切っ掛けは私が住む地元の歴史を紐解いたことだった。
その土地に長年住んでいても、ふと足元に目を向けると意味不明なものは沢山ある。私が通っていた中学、天神山町にある「天神山中学」もその一つだ。
在学中は全く気にしたこともなかったが、大人になり地元の歴史に着目することで気付いたが、天神山中学校周辺にはその名前の由来になったと思われる天神様を祀る神社、天満宮はどこを見ても存在しない。
遠い過去を振り返ってみても学校の敷地内や周辺にはそんな神社や祠は記憶にもない。
気になりだしたら突き止めたくなり、地元の図書館でその町名を調べてみた。町名にはその名前になった意味があるからだ。結果的には天神山の町名については無かった。「来歴不明」という記述がないのではない。天神山という言葉すら載っていないのだ。
これはつまり、天神山という町名が古くからのもではなく、おそらく中学が創立してから区画整理の折天神山町となった可能性があるということだ。現に中学を中心とした周辺が現在は天神山町と呼ばれている。
更に詳しく調べる必要性が出て来たので、天神山中学に残る学校の歴史を紐解くことにした。図書館で調べたら創立50周年記念の本があると突き止めたので、取り寄せてもらった。

これがその本。
学校には必ず設立に至った経緯、歴史、その名前の由来などが残っているはずとページを開いてみた。あった。名前の由来について記されていた。正確に言えば校章の謂われについてだが、それによると・・・
昭和22年、天神山中学校創設のころ、校庭敷地内に町内の祠(お宮さんの社)があった。そのお宮さんには学問の神様である天神様が祀られていた。
そこで天神様にゆかりのある神の花を校章のデザインに取り入れ、「梅鉢」の中に天神山の「天」と中学校の「中」をはめ込んで、出来上がったと伝えられる
とあった。

これが校章。自分が中学生時代に着ていた学生服の金色のボタンは確かにこのデザインだったと思い出した(懐かしい・・・)。
なるほど、至極真っ当な由来である。しかし目を通して気になった点も多々出て来たのでそれらを挙げてみよう。
①天神山という名は、町名が先か中学が先かは不明であるが、町内の祠があったことは間違いない。
②その祠は天神社だった。
③校庭の敷地内に嘗ては祠があったらしい。
④学問の神様である天神様(菅原道真公)の名前に因み、中学名としたのであれば、何故祠を撤去したのか?
⑤天神山の「天神」の名は理解できるが、「山」の意味が分からない。
これらの疑問点はこの考察の最後の方に持って行くので後回しにするが、私がこの天神山中学校の校章の由来について思うことは、そもそもこの町内で祀られていた祠の神様が、「天神様ではないのではないか?」と言うことだ。
私の導き出した結論を先に述べるが、この天神とは、学問の神、菅原道真公ではなく「武塔天神(むとうてんじん)」の天神、即ち荒ぶる病疫神「牛頭天王(ごずてんのう)」ではないのか?というものだ。
何故そう思ったのかを次回から紹介したいと思います。
続く~
※牛頭天王・・・京都の八坂神社や愛知県の津島神社の嘗ての御祭神。仏教や神道には出てこない陰陽道に出てくる恐るべき神様です。詳しくはこのブログの「恵方巻について」を御覧下さいませ。
その土地に長年住んでいても、ふと足元に目を向けると意味不明なものは沢山ある。私が通っていた中学、天神山町にある「天神山中学」もその一つだ。
在学中は全く気にしたこともなかったが、大人になり地元の歴史に着目することで気付いたが、天神山中学校周辺にはその名前の由来になったと思われる天神様を祀る神社、天満宮はどこを見ても存在しない。
遠い過去を振り返ってみても学校の敷地内や周辺にはそんな神社や祠は記憶にもない。
気になりだしたら突き止めたくなり、地元の図書館でその町名を調べてみた。町名にはその名前になった意味があるからだ。結果的には天神山の町名については無かった。「来歴不明」という記述がないのではない。天神山という言葉すら載っていないのだ。
これはつまり、天神山という町名が古くからのもではなく、おそらく中学が創立してから区画整理の折天神山町となった可能性があるということだ。現に中学を中心とした周辺が現在は天神山町と呼ばれている。
更に詳しく調べる必要性が出て来たので、天神山中学に残る学校の歴史を紐解くことにした。図書館で調べたら創立50周年記念の本があると突き止めたので、取り寄せてもらった。

これがその本。
学校には必ず設立に至った経緯、歴史、その名前の由来などが残っているはずとページを開いてみた。あった。名前の由来について記されていた。正確に言えば校章の謂われについてだが、それによると・・・
昭和22年、天神山中学校創設のころ、校庭敷地内に町内の祠(お宮さんの社)があった。そのお宮さんには学問の神様である天神様が祀られていた。
そこで天神様にゆかりのある神の花を校章のデザインに取り入れ、「梅鉢」の中に天神山の「天」と中学校の「中」をはめ込んで、出来上がったと伝えられる
とあった。

これが校章。自分が中学生時代に着ていた学生服の金色のボタンは確かにこのデザインだったと思い出した(懐かしい・・・)。
なるほど、至極真っ当な由来である。しかし目を通して気になった点も多々出て来たのでそれらを挙げてみよう。
①天神山という名は、町名が先か中学が先かは不明であるが、町内の祠があったことは間違いない。
②その祠は天神社だった。
③校庭の敷地内に嘗ては祠があったらしい。
④学問の神様である天神様(菅原道真公)の名前に因み、中学名としたのであれば、何故祠を撤去したのか?
⑤天神山の「天神」の名は理解できるが、「山」の意味が分からない。
これらの疑問点はこの考察の最後の方に持って行くので後回しにするが、私がこの天神山中学校の校章の由来について思うことは、そもそもこの町内で祀られていた祠の神様が、「天神様ではないのではないか?」と言うことだ。
私の導き出した結論を先に述べるが、この天神とは、学問の神、菅原道真公ではなく「武塔天神(むとうてんじん)」の天神、即ち荒ぶる病疫神「牛頭天王(ごずてんのう)」ではないのか?というものだ。
何故そう思ったのかを次回から紹介したいと思います。
続く~
※牛頭天王・・・京都の八坂神社や愛知県の津島神社の嘗ての御祭神。仏教や神道には出てこない陰陽道に出てくる恐るべき神様です。詳しくはこのブログの「恵方巻について」を御覧下さいませ。
スポンサーサイト