きている人は自然と応援したくなる。例えば何気につけたテレビで高校野球が放映されていると、ついつい応援していたと言うことはないだろうか?
知り合いや親せきが出ている訳でもないのに、気付けば見ていたり応援していたりするのは一生懸命やっている球児達に惹かれるからだ。
もし神様に何かしらお願い事をしても、当の神様からしたら、その人が本気で願い、全力を尽くしている状態じゃないと、とてもサポート出来ないのである。神様だから本気かどうかはすぐバレます。
⑤もとても大事だ。これは運の話にも繋がってくるが、普段から自分や家族、ご先祖、周りの人への対応や言葉の使い方は大変重要だと思う。これに関しては次回で考察したい。
⑥も程度によるが、あまりにも元気がなかったりネガティブだったりすると、神様どころかヤバイものが憑いたりする。憑かなくとも自分の念で体調を崩したりするので、何れにせよ心配しすぎ、悩みすぎというのは良くない。またそんな良くない状態の人が部屋に籠り続けると、自分の部屋に化け物を育てることにもなる。(そんなことが記されたお経があった)こんな状態では握手どころではないと思う。
⑦は自分の部屋(家)とは、祀ってある神仏・自分の想い・言葉・感情によっては快適な神域にもなるし、化け物が育つ陰気な場所にもなりえるということ。特にお札を戴いて祀る時は綺麗にしておくのが圧倒的に良いが、ない場合も綺麗にこしたことはない。神様は穢れを嫌うと言うが、何かの本に「穢れとは気が枯れること」とあった。
自分で自分の生活している空間だと分かり辛いかもしれないが、営業職であちこちの家を渡り歩いている人だと分かると思うが、自然と「居心地が良い家だなぁ」とか「何か居心地悪いなぁ」とか感じることがある。
住んでいる人の生活習慣によって、箱(家)の中身は変わるのだ。居心地が悪いと言うのは気が枯れているとか、滞っている、悪い念や酷い言葉の力が籠っているということだ。
ざっと思ったことを述べてみたが、細かいことを言えばもっとある。要は「どうしたら相手が喜んでくれるか?」を考え、実行することが重要なのだ。
長くなってきたので今回はここまでとします。

※画像は江の島の弁財天社 気持ちのいい神社というよりお寺かな?
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