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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆神社のお参りについて その5 (氷姉子神社 後編)

氷上姉子神社にも、古事記や日本書紀にも載っていない、宮簀媛命に纏わる昔話が萱津神社にはある。

それが萱津神社に今も残る霊木、「連理の榊」に纏わる悲話だ。

萱津神社の森には別名がある。「不遇(あわで)の森」だ。


萱津の地へ訪れた日本武尊の一団。

休息を経て伊吹山の神に戦いを挑むも、日本武尊は破れ大怪我を負う。

撤退した一団はまた萱津の地へと訪れる。


日本武尊の怪我は酷く、尊は「再び立つ事が出来なくなるなるのでは・・・」と直感し、久米の八腹(くめのやばら:食事の世話をする者)を妻である宮簀媛命のもとへ遣わされ後事を託された。


報せを聞いた宮簀媛命は取るものもとりあえず萱津の地へ向かったが、到着する頃には既に日本武尊は伊勢へと向かった後であった。宮簀媛命は最後に会えなかったのである。


宮簀媛命は人目も憚らず、悲嘆された。


その悲しみの姿から、誰云うとなく「不遇の森」というようになった。



日本武尊は、伊勢へ向かうにあたり、姫に会えないことを非常に残念がり、後の世に生まれ来る者に、再びこの悲しみなき様にと祈願を込め、雌雄二本の榊をお手植えされた。

 
後にこの榊は地上2メートル程の所で繋がり、これが御神木「連理の榊」となった。


萱津神社4


連理の榊は現在は祠の中に祀られている。中を覗いて見たが枯れてしまっていた。

数え切れない人達の願いを受けすぎて枯れてしまったのだろう。


古事記を見るに、日本武尊が、伊吹山の神に敗れた理由はいくつか推測できるが、その一つが現在熱田神宮の御神体になっている三種の神器の一つ、草薙の剣を持っていかなったことが挙げられる。


この時の尊と姫のやり取りを読むに、姫は尊に草薙の剣を持っていって下さいと話すが、尊は伊吹山の神を侮っていたので素手で十分と持って行かなかった。


宮簀媛命はそのことも後悔していると思える。


やがて宮簀媛命は、日本武尊の形見ともいえる草薙の剣を祀る神社を建てる。それが現在の熱田神宮だ。


姫は尊への愛を貫き生涯独身であったという。


神社の神は自然そのものでもある場合もあるが、圧倒的に多いのは元人間、あるいは神話の神でも本当は人なのでは?と思える生々しい背景を持つ神々だ。


私が初めて氷上姉子神社を訪れ、不思議な体験と御神体の写真を頂いてから、神はいると強く認識するようになり、次に偶然訪れた萱津神社では宮簀媛命の秘話を知った。


日本武尊に滅ぼされた神々は多い。本当に悲惨だ。しかし、滅ぼした側の日本武尊も地獄のような戦場に休む間もなく駆り出された。そこには親の愛情は見えない。


滅ぼす方も滅ぼされた方もどちらも悲惨なのである。


宮簀媛命の秘話を知り、この神様の御利益、お力も見えて来た、それは、


①夫の日本武尊が願ったように、縁結びの御力添えを頂ける。

②シングルマザー(女性一人)として生きて行こうと頑張っている女性がお参りすると、お力添えを頂ける。(理解を示されると思う)



ということだ。ただし、①についてだが略奪愛とか不倫とかには全く理解されないと思うので、どこかずるい考え方を秘めて成就を願う人だと、怒られる可能性があると思います。あくまで真面目な恋愛成就に限りと付け加えておきたい。




続く~




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