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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

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◆ 考察・「天神山町」 その3 ~亀尾天王社~

名古屋城築城以前にあった二つの神社、若宮八幡社と亀尾天王社。両社は並んで祀られていたが、亀尾天王社は名古屋城内に残され、若宮八幡社は現在地(中区栄)に移転された。
 
 
今回は亀尾天王社について調べてみた。明治以後、社名が変わったようで現在は「那古野神社(なごやじんじゃ)」という。

天王社②

この神社を知っている人は「東照宮」という方が聞きなれているかもしれない。東照大権現、即ち徳川家康を祀っている。しかし、本来は「天王社」と称していた。天王とは「牛頭天王」のことである。

亀尾天王社の歴史は古く、醍醐天皇の御代、延喜11年(913年)3月16日に鎮祀されたとあった。1000年以上前の古社だ。創建当初は真言宗亀尾山安養寺12坊があったそうだ。牛頭天王を中心とした密教寺院だったのである。この寺院時代の仏像が、一体知立市のお寺に残っている。藤原時代の薬師如来像だ。


その後、織田信秀と今川左馬之助氏豊との戦争により焼失したが、後に信秀により再興された。その後、豊臣秀吉が社領三百四十八石余りを寄せる。

天王社①

そして徳川家康の天下となり、名古屋城築城。若宮八幡社は移されたが、天王社は再三の御籤(みくじ)で「不遷」と出たので現在地へ残されたという。

天王社③

若宮八幡社は牛頭天王社よりも古い神社であったが、天皇家所縁の神社は移され、牛頭天王社は残された。これは畏れがあったからだと思う。

名古屋城天王坊
(画像はネットより)

当時の配置を調べるに、本丸御殿の真南にある天王社の隣は東照宮が祭られている。その配置を見るに徳川家の偉大な先祖神となった家康と同格のような、そんな扱いにも見える。


先ほどの亀尾天王社の来歴を読むに、一か所だけ気になるところがあった。それは「御籤で再三占って不遷」という箇所だ。徳川家康は名古屋城築城の際、かなり大胆な政策を行っている。「本気でそれやるか?」と思うようなことだ。
 

それについては次回述べるが、この天王社の来歴を読んだ時、一文抜けているのでは?と思えた。それは「御籤を引く前に既に天王社を移してしまったのではないか?」ということだ。


それが前回の武嶋天神社であり、移築したものの異変があり、そこで御籤(占い)を行ったら、「移動してはいけない」となり、丁重に城内に再建し祀るようになったのでは?と思う。こう考えれば牛頭天王を祀る神社が2社ある説明もつく。移築した先の神社も壊せなかったのだ。


何故そう思ったかと云うと、これも名古屋城築城に関係している話であるが、似たような史実が、同じパターンの話が別の神社で残っていたからである。


続く~


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